'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

●1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代

2017年12月27日 | その他

 

 

たぶん10回くらい読んだ名著「1976年のアントニオ猪木」、作者は柳澤健さん。

続編の「1985年のクラッシュギャルズ」、「1993年の女子プロレス」、「1964年のジャイアント馬場」も面白かった。
いつの間に新作「1984年のUWF」が出てるので、懐かしく今だから話せる的内容も含め興味深く読みました、ほぼリアル体験世代。
ま、格闘技関連もコアなファンさんがたくさんいるので、賛否両論のようですが・・・

作者の柳澤さん、他に読んでないので何か書いてるのかな?
と、調べたら「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」というのを発見。

お世話になってる先輩ジュリーファンさんのメールに「林美雄」の名がよくあり、ある世代には大切な方なんだろうなと思いながら1冊だけ格闘技関連じゃないのも気になる。
世代的にパックインミュージックも聴いてないし、林美雄さんもなんとな~く「ユアヒットしないパレード」ぐらいしか知らない。

これは面白そう!さっそく検索~図書館でめっけ。
「買えよ」って自宅から10分、22時まで営業中のわが街の強力な図書館を利用しない手はない(笑)
今はカードでピッでお持ち帰りOK、全国そうではないんだろうけど便利になり利用率がグッと上がりました。


話は1970年代初め、林さんは70~74年夏までド深夜の3時~5時の時間帯、スポンサーなしを逆手に映画やデビュー間もないユーミンや石川セリなど猛プッシュ、自分の趣味で破天荒なラジオをやっていたTBSのアナウンサー。
反面テレビ的には同期の久米アナ、1期下の小島一慶アナの華やかな活躍に隠れ目立たぬ存在だったようで、知らなかったのも当然かなと。
このラジオは当時の1部若者に多大な影響を与え、放送終了に反発する若者集団と林さんを巡る物語に、終了後開催されたイベント「歌う銀幕スター夢の狂宴」、ユーミンの初代ファンクラブ発足、1年後にラジオは格上げ再開されるもスポンサーの制約により以前のような番組が作れない葛藤などなど、林さんの生涯が描かれています。

読んで何が驚いたってそこで紹介してた映画や音楽、これは私のフェイバリットムービーばかりではないか!
そうそう洋画じゃなくて邦画、しかも黒澤明とか巨匠のじゃないマイナーな日活ニューアクションにATG、暗い青春もの、最後にみんな死ぬ奴(笑)
わかるというかわかりすぎて怖いくらい、当時ラジオを聴いてた若者と20くらい世代が違うのにどうして同じことをやっていたのだろう?

「八月の濡れた砂」「暴走集団71’」「反逆のメロディー」「新宿アウトローぶっとばせ」「鉄砲玉の美学」「書を捨てよ街出よう」「竜馬暗殺」「無頼」シリーズ、どれもハタチ前後見た奴ばかりだ・・・
今ではDVD化されて簡単に見れる映画もありますが、90年代初頭くらいだとCS放送もないし中々見れないのも多く、「野良猫ロック」シリーズも全作見るのに3年がかり。
スパイダース、テンプターズ、ジャガーズなどのGS映画も、ずいぶん長い時間かけてようやく見れたおぼえがあります。

知らなかったのがこれらは映画斜陽にあり日活ニューアクションなどリアルタイムでは評価は低く、当時の若者も林さんのラジオの影響から少し遅れて名画座で見てたんですねぇ。
私も本に出てくる場所と同じ、たとえば池袋の文芸座のオールナイトを始めとする東京の名画座で見てただけに、よけいに気持ちを重ね合わせちゃって。
林さんも紹介してたという「あらかじめ失われた恋人たち」は、誕生日に文芸座のオールナイトを見ながら館内で19歳を向かえました、あの時映画館から出て見た朝焼けは今も忘れられない。

目だけやたらギラギラした若者、血と汗と涙とにかく男・男・男!、主役も敵役もみんなカッコイイ。
劣化したヒビの入ったフィルム画面、映画なんか見ないで寝にきただけのおっさん達、ストーリーなんて全然わからないATG映画、期待もしてない作品がとんでもない傑作だったり、名画座のオールナイトの空間、いやいや思えば青春の1ページでした。
名画座通いは22歳くらいまで、全部がマイナーな邦画、いまこの歳で見てもあんな気分にはなれそうにない。


極めつけは本でも度々登場する原田芳雄さんの「赤い鳥逃げた?」。

コレも何の情報もなく浅草のオールナイトで夜中の3時くらいに見て熱くなって、どうしてDVDにもなってないんだろう?
見てからもう1度見たくて見たくて、10年後BSで放送してくれましたけどね。
原田芳雄さんの歌う「愛情砂漠」!たまんねぇ~歌いたくなるよね、「やることなくなったらジジイだ」って最後突っ込んで全員ドッカーン。
若者達が名画座で隠れた邦画の傑作を見るちょっとしたムーブメントがあった、まさか15年以上後に同じような場所で同じ映画見て1人興奮してたなんて・・・


