LOHAS!

生活が変わる?

熱中症・・・

2006-07-29 | Weblog
大雨がそろそろ終わったかな~と思ったら・・・暑い
そうするとチラホラ聞こえるのが「熱中症」
暑い中、汗タラタラで運動していてのど乾いたなあとか思いながら
水を飲みに行くのがめんどうでそのままつづけていたら・・・
ヤバイなんてことを経験した。
本当は運動30分前に水分は補給しておいたほうがいいらしい。
のどが乾いたと思った時には遅い。

こまめに水分補給することはもちろん大切だけど、より速くスピーディに体に水分補給するには塩分が必要
しかし、塩水を飲むのははっきりいってマズイ
そこで出現したのが「スポーツドリンク」
しかし・・このスポーツドリンク・・以前TVで見たんだけど、
長距離トラックの運転手が夏に毎日飲みつづけて糖尿になったとか・・
水分の取り方もムツカシイなぁ~

そもそも熱中症は「無知と無理から生まれる」なんていわれてる
ということは、毎日の生活の中で各人が工夫しなければならないということかーー

だいたい熱中症がなんでおこるかといえば、気温が高かったり、激しい運動や労働などで体内の筋肉から大量の熱が発生することが原因
(・急な気温の上昇・梅雨明けをしたばかりの頃・湿度が高い
・アスファルトやコンクリート、草の生えていない砂地・急な運動
・体に疲れがたまっているときは注意
こうして生じた熱は、汗が蒸発する際の気化熱で皮膚から冷やされる。

この失われた水分を補給してやらないと  熱中症が 

体重の3%以上の水分が失われると体温調節に影響が出るといわれているので
激しい運動や労働をする時は特に・・体重の変化にも注目です。

年々暑くなる夏
吸湿性・通気性の良い素材の涼しい服装や帽子
そしてなにより
賢く水分をとって・・楽しく夏を過ごしましょう 


ゼロ金利解除

2006-07-22 | Weblog
日本銀行は7月14日、ゼロ金利政策の解除を決定しました・・・
市場の短期金利の誘導目標を0%から0.25%に引き上げるということです
 ゼロ金利政策とは、代表的な短期金利である「無担保コール翌日物」つまり銀行同士が無担保で借りて翌日返却する取引の金利をゼロ近辺に据え置くよう誘導するものです。 

2000年8月に日銀はひとまずゼロ金利を解除しています。
しかし、2001年3月に再び復活・・・
この時、日銀は金融政策の目標を伝統的な「金利の水準」ではなく「マネーの総量」に変更しました。金利はすでにゼロですからこれ以上下げることはできません。これが量的緩和政策~~~ 
日本銀行が銀行の保有する手形や債券を購入することによって実施されます
       

今回のゼロ金利解除を受けて、三菱東京UFJ、みずほ、三井住友、りそななどは、現在の年0.001%から0.1%と100倍に、住友信託銀行は年0.2%と200倍に引き上げるそうです。
また金利が適用されるのは、みずほが19日、他行は18日からとか。           
        
1999年2月に導入されたこのゼロ金利政策で私たち国民はどれだけの利子所得を失ってきたのだろうか 

もちろん貸付制度における金利の優遇はあっただろうが・・
その資金を貸し付ける補完貸付制度の金利(公定歩合)については0.1%から0.4%にひきあげるとか 
住宅ローンが・・・・

福井総裁は記者会見で「少し低いところに抑えた」と説明していましたが・・・
この福井さん確か自分だけおいしい思いしようとしてたんとちがったっけ?
あの話ってどうなったんやったっけ???


ジダン

2006-07-12 | Weblog
W杯・・2006年の優勝はイタリアだった。
ローマでは15万人もの人がW杯を制しサッカー世界一になったことに夜を徹して酔いしれたらしい。
それにしても他にこんなスポーツってあるだろうか!
オリンピックで金メダルをとるよりも・・・
国をあげての歓喜・歓喜・興奮
なんかうらやましいなぁ~~一つのことにみんなで連帯して喜ぶその感激!!
どんな、歓喜なのか一回味わってみたいな~~
そんなこと思いながらイタリアの喜びを見てました

2006年のW杯優勝国がイタリアであることは、
多分、4年後忘れてると思う。

しかし・・・
ジダンの頭突きのことは忘れないだろう。
ジネディーヌ・ヤジッド・ジダン
今年の活躍はすばらしかった。
4年前のケガの時も仏のためにそのみじめなプレーを世界にみせていたジダン
今年はうってかわって魔術師のように見事なまでにボールを扱い仏を快進撃させたジダン
彼にはサッカーの神が宿ってるって思った。
だから、拍手喝采でユニホームを脱ぐのではなく。
格好悪いまでにサッカーの中にその身を沈めた。

ジダンがなぜイタリアのDFマテラッツィにあんなことをしたのか
もうそんなこと追求しないでほしい
言われたくなかったから
「言うな」と身体で制した。
それをを白日のもとに晒すことはないように思う
知らないでおいてあげたい。
必要な時に彼が自ら語るだろう

とにかく彼のプレーは私みたいなものでさえ釘付けにしてしまったし、決勝戦はジダンのプレーを見るのが楽しみとなっていた。
2006年W杯ドイツは幕を閉じました・・・・

