おそらくTV初披露「東京音楽祭」予選
79年5月24日(木) 朝日新聞 夕刊(12面)
パルコ ジュリーのヌード姿の一面広告掲載 (←一見の価値アリ、カッコエエ!)
”時代の心臓を鳴らすのは誰だ”
79年5月29日(火) 「微笑」広告
”女装 沢田研二は本当にホ○か!?
妖しい性の魔力に肉迫する 新曲「OH!ギャル」化粧にホ○族 興奮!
女性ファンは戸惑い!ジュリーの性の深奥がわかった”
ちなみにとなりには・・・
”ただ今!日本列島北上中!恐怖の口裂け女の全足取り”
同日 「週刊女性」広告
”変身ジュリー「ヌード」と「女装」の舞台裏!
賛否騒然のお化粧に1時間はかける沢田研二の心意気”
79年5月31日(木) 「女性セブン」広告
”ジュリーの赤ちゃんを独占激撮!
5月22日昼さがり お待たせしました撮ってきました”
同日 27thシングル「OH!ギャル」発売
79年6月22日(金) 朝日新聞 朝刊(31面)
コラム「ポップス*ぽっぷす」サウンド解剖学6 宮川泰
”セクシージュリーまた変身 「♂」と「♀」の割合を大逆転”
※宮川先生による「勝手に」から「ギャル」までの楽曲分析
79年6月26日(火) 「微笑」広告
”沢田研二のホ○は失敗だった
東京音楽祭でジュディ・オング、大橋純子に惨敗!
大賞奪還も赤信号”
ちなみに5月24日ヌード広告掲載のその翌日・・・
79年5月25日(金) 朝日新聞 朝刊(25面)
コラム「たれんと模様」
「田中裕子 初仕事まだ夢中」
”初めてのギャラはそっくりご両親に
そこから改めておこずかいをもらい洋服を購入したようだ”
※自転車に乗り笑顔の裕子さんのフォトあり
【感想】
・世間をお騒がせしました・・・
・「TOKIO」以前にこういう積み重ねが井上バンド解散へジワジワと追い込んだのだろうか。
・「ギャル」は映像が少ないと感じていたが、実際この時期にしては意外とテレビに出てなかった、その理由は「太陽を盗んだ男」の撮影が忙しかったのでは?
・この時期、口裂け女ネタが多い。
当時みんなで口裂け女が苦手なポマード片手に探しに行った、見てるとこのまま新聞に顔うずめてたまらなくあの頃に帰りたくなってきた(笑)
・ジュリーが嫌いなのはともかく、熱き血潮がほとばしるギラギラの野郎の時代・70年代から、80年代は女子大生や女子高生が時代をリードする世になってしまったワケで、阿久先生の時代の先読みは当たっていたのかもしれない。
ダメダメ
子供がマネするからそんなラッパ飲みしちゃあ
あ~あ・・・・