落語の師と崇める方から年末に電話をもらい、「今度の『東京かわら版』」を読みましたか、と訊かれた。権太楼師匠のインタビュー記事についてだった。記事を読み、師匠の「鰍沢」の解釈にうなった。奇をてらっているわけではなく、逆に「なぜ、これまで、この視点がなかったのか」と思える解釈だった。
大圓朝は、あまりに上手かったため、ほかの噺家が嫉妬し、大圓朝の得意ネタを先回りして演じてしまうため、新作を次々に作り出したという。「鰍沢」も三題噺から生まれた噺だといわれるが、これだけ長く語り継がれる噺になっているのならば、権太楼師匠のような解釈が生まれてもいい。
個人的に思うのは「文七元結」。あれも大圓朝の作だが、どうもしっくりこないのです。噺の中心人物が誰かが今一つわからない(長兵衛じゃないの?)、で、誰も改心したり、一人前になるわけでもないのに、みんながハッピーエンドになってしまう。
ありがとうございます。喬太郎師匠の文七は聴いたことがないのですが、そういう解釈です。@sho_elephant 喬太郎師匠の、一年働いてお金を返しに行くところで文七に会うバージョンはどうでしょう? 私も聴いたことはないのですが、苦労して稼いだお金を渡す方が重みはありますよね。
もし、喬太郎師匠のような解釈がなければ、その後の「文七」はハッピーではいられまい。長兵衛は博打に再び手を出し、近江屋に無心に行く。文七は碁に夢中になり、また仕事をしくじる。今度は長兵衛と文七が、連れだって身投げをする。で、そこへ通りかかった博打好きの・・・、あれ、噺がループする。
今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。 ぼくと細野さんと茂の三人で棺を支えて。 持ち方が緩いとか甘いなとか、ニヤッとしながら叱らないでください。
眠るような顔のそばに花を置きながら、 ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました。 だから片方が肉体を失えば、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします。
北へ還る十二月の旅人よ。ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。 なぜ謎のように「十二月」という単語が詩の中にでてくるのか、やっとわかったよ。 苦く美しい青春をありがとう。