LOHAS!

生活が変わる?

俊輔☆ アジア杯:オーストラリア戦

2007-07-22 | スポーツ
 7月21日 オーストラリア戦 

全国のこの試合を観戦していたみなさ~~ん よかったですね 

見ごたえのある素晴らしい試合でしたね 

「アジア杯」の中の1試合というだけで見れる試合じゃなかったです
1年前のあのドイツW杯の悪夢が今もなぜか残ったまま 
残り時間が後6分という中・・立て続けに3点をとられたんですから
忘れようにも忘れられません 

   日本  オーストラリア
勝てない相手かもしれないけど・・どうしてもどうしても勝ってほしい試合
それだけ特別な試合でした
 
むこうも日本のそんな気持ち知ってるもんだから白熱した試合となりました 
まだ優勝まで何試合かあるというのにね 

勝った瞬間  友達から、早速のメールが来ましたヨ 

 「ばんざぁい すごい試合やったネ~めちゃ熱かったネ 0(^ワ^)0 」

 7時前からTVの前に陣取り、ドキドキハラハラ で気がつけば10時15分
3時間以上も手に汗握るという興奮状態・・・勝ててほんとにヨカッタ

PK戦までもつれこみましたが・・まさかこんなに日本が優勢でオーストラリアと戦えるなんて思いませんでした 
明らかにボールまわしはあの時以上に上手くなっていましたよね 

先制したのはオーストラリアですが・・・
そのすぐあと俊輔があげた巻へのクロスのボール 

   何かが起こりそうと思った瞬間

それを高原が気迫のゴール  やったぁ~~~~~~~~~~~



それからもいいところまでいってるのにシュートが決まらない 
オーストラリアの選手は大柄で個としての技術も優れてるので10人となっていても守りに堅く・・・
おまけにPK戦にもっていこうとしてるもんだからなかなかその守りを破れない 

それでも終盤の俊輔のシュートは惜しかった
足をはじめてつったとか言ってましたがあれが決まったら勝負ついたのにぃー
俊輔よく走っていたもんな ここにいたかと思えばアチラにいるしすごい運動量だったと思う  それの影響か・・・

     あ~あ~ PK戦か 

相手の1人目はあのMFキューウェル!そのシュートを川口がセーブ  
日本の最初のキッカーは俊輔!PKを決めた時の渾身のガッツポーズ 
(あの俊輔がこんなガッツポーズをするんだ)

     日本に流れが 

 そして!! 中澤がゴール~~~~~~~

     勝った   感動もんです

それにしても・・・応援も疲れました・・・明日がお休みでよかった 



俊輔☆ アジア杯

2007-07-15 | スポーツ
 7月9日 カタール戦 



●●・・ 残り時間5分  悪い予感がした    

それはGK川口が敵陣ゴールへ向けて大きくボールを放り投げた時だった

 そうだ、あの時もそうだった・・・あの・・悪夢のドイツW杯。。。。
1点先取の日本はオーストラリアに攻め込まれていた
GK川口はすべてをミラクルセーブ   見事だった 
その後、獲ったボールを川口は何回も遠くのほうへ投げた
「攻めていけ!!」ということだろう
しかし・・・遠くになげられたボールが日本のボールになることはなかった 

あの光景が脳裏をよぎった 

やはり・・・遠くに投げられたボールはカタールボールとなった
そのとたんボールはフワフワ飛びだした 
そして   川口にむかってスピードをあげ転げだしてきた・・・・・

終わってみれば1-1のドロー 

オシム監督  はみんなのプロ意識のなさを激怒した

俊輔は「これまでのアジア杯と比べてボールはよく回っていた。
まだ大会中だし、下を向く必要はない内容」とコメント 

  

 7月13日 UAE戦 

アラブ首長国連邦は日本選手をつぶしにきているように見える場面が度々あった  ・・・思いすごしかな?

そんな中、しかも気温33度、湿度87%という最悪の環境で選手達は遠藤をはじめみんな身体を張っていた  

そして 高原は頼りになるFWとして結果を出した

 

先制の1点  を おぜんだてした俊輔のアシストにはしびれたうまいなぁ~ 
それを 高原がヘディングで見事にゴール 

2点目は   高原 さすが 
3点目は・・・・・俊輔のPK きまった  なんかスーッとした 

試合後にオシム監督が「一番うれしいことは、選手が元気で試合を終えることができたこと。試合結果よりも、選手、スタッフが誰も心臓発作を起こさずに終えられた。それほど困難な気象条件だったということです。」といったらしい 

「試合結果よりも」って???????   なんだかな・・・ 

         結果よければすべてよし・・・・126



AED

2007-07-08 | 健康
5月24日にビックカメラ有楽町店において「AED」が小売店で初めての販売となった。一般でも容易に入手できるようにすることで、今後の普及を促していきたいそうだ。

そういえば・・・数か月位前になるのだろうか
大阪岸和田市の飛翔館高校で行われた高校野球の春の近畿地区大会

 大阪府予選「桜宮高校飛翔館高校」の対戦中

飛翔館高校の投手が左胸に打球を受けてマウンドに倒れた。
打球を受けた投手は、心肺停止状態になってしまった。

しかし・・・観戦していた岸和田市消防本部の救急救命の人が、
学校に備え付けてあった「AED」を使って救命処置をした。
それで、幸いにも一命を取りとめたのだ。

   ヨカッタ

2004年7月より医療従事者ではない一般市民でも使用できるようになっていて、病院や診療所、救急車はもちろん、空港、駅、スポーツクラブ、学校、公共施設、企業等人が多く集まるところを中心に設置されているらしい。

