チャレンジ鍼灸師82歳:今、新しい医学・医療創造の志に燃えて生きる!

青春時代の社会変革活動の挫折をのりこえ、鍼灸の道へ。

チャレンジ鍼灸師の歩み・・・7

2012年11月10日 | 私の歩み
私は医師と共同の場で開業したかった

鍼灸学校を卒業し、鍼灸師の資格を取り帰郷した私は、
「鉄砲州診療所」のような医師と鍼灸師の共同の場を民主医療機関として
建設しようと志し、地域の協力者を集めて「開設委員会」を組織した。

張り切って資金集めに奔走しながら、同志となる医師を探したが
思うようにはいかなかった。

駆け出しの鍼灸師である私とともに
新しい医学・医療を築こうなどと考える奇特な医師など
存在するはずもなく、民主医療機関連合会(民医連)に依頼しても
全く反応はなかった。

当時、漢方・鍼灸などは、ほとんどの医師には、
「効果がある」と考えられてもいなかったし、
ことに鍼灸は歯牙にもかけられず、
医療の一端を担っているなどとは思われていなかった。

それで、医師との共同の治療の場を建設するのを諦めて
1966年、地域の人たちに支えられて、鍼灸専門の「民主治療所」を
スタートさせた。

「開業の集い」には、
地域の老人会の役員や地域の社会活動家などが参加し、
東京からは木下繁太郎先生が駆けつけてくれ、
地元の県鍼灸師会長も顔を出してくださった。

まずまずの出足だった。

しかし、
少しづつ信頼してくれる患者は増えてはきていたが、
期待したほどには來患数はあがらず、最初から経営はピンチ続きだった。

お金をかけて改築した借家の家賃の支払いや
手伝いの鍼灸師の給料の支払いの資金繰りに追われ、
赤字は増えるばかりであった。

結局、1年も維持できず、出資者に迷惑のかけっぱなしで
廃止することになってしまった。




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