梅の香庵~うめのかあん~

梅の香堂別館喫茶スペース*梅の香庵*
とりとめないことをとりとめなく・・・

スーパーモデル

2011-11-30 00:28:17 | 
久しぶりに猫を描こうと思いまして、
椿にポーズをとってもらおうと思ったんですけど・・・。

あたしはそんなに安くなくってよ。

我が家のスーパーモデルは非協力的であります。


かつて、椿と暮らす前は、
猫の絵を描く時はネットで資料探しをしておりました。

あぁ、本物の猫がいればいつでもデッサン出来て楽ちんなのになぁ。

そう思っていた過去の自分に言ってやりたい。

猫はそんなに甘くないぞ。と。


猫はいる。
いつでも我が家にいる。
しかしですよ。
デッサンなんかさせてもらえませんよ(寝てる時以外)。

まず当たり前と言えば当たり前ですけど、
してほしいポーズなんかしてくれるわけもなく、
写真を撮ろうと思ってもうろちょろしてなかなか撮れず、
今だ!
と思ってカメラを構えると、
カメラのストラップにじゃれついてくるし。
ええいくそう!


今回は、ちょっと寝転がってほしいだけだったんですけど、
そういう時に限って全然寝てくれない。
寝たと思ったら丸くなって顔を隠してしまう。
ぐぬぬ。
じゃあ、むしろこのカメラのストラップを利用して、

椿さーん、これをガジガジしてみてくださーい。

よくわかんにゃいけどかじるのは得意にゃ。

あーいいですねー。ちょっと顔がアレだけど。
じゃあちょと後ろ足の具合もみたいんですけど。
・・・あれ?
椿さーん。

・・・・丸くなって就寝。

椿さん、モデルになってよ・・・・。


まぁこんな具合でなんとなく半分くらいは想像で描き始め(T▽T)、
製作途中。
これ、足の裏を見せたらかわいいかも、と思い付いた。
肉球が見たいな。

椿さん、足の裏見せて。

にゃだ。

いいじゃんちょっと見せてよ。

にゃだったらにゃだ。

睨みあい。


うーん。
パソコン閉じちゃったんだよね。
過去に撮った写真を見れば、肉球ショットの一枚や二枚あるかもしれない。
が、
目の前に本物の猫がいるのに、
なにゆえわざわざパソコンを立ち上げねばならぬのか。

ねぇちょっと見せてよー。

と、抱き上げると、

今だっこの気分じゃないんにゃー!!

・・・なんかすごい叱られました・・・


なんとなく、ネットで検索した方がうちの猫描くより早いのかも・・・・
という思いを必死に否定しながら、
足の裏は想像で描きました。

高いモデル料を払って出来た作品はまた後日。

今日は下絵だけ(一部)。




印刷屋営業中

2011-11-27 00:21:15 | 
父と姉から依頼されていた年賀状印刷が完了しました。

はーやれやれ。

印刷するだけとはいえ、
なんだかんだで一仕事でした。

しかし、猫は年末も何も知ったことではないですからね。
突撃ー。


年末だろうがクリスマスだろうが盆暮れ正月だろうが
猫たるもの前進あるのみだにゃ

うんでも椿、ひっかかってるぞ。


さてさて。
そんな椿さんはプリンターが大好き。
スイッチを入れたプリンターが、
ウイーン ガコンガコンガコン
と作動音を発すると、すばやく飛んで行って機体の前に陣取り待ち伏せます。

何を待ち伏せるのか?

もちろん印刷物。

印刷された紙が出力されて来るのを、じーっと真剣に飽きもせず見つめております。
うーん可愛いやつめ。

年賀状印刷は何十枚もありますからね。
次から次へと排出される年賀状をじっと見つめる椿さん。
いや~この状態だと遊ばなくてもいいし、パソコン使ってても邪魔されないから楽だわ~

なぁんて思っていたその時。

ひたすらじっと排出口を見つめていた椿の眼が、キラーンと光った(たぶん)。

見切ったにゃー!!

