さて、日本映画専門チャンネルで明日(5月25日)「私がつくった番組マイテレビジョン」で72年の貴重な阿久悠さんの番組「オレのつくった歌 オレのベストテン」が放送されます。
ジュリーにはまだ提供してない時代ですが年代的に貴重な72年のVTR番組で他の出演者回も含め楽しみです、録り逃しのないようにメモ用UPと・・・
あと、今から別の回が朝方4時にもやるんだよね。
では、おしまい。
と行きたいとこですが(笑)、ヒデキとジュリーの初共演について少し。
おそらく72年5月の日劇ウエスタンカーニバルが初ジュリ&ヒデではないでしょうか?
このステージでトッポに代わるタイガース候補の1人だった田頭信幸、伊丹のサッチン、ヒデキ、ジュリーの4人でポール・リヴィア&レイダースの「カントリーワイン」を歌いました。
ポール・リヴィア&レイダースと言えば、タイガースがTV初出演時「キックス」をカバーしたグループとしても有名ですね。
奇跡的にもこの時の音源はファンの手により残されており、この時代特有のグルーヴ感たっぷりの手数の多いドラミング&ブラスで超ノリノリ。
ファンの奇声が凄まじく、「見えなーい!」「見えませ~ん!」って悲痛な叫びもハッキリ聞き取れてなんだ今のジュリーのライブと45年経っても同じ(笑)
この音源はPYG中心の物なのでカットされてますが、他にヒデキはデビュー曲の「恋する季節」も歌ったようです。
個人的に初めて手にしたPYGの裏物、比較的お持ちの方も多い気がします。
この3人「新人三羽烏」って言われたの??
ちなみにサッチンこと伊丹幸雄さん、私の世代だと「ひょうきん族」ですがデビューの72年は「青い麦」「合言葉」「僕だけひとりぼっち」と好調だったものの、翌年には早くも失速。
このようにあいざき進也、豊川誕、草川祐馬、渋谷哲平、川崎麻世、城みちる、などなど瞬間風速的人気はあったものの、新御三家+ジュリーを凌駕する男性ソロアイドルが1970年代の10年間1人も現れなかったのも謎と言えば謎。
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こんな野外ライブ対決もありました、ヒデキのは「ブロウアップヒデキ」という映画でDVD化もされてます。
武道館の日本人”単独公演”としては76年暮れのジュリーより前にヒデキは2回も、他に南こうせつさん、意外な伏兵として加山雄三さんも少しだけ先。
注・ただ1人で登るのを「世界初”単独”登頂成功」、リンドバーグの「大西洋”単独”無着陸飛行」は教科書で教えるような話。
日本人初ならザ・タイガースでも、”単独”を頭に付けるなら1人でやったヒデキが初が個人的見解。
この問題の言い回しこだわりすぎだけどいちおうコレ書いとく・・・じゃニュースで「単独登頂」「単独横断」成功って言うのはいったい何なの?
あぁ行ってみたいジャズ喫茶「パンチ」・・・
この「広島のジュリー」話し他にも載ってますけど
「北海道のジュリー」が松○千○さんってマジ(笑)
「あああ あああ
一日一日 遠くなる
わたしの時代が遠くなる
そして あのこも あのひとも」
(小林旭「昭和恋唄」 作詞・阿久悠)
パッショネイトって何?どんなん?
この2曲好き
こないだサンプラ帰り歩いてたら
高円寺でみっけ(笑)