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日常の視点

世知原の石橋「祝い橋」「岩下橋」「前原橋」

2007年12月03日 | ちょこっと旅


「丑五郎橋」の素朴さに心打たれた私たち。
もうそろそろ宿泊予定の「山暖簾」のチェックイン時刻(15時~)も近づいています。

チェックインまでの時間つぶしに。。。くらいに考えていた石橋めぐりもやってみるとなかなか興味深いもので、「どうする?あと少しだけ足を伸ばしてから戻る?」と、一番先の橋まで見たい気まんまんになっております。

マップによると世知原の(多分)メインストリートである54号線を北上すると立て続けに「祝い橋」「岩下橋」「前原橋」「曲川橋」の4つが架かっているようです。

不安材料としては「祝橋」を除いて全部が昭和初期に架けられているということ。
そして、山奥ではなく、メインストリートから1本入った民家が立ち並ぶ舗装された道に、普通に現在も使われているだろう現役の橋であるということ。

でも、せっかく来たからには見て見ましょう、と、祝橋を目指すとまさに54号線の分岐点にありました。びっくりすることに車でらくらく通れる広さ。

たしか、大正2年に架けられた橋というわりには、コンクリートで欄干が作られていて、明らかに道も広くしている様子。

せめて、土台を見て見たい。。。と草むらに入り込んで見てみましたが、荒れ放題の木や草でまるで土台みえず。

ここは、川までの高さが11メートルもあるのが魅力的な橋なのに、よさが全然伝わってきません。
yukiカメラマンもこの橋を全く撮る気無し。
私もその気持ち、よくわかります。

惜しいな。
橋のすぐ近くには小さな神社があって橋を守っているような格好だから、せめて補修もどうにか方法があったんじゃないかな~もったいない。

と思いながら、大正時代のがこれだから、昭和の橋はイマイチかもしれんね、と益々確信を強めて、その先の「岩下橋」に行ってみると、あはれ(憐れ)!
見るも無残な中途半端さ。やはり生活道路だからしょうがないのでしょうね。
コンクリートで拡幅されていました。

せめて、下の土台の部分だけでも、、、とyukiカメラマン撮影。

今まで見てきた、橋が素朴で情緒があってすばらしかっただけに、この先の橋は全部こんな感じなんだろうと、この先を見るのを止めて、山暖簾の方角に戻ることにしました。

うーん。微妙でした。






世知原の石橋「丑五郎橋」

2007年12月03日 | ちょこっと旅

奥の口橋で、すっかりテンションMAXになっちゃった私たちは、奥の口橋と同じ川沿いの「丑五郎橋(うしごろうばし)」をめざし、車で移動します。

さっきの奥の口橋でも思ったのだけれど、この小さな川沿いの道から見る川は、切り立ったような急な勾配があるような奥深い谷になっていることが多いようです。
あたりは本当にひっそりしていて、誰も来ないような雰囲気なのですが、目指している「丑五郎橋」はさらにその傾向が強まっていくようです。
山道を登っていくと民家が少なくなり、段々畑や棚田が延々と広がる農道のような田舎だったらどこにでもあるような山道の風景になってきました。

マップによると、そのメインの山への道から1本わき道に入っていくような雰囲気。
「ええっ?」と思うような細い道を車で入っていくと、イノシシ対策の電線が通っていて、はるか下は崖のような(畑があります)細い道。

