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生活が変わる?

美しい国へ 安倍晋三

2007-01-07 | 読書・音楽・映画
1960年国論を二分した安保騒動 
時の首相で安保を改訂した張本人だったのが
    安倍首相の祖父岸信介氏 
「保守反動の権化」「A級戦犯の容疑者」と批判されていたそうです
安倍首相自身が記述するように
日米安保を堅持しようとする保守の自民党が悪玉で
安保破棄を主張する革新勢力が善玉
そんな流れがあったということですが
安保条約についてはあの恐ろしい原子爆弾を2個も落とした国に
「安保といわれてもなぁ~」国民的感情としては
「NO!」と叫びたい人多かったんじゃないのかな 
国論が二分されたのはわかるような気がする。
ただ、そんなふうに悪玉・善玉と決めつけていた
ということが本当なのかと疑問に思った

この本を読んでの読後感なのですが・・・

安倍首相が おわりに
「政策提言のための本ではない。(略)どんなことを考えていたか、
わたしの生まれたこの国にたいしてどんな感情を抱いていたか、
そしていま、政治家としてどう行動すべきなのか、を正直につづったものだ。」
と述べられているように外交のこと少子化のこと教育のことなども書かれている

しかし私がこの本から受けたものは全編を通じ日本国民の潜在意識の中にひそむ
戦争の後遺症というものなのです。
それはこの本の本意ではないのかも知れませんが
戦争を経験しない私の中にも、この本によって
その後遺症があることを知らされたのです
「戦後教育の蹉跌のひとつ」でかたづけられるものじゃないような気がする
なんだかもっともっと深いような気がする 
この本の行間からあの時亡くなった人々の叫びのようなものが聞こえてくる
 そんな感覚
      なぜなんだろう

また、国家というものに対して国民が誇りに思っていないと
そんな国民感情に「困ったものだ」
     という安倍首相の溜息のようなものも感じられる 
それは日本の国民の心の中にある国家アレルギーというものの存在
そして国家に対しての不信感
もしかしたら・・・
それほどまでにあの戦争は国内外に悲惨な悲劇をもたらし
国民の魂に深い傷跡を残しているのではないだろうか 
おとなしい国民は国家を応援するのではなく、
国家の見張り役と化さざるをえなくなってしまった。

それは平和の大切さを
   なによりも強く望む気持ちのあらわれかも知れない