中村俊輔

2006-07-09 | Weblog
私がW杯に関心を持ったのは4年前のW杯選考の時だった。
はっきり言って全くサッカーというものには関心がなかった。
ニュースがサッカー一色であることに対して苦々しくさえ思っていた。
そんな時、スポーツ紙の一面で「俊輔まさかの落選」
それって・・・選出されるって思ってて落選ってメチャクチャ
選手にとってショックなんちゃうん?????
俊輔ってどんな人かな・・なんかひ弱そう~~~
まさかの落選って言われるようなタイプちゃうやん(サッカーのこと知らないもんで・・・)が第一印象でした。
ところが、4年後の出場めざして単身イタリアへ。
すごいやんその根性!!
ぜひぜひ4年後には選ばれて、後に続く多くの若者に夢をあきらめず努力していれば達成されることがあるんや!挫折は次の栄光を掴むための試練や!
そのことを証明してくれ~~~
あまり期待できそうもない華奢な身体とガッツのなさそうな性格
だからこそそれを証明してほしかった。
これが私勝手な「俊輔応援」のはじまりでした。
おかげさまでそれからはジーコジャパンの試合はほとんど見ました。
俊輔の活躍はすばらしかった
4年前の屈辱を堂々はらし、念願のW杯に選出されたんですからたいしたもんですよネ。私自身がW杯に出場できたみたいな気持ちににもなれ、ほんとに嬉しかったです。
思いはかなうんですねぇー

W杯での活躍はなかったけど、W杯に日本が参加できた一つには俊輔の力が大きかったと思います。もちろんジーコ監督・宮本・川口・中澤・福西・加地・玉田やここはというときの大黒エトセトラのみなさんのおかげでもありますが・・
でも、こうやってW杯に日本が出場したことで他の国との大きな力の差を見せつけられたわけだし、世界と対等に戦うためにはどうすればいいのか分析できるんだし、なによりもこの試合を見た多くの若いサッカー選手達が俊輔のように世界に羽ばたいて育っていくんだろうなぁ~~~
私も随分サッカー通になりました。
これからも、俊輔をはじめみんなを応援していきたいと思っています。

不撓不屈:付録

2006-07-06 | Weblog
不撓不屈のテーマ曲は「心優しき人」でした。

また、プロローグに流れていた、イバノビッチ(ルーマニア)の「ドナウ河のさざなみ」その哀愁のあるロマンチックな旋律はドイツ・ニュルンベルグにとてもマッチしていてこの映画のはじまりにときめきを感じさせていたように思います。

飯塚の自宅にあるTVで放映されていたのは「狼少年ケン」でした。
狼の子として育てられた人間「ケン」が、ジャングルの平和を守るために仲間の動物たちと共に闘うアニメでS38年~40年まで放映されていたらしい。

どうでもいいことなんですが・・・なんか気になりました。


国家権力との戦いNO.2

2006-07-02 | Weblog
発端は飯塚が法人税基本通達二六5(当時)別段賞与
のもと、その賞与を中小企業の資金繰りのため未払として経営にまわし、経営が安定したら従業員に支給するというものでした。
その法解釈をめぐってそれを脱税指南とする当局と争ったわけですが、これでもか、これでもかの国家権力をかさにきた嫌がらせの税務調査がつづき、見ているこちらもしんどくなってきます。そんな時、松坂慶子扮する妻るな子にこころ癒されます。
クライマックスで滝田栄扮する飯塚がドイツ語で会計について講演する場面は圧巻でした。さすが一流の俳優さん達です。
飯塚の戦いは勝訴だけでなく税理士というものの立場についても、国家に付随するものでなく、独立したものとして確立しました。飯塚の戦う姿を見ながらなぜか、足尾鉱毒事件で天皇に直訴した田中正造を思い出しました。いつの時代も先駆者というものは苦労して不撓不屈の精神をもって道を切り開いていくものなんだと感動しました。

本では座禅をする飯塚が印象に強く残ったのですが、映画では、飯塚の座禅をする場面が一度もなくそれが少し残念でした。
また、昭和30年代~40年代の日本の時代風景が再現されていてそれを見るのもおもしろいかもしれません。
ぜひ会計人だけでなく多くの若い人々にも見てほしい映画です。

国家権力との戦いNO1

2006-07-02 | Weblog
                    ※敬称は略させていただきます
映画「不撓不屈」を見に行ってきました。
映画館は上映時間になると(平日6時50分上映)100余りの座席はほぼ満員で会計事務所の職員さんらしき人が多かったように思います。
この映画は「飯塚事件」とよばれる実話で、昭和37年10月に国家権力を相手に訴訟をおこした飯塚毅という一税理士の物語です。それは、昭和45年11月11日に全面勝訴で結審し、なんと7年にわたる戦いでした。
その飯塚毅の半生を「金融腐食列島」などで有名な高杉良が連載し単行本として、ベストセラーとなったものの映画化です。
プロローグは本でも同じですがドイツ、ニュルンベルグにあるDATEVの創始者ハイツ セビガーに会うところから始まります。高杉はこのプロローグのためドイツへ取材に飛んでいます。