さっきまでさんざん登ってきたけど、今度は急斜面を降りていくような感じ。

なんども本当にここなの??と思いましたが、yukiドライバーが確信をもって進んでいったら、ちょっとだけ広場のようなところに出て、そこに橋の看板を発見。

わーい!と階段を下りていくと、ありました、ありました♪

「丑五郎橋」です。

この橋は、今までの高等な石の組み方とはちょっと違って、まわりの石は、本当にただ自然の石を並べただけのようなとっても素朴な雰囲気。
イカします。

ここは現在は使われていない、私的な橋なんだそうです。田んぼに繋がる農道として、個人的に利用されていたのでしょうね~。

ここはさっきの「奥の口橋」の奥の口側の上流ということだけあって、岩もごろごろ。谷のような雰囲気で、やっぱり滝風な流れも見られます。


上から見るとこんな感じ↓

風流ですね~。

石橋マップによると
架橋:大正時代
農道として作られた石橋で、自然石を巧みに組み合わせた珍しい石橋。名前は当時地主だった真弓丑太郎さんの名前から。

だそうです。

はるばる山を登って、川まで下ってと労力をはらっただけのことはありました。

見つけにくいけど、この橋は見る価値アリだと思います。






世知原の石橋「奥の口橋」

2007年12月03日 | ちょこっと旅

やまぐち橋、いずみ橋にすっかり気をよくした私たちは、もっと、小さくて古い壊れそうな橋が見たい!!
と宝探しのトゥームレイダー気分で、非常にわかりづらいアバウトな石橋マップを片手に散策を続けます。

いずみ橋から先は、宿泊予定の「山暖簾」の方向なので後回しにすることにして、支流の小さな川のほうが、もっと小さな古い橋が見つかりそうで、一旦さっきの倉渕橋を通り過ぎて、「奥の口橋」を目指しました。

この奥の口橋に行くまでは、結構細い道を入っていって小さな公園(
弦掛公園)に突き当たるので、その先をどんどん進んで行き止まりに進んでいきます。

アバウトな地図によるとこのあたりだけれど、奥へ奥へと進んでいくと、本当に綺麗な紅葉があってすばらしく幻想的な薄暗い細道。
まるで映画のワンシーン(中国の映画「グリーンディスティニー」とかあのあたりのイメージ)のようで、ほうっ・・・と思っていると、車を降りて澤を下っていくとありました!
「奥の口橋」

「いずみ橋」の古くてかわいい感じを一目で更新させてしまったこの橋は、なんと壊れていました(笑)。

洪水か何かの時に、片側の石が流れていっちゃったらしくて、片方はアーチの部分しか残っていません。

その様子がなんとも素敵じゃありませんか。
今まで見てきた橋たちは、かなりの頻度で補修&現代的な欄干がつけられていて、これじゃあ、観光資源にはならないでしょう!と突っ込みたくなる中途半端さだったのに比べて、こういう風にそのまま風化させておくというのは、風流でいいです。

橋の向こうからちょっと顔を出すと、まるで自分が「ロード・オブ・ザ・リング」のフロドみたいな小さなホビット族にでもなった気分が味わえます。

そして、橋をしっかり観察してからちょっと離れてもう一度見てみると、そこにはなんとも小さい滝が流れているではありませんか。

橋からミニチュアな滝が流れている様子は、まさに古文で言うところの「いとをかし」。

上から見るとこんな感じ↓



石橋郡マップによると
「架橋:大正15年(1926)
弦掛観音裏の公園の奥にあります。豪雨で片スパンが壊れていますが、今なおしっかりと川をまたいでいます。山道を降りていくと滝といっしょに眺められます。」
とあります。

今までの中ではこの橋が一番いいです。楽しいです。



世知原の石橋「いずみ橋」

2007年12月03日 | ちょこっと旅

やまぐち橋を渡ってそのまま佐々川沿いの道を歩いていくとほどなく、探していた「いずみ橋」を発見!!

超~かわいいんですけど!
とギャル語を使ってしまいたくなるほどに、朽ち果て具合がおじいちゃんぽくて、雰囲気のいい橋です。

こうやって見ると、ちょっとモネの睡蓮があるような風景に見えなくもない??!

この橋は今まで見た中では一番のお気に入りで、テンションもだんだん上がってきました。

大正14年に作られたそうで、かつては
炭鉱住宅への通路として活躍したそうです。