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生活が変わる?

ツボカビ症で緊急事態

2007-01-28 | 自然
  カエル絶滅の危機 

国内で初めて・・・昨年暮れに死んだ
   ペットのカエルがツボカビに感染していたことがわかった

  WWF(世界最大の自然保護 NGO )が緊急事態宣言

 私たち共同署名団体は、この事実を重く受け止め、緊急事態を宣言いたします。
わが国に生息する両生類と生物多様性を保全するため、私たち専門家は速やかに
行動計画を策定し、可能な限りの努力を尽くす所存です。

2007年1月12日、両生類の保護・研究、および日本の自然保護に関わる、
16の研究機関、環境団体などは、国内でのツボカビ症の発症の確認を受け、
緊急事態宣言を発表しました。

これは今後、ツボカビ症の感染拡大の原因になり得るペット業者や
個人の両生類飼育家、マスコミ関係、関係行政機関の方々に対し、
問題の大きさと、早急な対応を求めたものです。

さらに麻布大の研究チームはこの20日に、埼玉県内のペットショップ2店の
カエルが感染していたことを確認したと発表しました。
国内の感染確認例は昨年とあわせて3例ですが、   
         これは大変なことらしい。 
こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが・・
このツボカビは両生類と淡水性のエビに感染するもので人やほ乳類、鳥、魚、
ペットの熱帯魚などには感染しないということなので
「なぁんや~ペットのカエルさんだけの世界の話やん」
とまあ・・自分とこ主義でこの問題を聞き流しておりました 
ところがそれどころではないと思ったのが
    90%の致死率
    伝播力が強いこと
      寄生していなくても、カビだけが水中で7週間生き残れる
      死んだカエルを捨てるとカビの遊走子が通りかかった
      カエルに寄生して感染が拡大していく 

それにこのカビ、一旦野外にはびこると根絶が不可能らしい 

   日本からカエルがいなくなってしまうかもしれない 
      
カエルがいなくなると、餌にしている鳥やヘビが減り、他の動物の絶滅への連鎖
もありえる。また、カエルはたくさんの虫を食べるので、害虫が増えて農作物の
被害拡大も予想される。

私達の生活は「生物多様性」でなりたっている
医薬品の40%は自然界から得られた原料を使用しているという

また、生活していくうえでの不可欠な資源、衣食住、原材料なんかすべてが
生物多様性の恵み

カエルだけの世界の話じゃない
   
それに、もしカエルが絶滅したら
    あの愛らしい姿を二度と見ることができなくなってしまう 

                                  110

不都合な真実・・ゴア前副大統領

2007-01-21 | 自然
民主党のアル・ゴア前副大統領といえば2000年の大統領選挙で 
ジョージ・ブッシュ共和党と戦って、一般投票では勝っていた 
それなのに、ブッシュの弟が知事であるフロリダ州でまぎらわしい集票
をしたため???結果  ブッシュに負けた
本当のところはわからないけど
「ブッシュの勝利!・・なんかあやしいなぁ?」
そんなふうに思った記憶がアル
それ以来ブッシュ大統領には胡散臭さがついてまわってる 

そのゴア氏なんですが・・学生の頃から環境問題に興味を持ち続け、
議会活動・国際会議の場で温暖化対策の必要性を訴えてきました。

1992年には著書「地球の掟・文明と環境のバランスを求めて」を発表

そしてこの1月5日に30年以上の年月をかけて取り組んできた、地球温暖化を
中心とした環境問題に関する研究成果をまとめた本「不都合な真実」を発売 

1月14日には丸善・丸の内本店でサイン会が開かれ、
ゴア氏は「気候の変動は緊急を要するもので、人類が直面している最大の危機。
この本をきっかけに事実を知り、危機を解決する一助となれば」と、
環境問題に関心を持つように呼びかけたそうです。

また1月20日には、同タイトルの映画「不都合な真実」も公開されています。

映画は、世界各国を飛び回るゴア氏の講演活動を追いながら、具体的なデータと
ともに地球温暖化対策の必要性を訴えています。
ゴア氏はすでに世界中で計1000回以上の講演を行っていて、
映画化することに同意した理由については
「今の政治システムを変えるためには、すべての個人、家族、そして国民に
じかに話しかけていくしかない。
米国の政府を変えるには、世論を動かすしかないと思ったわけです」

だからこそ「映画を観る時には目と耳だけではなく心で受け止め、
問題を解決する一員となってほしい」と語り、

日本にたいしては 
「特に日本は、京都議定書のホスト国として、世界に先駆けて
環境問題に取り組む姿勢を示したことで、歴史に残ると思います。
(京都議定書は)この問題に人類が取り組む転換になったできごとだと思います」
とも話しています。

もちろん・・・私達地球人ひとりひとりが  
ゴア氏が「足りないのは行動する意志です」というように
その言葉を深く受け止め「知ること」から「行動する」ことへと拡大し、
波及していかなければならないのだと思いしらされました。

    地球はかなり重病のようです 

 

年賀状・・・いつまで?

