「丑五郎橋」の素朴さに心打たれた私たち。
もうそろそろ宿泊予定の「山暖簾」のチェックイン時刻(15時~)も近づいています。
チェックインまでの時間つぶしに。。。くらいに考えていた石橋めぐりもやってみるとなかなか興味深いもので、「どうする?あと少しだけ足を伸ばしてから戻る?」と、一番先の橋まで見たい気まんまんになっております。
マップによると世知原の(多分)メインストリートである54号線を北上すると立て続けに「祝い橋」「岩下橋」「前原橋」「曲川橋」の4つが架かっているようです。
不安材料としては「祝橋」を除いて全部が昭和初期に架けられているということ。
そして、山奥ではなく、メインストリートから1本入った民家が立ち並ぶ舗装された道に、普通に現在も使われているだろう現役の橋であるということ。
でも、せっかく来たからには見て見ましょう、と、祝橋を目指すとまさに54号線の分岐点にありました。びっくりすることに車でらくらく通れる広さ。
たしか、大正2年に架けられた橋というわりには、コンクリートで欄干が作られていて、明らかに道も広くしている様子。
せめて、土台を見て見たい。。。と草むらに入り込んで見てみましたが、荒れ放題の木や草でまるで土台みえず。
ここは、川までの高さが11メートルもあるのが魅力的な橋なのに、よさが全然伝わってきません。
yukiカメラマンもこの橋を全く撮る気無し。
私もその気持ち、よくわかります。
惜しいな。
橋のすぐ近くには小さな神社があって橋を守っているような格好だから、せめて補修もどうにか方法があったんじゃないかな~もったいない。
と思いながら、大正時代のがこれだから、昭和の橋はイマイチかもしれんね、と益々確信を強めて、その先の「岩下橋」に行ってみると、あはれ(憐れ)!
見るも無残な中途半端さ。やはり生活道路だからしょうがないのでしょうね。
コンクリートで拡幅されていました。
せめて、下の土台の部分だけでも、、、とyukiカメラマン撮影。
今まで見てきた、橋が素朴で情緒があってすばらしかっただけに、この先の橋は全部こんな感じなんだろうと、この先を見るのを止めて、山暖簾の方角に戻ることにしました。
うーん。微妙でした。