ラジオ終了後の75年1月、林さんはそれらの映画の大物役者さんを総動員し「歌う銀幕スター夢の狂宴」というイベントを開催、演出はあの長谷川和彦監督。
その時、打ち上げで文太さんが長谷川監督に「一緒に映画撮ろうよ」と盛んに話かけていたという話も、75年の話だから結局そうなってああなるワケで。


話は林さんの愛したブレイク前のユーミンや、「八月の濡れた砂」の石川セリさんの話にも及びます。

ユーミンに関しては全作制覇したくなる程のファンではないです、ただ初期の荒井由実時代、特に最初の2枚「ひこうき雲」と「ミスリム」は私の中でも特別な作品。
荒井由実時代唯一未聴だった4作目の「14番目の月」をわりと最近思い出したように聴いて、予想通りと言うか悪くないけど最初の2枚を越える内容でもなかったなと。
その違和感に対する答えがこの本の中にはありました。

ユーミンの最初のファンクラブを立ち上げたのも林さんを支持する若者達、その彼等も3作目の「コバルトアワー」に共感出来ず中心メンバーも誰も買わないで、数ヶ月には自主解散。
ユーミン自身最初の「ひこうき雲」と「ミスリム」は十代の頃に書いた二度と作れない作品であり、「コバルトアワー」以降はプロを意識した作品だと語っていて、なるほどなーと納得。

1973年の深夜から早朝、「ひこうき雲」「ベルベット・イースター」、番組最後には「雨の街を」。
体験してないけど想像しただけでゾワッ、本物の深夜があった時代フォークでもロックでもない無名の歌手の歌をどう受け止めたのだろう。
明け方の窓に青白い空を見ながら、孤独の中聴いた音楽がどれだけ心に響き忘れられないか、こればかりはネット・ケータイがない時代に育てられて良かったと思う。

石川セリさんの1st「パセリと野の花」のライナーが林さんだったとは持ってたのに気づかず、コレもたまらない作品。
アナログとボーナストラック満載のCDの2枚を・・・あっ、キリないですね(笑)


昔は情報がなくラジオが大切な情報源だったのは理解出来ます、まして1970年代なら尚更。

たとえば私の世代の話だと、とんねるずが「ベストテン」で「大きなお世話サマー」というGS風の曲をGSの大御所をバックに歌ったことがあって、放送後のオールルナイトで「ベストテン」のスタッフにも元GSがいるんだってエドワーズの強烈な「クライ・クライ・クライ」を流したり、楽屋でワイルドワンズの植田さんが「熱狂GS図鑑」という本を持ってたと話したのです。

なんだその本は?この曲は?、神保町に探しに行って見つけてボロボロになるまで読んで、ついでに見つけたのが「我が名はジュリー」だったり。
手にした点のような情報がパズルの1片みたいなもんで、それをガチャガチャと組み上げて行くような作業を当時はしてました。

ジュリーもメディアから流れるのは「勝手に」や「TOKIO」ばかり、過去にどんな作品を出してきたか、これだけじゃないだろう?
基本的な情報すら無い場所から始まりました、今なら楽にネットでポチで終わってしまう話ですが。
時間をかけて組み上げた分思い入れだけは強く、それが結局今でもジュリーがどうこう、ジュリーにこんがらがってるのであって・・・(←ディランの「ブルーにこんがらがって」のパクリ)


おまけに知りたかったTBSの番組「チャーミング奥様」の情報まで。
久米さんや林さんが日替わりで担当し3ヶ月で終わったというこの番組、78年1月9日にジュリーも出てて「あなたが見たいジュリー映像マイベストテン」のたぶん20位内にはランクイン中、見たい!

ジュリーブログ的に寄り道すると、この放送日は「夜のヒットスタジオ」、夕方には「ぎんざNOW」で「あなたに今夜」「ラム酒入りのオレンジ」「サムライ」など4曲を披露、おそらく全部が生放送、新曲「サムライ」のプロモーションまっしぐらの毎日。



さらに本には初期の深夜ラジオの成り立ちについても詳しく描かれ、1970年代の若者文化を知る格好の教材の1つ。
これはちゃんと購入して手元に置き何度も読みたい一冊、最後にきて今年読んだ本のベストが出ました。


「世の中には広く知られてないけど素晴らしい物がある。
本当にいい物は隠れているから自分で探さなくてはいけない。
自分がいいと思った物を信じて、どこまでも追いかけるんだ。」


林さんの教えとなるこの言葉、自分がやってきたことを形にしてくれたような素晴らしい名言に涙。

 

 

 

 










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