2007-01-14 | 社会
毎年元日の楽しみのひとつとなっているのが年賀状 
手元に届く一枚一枚の中にはその当時おつきあいが深かったけど
今は生活の変化からか疎遠となってしまった人の近況が短い一行に
現れていて微笑ましかったり、驚いたり・・
そしてなつかくなったり・・・

不思議なもので、数年あるいは数十年会っていなくても
再び会った時に毎年、年賀状を交わしていると、
ず~~っとおつきあいが続いていたような親密感がありますよね

そして、初出勤の日 
職場に届いていた出してない人からの年賀状  アチャ~
住所を変更し忘れて戻ってきてる年賀状  アチャ~
ウダウダしてるまに10日以上過ぎちゃったよ 

どうしよう 
「あけましておめでとうございます」でええんやろか

確か「松の内」までやったらいいとかって・・
          「松の内」っていつまでや 

  「松の内」とは新年に際し歳神様を迎えるために道しるべ
として門ごとに門松が置かれますがこの松飾りのある期間のことを「松の内」
といいます。神様が鎮座するための場所は鏡餅です。
一般的に「松の内」は1月7日までのことをいいます。    
それを過ぎると年賀はがきとして扱われず消印を押されます

そうか~ しまった 

 この場合・・返事を出すなら、年賀ではなく
   「寒中見舞い」です。
   寒中見舞いは2月4日(立春)までならだしても大丈夫ですよ。

「寒中見舞い」
それって年賀はがきでは出せへんよな。
このお年玉くじのついたはがきで出したい~
14日が抽選日やからまにあうし

それに、確かちょっと前、年賀状売ってたよ?

 年賀葉書の販売期間 は平成19年用は平成18年11月1日(水)
から平成19年1月9日(火)までです

 小豆粥を食べる小正月(こしょうがつ)の1月15日
この日に松飾りを取り払い「松納め」などと呼び、この日までを
「松の内」といってた時期もあったんだそうです

  ということで 
     ポストに今年最後の年賀状を投函しました 


美しい国へ 安倍晋三

2007-01-07 | 読書・音楽・映画
1960年国論を二分した安保騒動 
時の首相で安保を改訂した張本人だったのが
    安倍首相の祖父岸信介氏 
「保守反動の権化」「A級戦犯の容疑者」と批判されていたそうです
安倍首相自身が記述するように
日米安保を堅持しようとする保守の自民党が悪玉で
安保破棄を主張する革新勢力が善玉
そんな流れがあったということですが
安保条約についてはあの恐ろしい原子爆弾を2個も落とした国に
「安保といわれてもなぁ~」国民的感情としては
「NO!」と叫びたい人多かったんじゃないのかな 
国論が二分されたのはわかるような気がする。
ただ、そんなふうに悪玉・善玉と決めつけていた
ということが本当なのかと疑問に思った

この本を読んでの読後感なのですが・・・

安倍首相が おわりに
「政策提言のための本ではない。(略)どんなことを考えていたか、
わたしの生まれたこの国にたいしてどんな感情を抱いていたか、
そしていま、政治家としてどう行動すべきなのか、を正直につづったものだ。」
と述べられているように外交のこと少子化のこと教育のことなども書かれている

しかし私がこの本から受けたものは全編を通じ日本国民の潜在意識の中にひそむ
戦争の後遺症というものなのです。
それはこの本の本意ではないのかも知れませんが
戦争を経験しない私の中にも、この本によって
その後遺症があることを知らされたのです
「戦後教育の蹉跌のひとつ」でかたづけられるものじゃないような気がする
なんだかもっともっと深いような気がする 
この本の行間からあの時亡くなった人々の叫びのようなものが聞こえてくる
 そんな感覚
      なぜなんだろう

また、国家というものに対して国民が誇りに思っていないと
そんな国民感情に「困ったものだ」
     という安倍首相の溜息のようなものも感じられる 
それは日本の国民の心の中にある国家アレルギーというものの存在
そして国家に対しての不信感
もしかしたら・・・
それほどまでにあの戦争は国内外に悲惨な悲劇をもたらし
国民の魂に深い傷跡を残しているのではないだろうか 
おとなしい国民は国家を応援するのではなく、
国家の見張り役と化さざるをえなくなってしまった。

それは平和の大切さを
   なによりも強く望む気持ちのあらわれかも知れない