梅の香庵~うめのかあん~

梅の香堂別館喫茶スペース*梅の香庵*
とりとめないことをとりとめなく・・・

ヨイ豊

2018-02-04 15:14:56 | 読書
立春。
昨日は椿さんと豆まきをしましたよ。
私が豆を投げる役、椿が豆を追いかける役です。
楽しく邪気を払って、我が家の無病息災ゲットしたも同然。

さて、久ぶりの「読書」カテゴリー。
本日ご紹介したい一冊は、
梶よう子著 『ヨイ豊』


ヨイトヨ、と読みます。

そういや最近本読んでないなーと思って、少し前に書店をぶらついた折に目に留まりました。
作家さんは初めましての方。
帯には「江戸が終わっちまう」の文字。
幕末の浮世絵師のお話かあ。おっと直木賞候補作とな。
そういう謳い文句も後押しして手に取りましたが、いや、これ、当たりでした。
浮世絵師関係の話は何冊か読んでいるけれど、これは今まで読んだものとは違う雰囲気のものでした。

一言でいえば、なんとも切ない。

帯の文句のその通り、江戸が終わっちまうお話。
時は幕末。
主人公は浮世絵師。

ただし、その浮世絵師は北斎でも歌麿でも写楽でも国芳でもない。あまり有名ではない浮世絵師。
二代目歌川国貞。
国貞はけっこう有名だけど、その二代目。
正直実績はぱっとしない。
物語の中の彼もあまりぱっとしない。

その二代国貞生きる江戸は、1868年の明治元年までカウントダウン開始の幕末も幕末。
しかし、彼を含め、お江戸の庶民はあまり政治に興味はない。
黒船がやってきたり、開国したり、薩長がきな臭い動きを始めたり、外国と戦になったり、殿様が変わったりしても、
そういう小難しいことにはあまり興味は無い。
なにやら物騒な世の中になって困っちまう、ていうのはあるけれど、尊王も攘夷もどっちでもいい。
あくまで物語の背景の出来事として、遠くで聞こえるニュースのように歴史が動いている。

なんだろうね。幕末モノで、これだけ政治に無関心ていうのも珍しい。
彼らはただ、絵を描いて、そして歌川の系譜を守ることに必死なのだ。

そうこうしているうちに江戸が東京になった。
ちょんまげを落とし、鉄道が走る。
そして、浮世絵が消え始める。

印刷技術が導入されて、彫り師も刷り師も不要になる。
新聞が流行り始めて、写真がもてはやされる。
もはや浮世絵なんて、時代遅れの無用の長物になってしまったのだ。
そして明治政府は意図的に「江戸的なもの」を排除した。もちろん江戸絵と呼ばれた浮世絵は真っ先にやり玉に挙げられる。

その時、浮世絵師はどうしたのか。

彼らは、北斎、初代豊国、広重、国芳、三代豊国(初代国貞)といった、今なら神様レベルの絵師たちと同時代を生きて、直接会って、作品に触れてきたのである。
その彼らが、浮世絵などいらないという時代を経験する。
いったい、どれほどの虚しさだっただろう。

なんとか守りたい。
でも、ビッグネームはもはやいない。
時代にも求められない。

二代国貞は、猛スピードで変わっていく時代の中で、もがいてもがいて、
無駄だと知りつつもがいて。
あたかも、天にの昇っていく煙を素手で捕まえようとするような、そんな虚しさ切なさが胸を突く。
二代国貞は、自分の才はたいしたことないことを知っていた。でも浮世絵が好きだった。消えゆく江戸を残したかった。
絵師の描く江戸の景色が消えていき、
掘りと刷りの洗練された技術が失われようとしている。

華々しく散った徳川方の武将ならば、江戸の終焉とともに、物語「完」となるし、
維新の志士たち側ならば「にっぽんの夜明けぜよ!」つってやっぱり物語「完」となる。

でも、そのどっちでもない彼らは、変わりゆく時代の中でその変遷に流されながら変化を受け止めなければならない。
それまで当たり前だった時代が消えていく。
それはきっと、故郷がなくなるようなものじゃなかろうか。
ただただ悲しい。仕方ないのは分かっているが哀しい。
だからと言って、徳川復興だ!とかそういう思いがあるわけではない。そういうんじゃない。そんな気はさらさらないが、変わっていく時代が切ない。

江戸から明治への変化はあまりにも劇的だったのだ。
そこで生きていく人たちはどんなにか困惑しただろう。

物語の最後、画廊が浮世絵を外国に持っていく場面で、私ははたと気づいた。
そうか。
そうだったのか!

浮世絵にちょっと興味のある人ならばご存知のように、貴重な浮世絵は日本よりも外国で多く保管されていた。
今でも、外国の美術館主催の浮世絵展がけっこうある。
私はそれを、当時の、価値のわからない日本人が大量に外国流出させたのだと、なんだか悔しく思っていた。

でも気づいた。

これが史実かどうかは分からないので、あくまで素人の一想像だと思ってほしいのですが、

あれは、浮世絵を守るためだったのではないか。
明治の日本に置いておいては、浮世絵に未来はない。破棄されてしまう。
だから、珍重してくれる国外へと逃がしたのだ。
そして、その価値が日本で再確認される時代を待っていたのだ。
タイムカプセルだ。

その思いに達したとき、なんだか泣けた。
江戸は、消えてなかったよ。国貞師匠。

ああ、いい本読んだ。


長々と語ってしまったので、お口直しに。

北斎のマガモの絵を思い出す。
こないだまた白鳥を撮りに行ったのだが振られてしまった。飛んでるところが見れなかった。
代わりにカモ。

つぶらな瞳。
大量のカモのほかに、名前の知らない水鳥、スズメにカラスにセキレイ、もちろん白鳥も。鳥天国でした。

久しぶりの猫スケッチ。

野性味あふれる目つきが椿っぽい。


画は、暮らし向きにはまったく役に立たないが、眼にした者の心を浮き立たせる。
ただの風景が、ただの役者が、町場のただの女が、皆の気持ちを安くする。
(『ヨイ豊』より)

浮世絵師は今でいうイラストレーターだと思う。
画家ではない。画工。
その役割は江戸と変わらない。画工ならば、そういう絵を描かねばな。