と、言ったかどうかは分りませぬが、
プリンターの排出口に向かって突撃ー!!

ぎゃー!!!

叫ぶ私。

詰まる年賀状。

獲ったどー!!と椿(たぶん)

椿の前足に押えつけられた年賀状をぶんどって見てみると、
印字がズレてるーー!!

ぎゃあーーー!!!

再び叫ぶ私。



これが、計2回ありました

なので私も椿と一緒に排出口を見つめて、椿より早く年賀状を撤去するはめに・・・・。


椿よ、
100円返せ~!!


じゃあ体で返すにゃ。

営業スマイル。


現在発売中の以下3誌

「年賀状プリントするだけCD-ROM2012辰年編」
「かんたん!激速年賀状2012」
「ラクラク作れる!超かんたん年賀状2012辰年編」


かーちゃんののイラストが掲載されています。

        

よろしくお願いしますにゃ。

高知へ行って来ました(一年前に)街中編

2011-11-26 01:32:09 | 旅行
今更高知紀行。
最後に高知の街について。


高知龍馬空港に降り立って、まず目に飛び込んできたのは、

南国の木、でした。

「南国の木」とは、
正しくはなんて名前の木なのかは知りませんが、
ハワイとかに生えてる椰子の木っぽい木、と言えば伝わるでしょうか。
椰子の木にしては高さが足りない気がするので、多分違う種類なのだと思うけど、
南国風の木です。

この椰子の木ちっくな木が、空港周辺にも街中にも沿道にずらり。



すげー。南の国に来たんだ私。
なんか暑いし。

それが高知の第一印象。

旅の間、この木のことを、私は個人的に「南国の木」と呼んでおりました。


余談ですが、
初めて「高知龍馬空港」という名称を聞いた時に、
・・・・空港にまで「龍馬」って・・・
と、正直ちょっと思ったんですけど、
でもよくよく考えてみたら、確かイタリアに「レオナルド・ダ・ビンチ空港」っていうの、あったな、と。
あれも人名を冠しているから、それと一緒か、と納得。
龍馬は高知のダビンチですよ。


さて、空港からバスに乗って市街地へ。
こちらが高知駅。
とてもキレイな駅です。


街中に着くと、路面電車が走っているじゃないですか。

路面電車は私の現住所である富山にもあるので、なんだか親近感。
しかし、よくよく聞いてみると、親近感どころか同じ路面電車所有地としてリスペクトしなければならない存在でした。

観光案内によると、
高知の路面電車は日本一古く、
そして日本一長い!

なんと、元祖路面電車だったわけですよ。
つまり富山の先輩ですよ。

そしてその路線の長さ。

富山の路面電車はたいした距離は走りません。
街の中心部をぐるぐる回ってる感じ。
故に、市民の足として根付いているとかと言うと・・・・どうでしょうね。
結局は沿線の人しか使ってないのが現状でしょうね。その沿線も短いしね。

でも高知の路面電車は本当に長い。
路線図を見ましたけど、これJR?って思うくらい長かった。
そして路線が二本ありまして、
二本の線路が十文字に走っています。
電車の運行本数も多く、富山よりも便利で身近な存在という感じでした。


車体はけっこう年季の入った様子。
乗ってみると、板張りの床。
レトロな雰囲気です。
富山の路面電車は現在、近代的な車体だけど、私が富山に来た頃はまだこういう古い車体もあったなぁ。
少し懐かしい気持ちで高知の路面電車に揺られました。
途中、乗り換えの仕方が分らずかなり緊張しましたが・・・・。

そういえば、
走っている路面電車の行き先をふと見たら、
思わず笑ってしまった。
車体のおでこに表示されていたのは

「ごめん」

の3文字。

電車が謝っている?