   知らんかった

これは知っているのと知らないでは・・・ほんま雲泥の差だ
「AED」が設置されているところなのに私のように知らなければ、助けることのできる大切な命をみすみす見殺しにしてしまうことになる 
AEDの救命率は、倒れて1分後に使うことができれば90% 
1分遅れるごとに10%ずつ減るとのデータがあるそうだ。早ければ早いほど助けることができるのだ。

 「AED」とはAutomated External Defibrillatorの頭文字を取ったもので、自動体外式除細動器
心臓がけいれんし血液を流すポンプ機能を失った状態(心室細動)になった心臓に対して、電気ショックを与え、正常なリズムに戻すための医療機器だそうだ。

心室は心臓の一部で、筋肉でできた袋。正常なら別の場所から出る電気信号に従い、心室全体の筋肉がタイミングを合わせて動き、袋が縮んで中の血液を押し出す。
しかし心室細動になると、筋肉の動きはバラバラになる。袋は小刻みに震えるばかりで、うまく縮まず血液を押し出せない。
ここで心室に電気ショックを与えると、バラバラな動きが鎮まる。鎮まったところへ電気信号が来ると、再びタイミングを合わせて動き始める。

ちょっとしたことで心臓は復活する。
しかし・・・そのタイミング・・・「私にもできるのだろうか?」
不安ですよね。医療の知識もなければおまけに不器用で鈍くさい者にとっては

それがですね、めっちゃ大丈夫らしい 

操作方法を  音声ガイドしてくれるため、簡単に使用することができるらしい。
簡単とはいえ1回くらいは練習する機会はほしいカナ


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普通  こんなふうに設置されているので覚えておこう



島根県 石見銀山が!

2007-07-01 | 自然
ニュージーランドのクライストチャーチで開催中のユネスコ第31回世界遺産委員会は、日本が登録申請していた「石見銀山遺跡とその文化的景観」(島根県大田市)の世界文化遺産への登録を決定しました

これは、28日に文化庁に連絡があったものです


日本の世界遺産は次のようにすでに13件あり、これで日本の登録件数は14件になります

1.法隆寺地域の仏教建造物 (奈良県) :1993
2.姫路城 (兵庫県) 1993
3.屋久島 (鹿児島県) 1993
4.白神山地 (青森県・秋田県) 1993
5.古都京都の文化財 (京都府・滋賀県) 1994
6.白川郷・五箇山の合掌造り集落 (岐阜県・富山県) 1995
7.厳島神社 (広島県) 1996
8.広島平和記念物(原爆ドーム) (広島県) 1996
9.古都奈良の文化財 (奈良県) 1998
10.日光の社寺 (栃木県) 1999
11.琉球王国のグスクおよび関連遺跡群 (沖縄県) 2000
12.紀伊山地の霊場と参詣道 (三重県・奈良県・和歌山県) 2004
13.知床 (北海道) 2005
*屋久島、白神山地、知床は自然遺産、そのほかは文化遺産

こうやって13件の日本の世界遺産を見ていると、みんな知ってるところばかり
ところが、「石見銀山」? 知らんかった~~
これって・・・知らないのは私だけ??
もしかしたら超有名で、誰でも知ってて「常識やん」って笑われてる

・・・・何も知らない私としてはなんでこの地を推薦したのか?
気になる~~ ということで島根県のホームページを訪ねてみました

  石見銀山史跡は鉱山や製錬の跡、山城の跡、大森や銀山の人々の暮らしの跡、銀や物資を運んだ街道、さらに積み出し港からなります。
数々の遺跡と建造物、自然が一体となった類稀な存在として、2007年のユネスコ世界遺産登録を目指しています。
実現すれば、日本で14番目の世界遺産、アジアでは初の鉱山遺跡となります。

石見銀山は16世紀以降約400年にわたり採掘され、17世紀ごろには世界の銀産出量の3分の1を占めた日本銀の主産地で、20万人の人が住んでいました。

な・なに~ 世界の1/3の銀を日本が産出してただって 

戦国時代から江戸時代のはじめにかけて日本はもちろん、世界で注目された銀山の一つで、良質な銀として高い評価を受けていました。
やがて・・・ポルトガル人は、石見銀を始めとする日本銀のことを知り、1543年種子島に訪れ、日本に鉄砲を伝えるきっかけともなりました。

なんで銀が世界中でもてはやされたのかというと、中国ではそれまで銅を貨幣としていたのですが、海外に流出しすぎ、国内で枯渇してしまったのです。そこに登場したのが銀を貨幣とすること。
そのうち、税も銀で納付することになったため、銀の爆発的な需要が起こったのです。

キリスト教を伝えたスペインのフランシスコ・ザビエルは、手紙に「日本を銀諸島と呼んでいる」と紹介しているそうだし、1595年にベルギーで作成された「テイセラ日本図」には石見銀山が表記されていたそうです  
     
1923年に休山した石見銀山だけど
  その昔、こんなにも有名な銀山やったんか スゴイ 159