'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

●浅川マキ、ジュリーヲ歌う

2015年11月22日 | その他

 

 78年「寂しい日々」

 

 


こないだ、マキさんの78年作「寂しい日々」を聴いてたら「ほら あの女の流行歌 猫の目のような 女だよ ジュリーもいいね」って歌詞がいきなり出てきてビックリ。

洋楽のカバーか作者が外人名、日本語詞はマキさんご本人、まさかマキさんの歌から「ジュリー」が出てくるとは!

 

 



果たしてこの「ジュリー」はあの「ジュリー」なのか?

「チビのジュリー」みたいに単に「ジュリー」ってだけで、あの「ジュリー」ではないんじゃないのかって??

答えはマキさん自身のライナーにあり、”吉野さんはジュリーのうたの録音やら、キャンディーズやらひどく忙しかったに違いない。”

これは間違いなくあの!「ジュリー」だ。

 



そして、「吉野さん」とは確かマキさんのほぼ全作に関わってる(全部?)吉野金次さんのこと。

吉野さんの関わった細野晴臣の名作「HOSONO HOUSE」を狭山の細野さんの自宅で録音中、細野さん宅でジュリーの「危険なふたり」をプレイバックしてたなんて逸話もどこかで読んだことあります、ジュリーと同時に手がけてたということ、歌謡界からもフォーク&ロック界からも人望の厚い名エンジニア。

この「ジュリー」が出てくる「MRマジック・マン」というつのひろさんと掛け合いで歌われる曲、マキさんにしてはかなりポップ寄りで78年という時代を反映しています、このアルバムの前半部は全てポップ寄りの曲でこれが70年代最終作。

マキさんと言えば実際ジャズ系のプレイヤーがバッキングしてるのが多いし、ジャズ~ブルース~フォーク辺りの印象が強いかと思いますが、個人的には80年代中期~後期の実験的かつポップな作品群にこそ、マキさんの真の凄さを感じる。

当然ジャズ系の作品は悪かろうハズがない、でもこれは想定範囲内。

ところが現代的なサウンドをバックにポップな曲を歌っても全く違和感がない、晩年ヒップ・ホップをバックにトランペットを吹いたマイルス・デイビスのように、マキさんもその手のサウンドで歌ってもきっと不変だったことでしょう。

実はその辺りの作品群に触れたのは結構最近、マキさんの作品は全部で30枚前後もありとても聴ききれない・買いきれない(いまも数枚は入手困難)、おまけに亡くなるまでほとんどの作品が未CD化・廃盤だった、これはマキさんのCDの音に対する不信感も影響してたとか。

録音は吉野さん、写真は田村仁さん、ジャケットの統一感といい1つ1つに相当こだわりのある方でした。

80年代はセールも悪かったのでしょうが、東芝さんよくこんな作品を毎年毎年出してくれたもんです、会社からは「またおかしなのを作った」と言われ続けてたそうで(笑)

ジュリーに詞を提供してる話はここでは不要かと、もし”「CoCoLo1st~夜のみだらな鳥たち~」を深く知る10枚”があればマキさんの86年作「アメリカの夜」はぜひとも入れたい1枚、トランザムの1stもどうかな?

 

 86年「アメリカの夜」

 



あぁ、それにしてもマキさんを最初に聴いたのは16だし、18、9の頃には1st「浅川マキの世界」だって持ってたし、毎年年末に行われる池袋の文芸座ル・ピリエでの4日間だかの恒例の連続公演、91年か92年に今年こそ1度と実際会場に向かったのに確かサイフを忘れたか(?)、何かつまらない理由で帰ってしまった事がありました。

その後興味の対象が洋楽に移ったり、結局はそれが生でマキさんを見る最初で最後のチャンスになるとは。

こんな凄い歌手が2010年、ついこないだまでこの日本に居たなんて、まんざら知らなかったワケでも興味がなかったワケでもなし、自分はいったい何をしてたのだろうか?

マキさんの最後の様子が描かれた文章に、今では年に数回のステージしか立たないマキさんの最後が、その1年365日ある中のわずか数日の公演中のホテルだったというのがとても印象的、出来ることは残された作品をくり返し聴くことぐらいか、1度でいいどうしても生の歌声を聴いてみたかった・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 














 

 

 


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