しかし思い出しましたよ。
事前に地図で見ました。
確か、「後免」という地名があった。
なーんだそういうことかぁ。
でもやっぱり、わかっててもちょっと可笑しい「ごめん」行き。

そうそう、こんな電車もありましたよ。
見えるかな~。

撮ろうと思ったらカメラを取り出してるうちに走って行ってしまった。
アンパンマン電車。
やなせたかし氏は高知の出身なんだそうです。


アンパンマン電車が走り去るのを見送った後、
中心街の辺りを歩いていると、有名観光スポットに出くわしました。

はりまや橋。

実のところここに来るまで知らなかったんですけどね。
有名らしいです。
なにやらその昔、お坊さんが秘密の恋をしていて、
恋人のためにこっそりかんざしを買いに来た所、というお話があるんだそうですよ。

当のはりまや橋は大通りの端っこに小さくかかっておりました。
いかにも最近復元しましたといわんばかりのぴかぴかな赤。
しかし傍らの柳とのコントラストがなかなかにきれいです。
雨にも映えようというものですよ。

まぁせっかくだから写真撮っておこうかな、と思いアングルを考えていると、
通りかかった一人のサラリーマン。
いかにも出張中といういで立ち。
その男性が、さりげなく、しかしおもむろに、携帯を取り出してはりまや橋をすばやくパチリ。
そして静かに去って行った。
終始無表情。

なんというか、
俺観光で来てるわけじゃないから、だからこういう観光名所とか写真撮っちゃうのどうかと思うけど、
思うけどでもせっかく来たんだし、
でもちょっと恥ずかしいから手早く撮ろう。

という思考がうかがえる一連の動作でした。
ほほえましい光景でした。


さぁ高知の夜です。
事前に調べておいたちょっとこじゃれた居酒屋に。
まずはやっぱり鰹のタタキ。

真偽のほどは不明だそうですが、
山内一豊さんの時代、
食中毒を防ぐために、生魚を食べてはいかんという御触れが出たのだそうです。
しかし庶民はやっぱり刺身が食べたい。
そこで、
鰹の表面だけをあぶって、中身は生のまま食べた。
見た目「これ刺身じゃないっすよ」と言えるように。
それが鰹のタタキの由来だという説があるそうな。

そしてメニューを見て「なんじゃこりゃ?」と思い注文したのが
「酒盗」
鰹の内臓の塩辛だとか。
なぜそれが「酒盗」なんていうヘンな名前なのか?

一口食べて謎が解けました。

これすっごい酒が進む。

ほんのちょびーっと、箸の先ほど食べただけで、濃ーい味が広がってお酒ぐびーです。
なるほど。
だから「酒を盗む」か。
うまいなぁ。
命名も味も。




最終日。
再び高知龍馬空港へ。
11月なのに暑い高知ともお別れです。
(でも地元の人たちはけっこう冬の格好をしていた。こっちの人にとっては寒いのかな・・・・・。)

高知は歴史を感じる街でした。
良い旅をありがとう高知。

飛行機の搭乗口で、アンパンマンが見送ってくれました。


ばいばい。またね。













高知に行って来ました(1年前に)桂浜編

2011-11-25 00:36:33 | 旅行
引き続き高知旅行記です。

高知に来たからには行かねばならぬ、やはりここ。

桂浜ですね。

なんというか、きれいでしたが、
パンフレットとかテレビとかで見るのと、本当にそのまんま同じで、
うはー写真通り~!という感動の仕方でした。

余談ですが、この後、絵描きガッコのスクーリングで
「風景画を描こう」というお題が出た際、この桂浜を描いたのです。
そしたら、全然解説はしていないにも関わらず、
先生は一目で「桂浜?」と。
やはり誰しもこの風景はそのまんまこのアングルでインプットされているらしい。


さてさて、桂浜にはもちろん、この方がいらっしゃいますね。

うわーデカイ。
あ、像の下でポーズを決めている方は全くの他人です。
次から次へと記念撮影の人が絶えず、どう撮っても誰かがポーズをとっている写真しか撮れませんでした。

