昔みたいに旦那の給料だけで食っていける家は今はない。
夫婦共稼ぎでなければ食べていけない世帯が増えてきて、暇な専業主婦などほとんどいない。
そうなったら、金と時間を無駄遣いさせる新興宗教没落の時代だ。
が、これだけ科学文明の時代になっても、宗教めいたものに対する潜在的な需要はある。
それにつけ込んで、闇の阿闍梨たちが跋扈する。
闇の阿闍梨たちは、二束三文の物品に、怪しげな付加価値をつけて高値で心弱き人たちに売りつける。
それが原価トンいくらのくず鉱石であったり、ラミネートチューブに入った怪しげな紋章の入ったカードであったり、あるいは、怪しげな教説の入った有料小冊子であったり、動画の入ったCDであったりする。
そしてコロナの時代であるから、リアルの布教はできず、ブログやYouTube、そして、SNSなどが布教メディアとなるわけだ。
そうそう、新手のギャンブルも増えてくる。
ネットで小銭が稼げるゲームコンテンツが増えてきて、自分のパソコン代やパケット代とかを自分でまかなおうとする連中が、昔の内職よろしくポイ活で小銭を稼ぎ、ネットゲームとかで一攫千金を狙うようになる。
これでも結局儲かるのは、闇の胴元だ。
いくら文明が発達しても、発達しないのは人の心で、ただ、同じような犯罪とその被害者が、リアル空間からバーチャル空間に移行するだけだと話していたことをおもいだす。
そしてそのわずかなお金を、税務署とクラッカーたちが盗み取ると。
それが闇の盗人だ。
「なあ、いけもと。時世の色は移ろえど、闇の阿闍梨と闇の胴元、そして闇の盗人はつきぬことよのう。」と、亡くなった親友がしみじみ語っていたことを思い出す。
これは亡くなった親友が、1970年代後半に、小学校六年の冬、私に語った言葉だ。
惜しい友をなくしたと、亡くなった親友のことをしみじみと思い出す。
以上、管内お江戸でいけもと。