増田カイロプラクティックセンター たまにひと言 

神経筋骨格・アレルギー(NAET(R))・感情の統合療法。同行ドクター斉藤友美恵の近況レポート

今日は2本だて

2011年11月03日 | 近況
今日は木曜日なので休診日。そして久しぶりに行事なし。
自分のことだけに24時間使える日は、1年の中でも数えるくらい。。。

ということで、今日は映画2本だて。

その前に松坂屋ちかくのDELIで軽くランチ。
若い人が多い店内でひとり平均年齢をかなりオーバーする院長、と私も?かな。
ここは私が映画を観ている間、院長をジュースと共に一時収容する場所だが、私自身が座ったのは初めて。
表参道にもこんな感じのお店があったが姉妹店かな?と思いつつも、もうずっと前の記憶なので。
ちょうどお腹にいい感じの量で味付けもよく、久しぶりにおそとランチを楽しめました。


1本目は「あしたが消える どうして原発?」サールナートホールにて。(9/10点)
1時間弱のドキュメント映画のデジタルリマスター版、だけど方言部分の字幕がもうちょっと欲しかったかな。
しかしこの映画の価値は、22年前に今年起こった福島での出来事を指摘していること。そこに大きな価値がある。

チェルノブイリ原発事故から3年経った1989年5月に公開されたドキュメントだが、当時20過ぎの私はもちろん観ていない。

各地の原発建設や定期検査で指導的立場にいた父親を骨がんで亡くした(享年52歳)女性を軸に話は進む。
原発を否定することは父の歩んできたた道、そして父自身を否定することになるのではないかと悩む女性、しかし「父はなぜ死んだのか?」という疑問を明らかにしていくことが父の死を無駄にしない方法であると原発に関して学んでいくなかで、設計者や現場労働者などの驚くような、切実な証言が続く。

特に今年3月の大震災でメルトダウンを起こした福島第一原発においては、設計者が設計上のミスを証言し、大事故の可能性を証言している部分に、なぜこの22年間、狂った歯車を誰も止められなかったのか、誰もが悔しさを感じざるをえないだろう。

最後にこの女性は言った。
電気を使った便利で豊かな暮らしの蔭では、放射能被曝による健康障害に苦しんだり、命を落としている人間がいることを知っておいて欲しい、と。

家族がそういう立場であれば、皆がもう少し原発について真剣に考えるであろうに。。。
企業や一部の政治家・官僚の言いなりになりはしないだろうに。。。

現在もニュースで各地のホットスポットが見つかり騒がれているが、私たちがテレビを見たり、パソコンを使うための電気を作るために、昔も、今も、そして将来も、原発ではホットスポットとは比べ物にならない被曝を毎日している人たちがいるという現実をニュースではもう伝えない。

現在進行形で彼らの健康被害は進んでいるということ、そして地球を汚染し続けているという事実をどう受け止め、行動すべきか、日本国民みんなが目をそらさずに考えるべきだと感じた。

チェルノブイリ原発事故によるヨーロッパ圏での汚染区域は、日本全体がすっぽり隠れる大きさだ。
福島に住む人たち、特に妊婦・子供、にとって、安全であるという保証は何ひとつない。

政府や専門家があいまいな発言しかしていないのが本当にもどかしいが、もし私が福島県在住だったら100%県外に出ます。
15~20歳以下の家族がいれば200%県外に出ます。これはあくまでも、私ならどうするか…です。

でも、もし今も悩んでいる人がいるなら、判断材料にしてください。
もしくは治療関係なく聞いてきてくださっても構いません。私にできることならお手伝いしますので。

お父さんを骨がんで亡くしたこの女性は仙台在住とでていた。
近況がわからないので、大震災でもご無事でいらっしゃることをお祈り申し上げます。


2本目は、「ヒマラヤ」同じくサールナートホールにて。(8/10点)

これはナンガ・パルバートのルパール壁という前人未到の4500メートルの壁に臨んだ兄弟の実話。
物語の内容を書いてしまうとつまらないのであえて書きませんが、生への執着、そして生への責任、それを強く感じさせられた。
そして映像や音の迫力に、ヒマラヤの神々しさを観た・聞いた思いがした。

これだけの難関となると、単に肉体的な強靭さよりも、精神的な強さとしなやかさが求められる。
この世に誰もが自分ひとりで生きているわけではなく、私たちが現代社会の中で見失っている「生あるものへの敬い」を思い出させてくれた気がした。

両方とも院長も一緒に観た。
サールナートホールの映画は、ロードショウものではなく、いつもはなかなか趣味が合わないので別行動だが、今日は一緒。

今日は映画鑑賞中に騒がずにいてくれた。ありがとう。
左腕は、時折画面を指して大きく振られていたが…。

最新の画像もっと見る