はい、言うまでもありませんが、
坂本龍馬さんです。



私が桂浜を訪れる前日。高知初日の夜のこと。
その日の予定を終え、宿でごろりとくつろいでいる時、
テレビでも見るか、とスイッチを入れるとNHK。
時刻は20時。
映し出されたのは大河ドラマ。

1年前の大河と言えば、そう、「龍馬伝」ですね。

高知の街はそりゃもう猫も杓子も龍馬一色でした。
大河の効果って絶大ですよ。

しかし。
実を言いますと、その日まで一度も見た事なかったんです。
「龍馬伝」

ところが、測ったようなタイミングで、テレビをつけたら龍馬伝。
ここは土佐。
明日は高知観光。
見るしかないでしょ。

初めて見た「龍馬伝」はあと3回、というかなり終盤にさしかかっていました。
ちょうど、大政奉還が成された、というくだり。
へ~。
このドラマ、映像がきれい。映画みたいな演出。
福山くんはさほど好きなわけではないが、福山龍馬、悪くない。
う~んこれは、最初っから見とけばよかった。けっこう面白いぞ。


そして翌日、桂浜へ向かったわけですが、
浜辺に行く途中に龍馬記念館がありまして、せっかくなので立ち寄ってみました。

展示内容は主に手紙。
筆まめだったという龍馬の手紙は本当にたくさんありまして、
新婚旅行の様子を書いて送ったものとか、図解入りの可愛い手紙なんかもありました。
他にも龍馬やお龍さんに実際会った人の手記とか、
読み物系の多い記念館でした。
さて龍馬の横顔はいかに。


それによると、お龍さんはけっこうはっちゃけた女性だったっぽいです。
なにやら、人前でいちゃいちゃしたり痴話げんかしたりという、
当時としてはかなりぶっとんだエピソードがちらほら。
龍馬もたぶん、実際近くにいたらぶっとんだ人だったと思うのですよ。
そういうアクの強いカップルだったんですな~。


展示の中には、大政奉還の建白書なんかもあって、
うわーこれ昨日ドラマで見た!
という興奮が味わえました。
龍馬に関してはあまり知識が無かったんですけど、前夜に見た龍馬伝が付け焼刃ながら役に立ちましたよ。

他にも、この記念館の目玉展示品、
龍馬が襲撃された近江屋の部屋にあった屏風。
血痕付き(T▽T)

翌々週の龍馬伝最終回、近江屋襲撃シーンを見ていたら、
再現されてました。その屏風。


数ある手紙の中で印象に残ったのが、乙女姉さんに送られた中の一節。
原文はさすがに覚えていないので要約ですが、

自分はそうやすやすとは死なない。
自分が死ぬ時は、世の中が大きく動き、
もう自分が不要になった時だ。


まさしく、
大政奉還を成し得た直後、彼はその生涯を終えた。
まるで予言のようなこの一文。
ある程度の覚悟があったのだろうか・・・。

享年33歳。
それはまさしく、桂浜を訪れた時の私の年齢と同じなんです。

龍馬を手放しに英雄扱いするわけではないけれど、
彼の生涯の年表を見た時に、そのあまりの内容の濃さにびっくりです。
最期のほんの数年間にこれだけのことをしたのかと。
私と同じ33年間で。

明日は無いかもしれないという、覚悟があったからこそじゃないかなぁ。



うんやっぱり、
凄い人には違いない。


高知に行って来ました(一年前に)高知城編

2011-11-24 00:57:07 | 旅行
というわけで、今更の高知紀行。

昨日は猫の話しかしてませんが、今日はちょっと旅行記っぽく行ってみましょう。
高知城にはいたのは猫だけではありません。

初代城主もいらっしゃいました。


こちら、山内一豊さんです。

と、さも当然のように言ってますが、
恥ずかしながらわたくし、高知の初代大名が、あの山内一豊さんだということに、
高知に行く直前まで気付きませんでした。

「あの」山内一豊さんとは、どの山内一豊さんかというと、
数年前の大河ドラマ「功名が辻」の山内一豊さんです。

この大河ドラマ、途中からですけど、けっこう好きで見てました。
一豊の妻・千代を仲間由紀恵ちゃんが演じたあの大河です。

というわけで千代さんもいらっしゃいましたよ。


私、数年前まで日本史は全然わからない人だったんですけど、
「功名が辻」で戦国時代のおおまかな流れを把握出来たのでした。

一豊さんは、戦国時代の一番のヤマ場をうまいこと波に乗り、
信長、秀吉、家康に仕え、最終的に一国一城の主になった立身出世の見本みたいな方です。
この時代、誰に付くかで命運が決まりますからね、なんとも引きの強い人ですよね。
まぁその影にはお千代さんの助言があった、というのが大河ドラマの大筋だったわけですが。

この「功名が辻」で私が好きだったのは、永作博美さんの演じた淀君でした。
中でも一番ぐっときたシーンは、
石田三成の訃報を聞いた時の淀君。

このドラマでは、淀が三成を好きだったという設定なのですが、
「三成死す」の知らせを聞いた淀は、
ただ、
うえーん
と泣くんです。
普通に。子供みたいに。

それがね、その普通さがね、かえって「え!?」って感じだったんですよ。
あのプライドの高い淀が、
高慢ちきで冷徹で計算高い淀が、
幼子のように人目もはばからず、ただ「うえーん」て泣いたんです。
茶々はやっぱり、三成のことが好きだったんだ・・・・。
うううう。
そりゃ見てる私も泣いちゃいますよ。
その意外な演技が、私のハートにずっきゅんと来ましたね~。
あーやっぱ永作さんいいなー。かわいいし。
好きな女優さんです。

と、話は逸れましたが、
そんな山内夫妻の居城に来ましたよ。
う~ん感慨深いなぁ。

この山内さんが土佐に入城したことによって、元々の領主である長宗我部さんをその地位から追い出す形になっちゃったわけでして、
山内さんちの家臣は上士、
長宗我部さんちの家臣は下士、
という差別構造が出来上がり、
こんな世の中どうにかせんといかんぜよ、と立ち上がった下士の坂本龍馬が生まれるわけですよ。
すげー。
江戸時代のスタートから幕末まで、歴史はちゃんとつながってるんだな~。

幕末には山内容堂さんも重要なキーパーソンだし、
土佐藩って濃いですなぁ。


しみじみ思いながら城内を散策していると、
おや、こんな所に、
「少年よ大志を抱け」


じゃなかった。
あれはクラークさん。
こちらは、

「板垣死すとも自由は死せず」

板垣退助さん。失礼いたしました。
でも似てるな。

いはやはそれにしても偉人が多い所だこと。


さてお城の中は歴史博物館。
というのはどこの城も定石ですが、
その展示の中で面白いものを見つけました。
それがこれ。

土佐の鯨漁之図。
当たり前だけど、鯨ってデカいんだな。
こりゃ命がけだわ。

これ、ジオラマなんですけど、接写したらなかなかの迫力でしょ?
その精巧さに思わずシャッターを押してしまいました。(写真撮影可)

あ~こういうの作るのすごい楽しそう。
やってみたーい。

そういえば、ジョン万次郎も土佐の漁師だったなー。
彼も幕末の主要登場人物。
本当に人材の濃い県ですな。

さてそんな高知城。
現在、お城の中は近代建築、という場合がほとんどですが、
高知城はお城の中もお城でした。
木造で、古くてものすごく急な階段があって。
しかもその階段、実用品だし。お年寄りはまず無理だろっていうくらい急なんです。
敵が来たら石を落とす、とかいう穴なんかもあって、
なかなかに見ごたえ十分なお城でしたよ。