チャレンジ鍼灸師82歳:今、新しい医学・医療創造の志に燃えて生きる!

青春時代の社会変革活動の挫折をのりこえ、鍼灸の道へ。

チャレンジ鍼灸師の歩み・・・8

2013年02月14日 | 私の歩み
残念な「自宅開業」であった。
しかし、これでじっくりと治療と学問に取り組めることになると思った。

私の「漢方」への目を開いてくれた湯本求真先生にちなんで
治療所の名称を「ハリと灸・中川求真堂」とした。

湯本先生は、漢方が没落していった明治の末期に、
敢然と立ち上がって漢方復活の叫び声をあげた
先駆者和田啓十郎先生(「医界の鉄椎」の著者)の跡を継いで、
今日の漢方医学界の基礎を築かれたパイオニアであった。

私は、漢方医学の一翼を占める「鍼灸学」に打ち込むことで、
若き日に心の奥に培われた「変革への志」を実現しようとの決意を
更に深めて「民主治療所」の失敗から立ち直る道を探り始めた。

新しい治療所では、恩師・丸山昌朗先生の教えどおり
どんなに経営が苦しくても原則として往療は行わず、
暇なときは勉強して患者を待った。

しかしあるとき、
私が19歳の「浪人生」だった頃付き合いのあった農民の方が治療に見えて、
地域での医療啓蒙活動に取り組んで見ないかと相談された。

鍼灸師になる10年前に
若気の至りで「大学受験の勉強」の傍ら
生かじりの「社会思想」で日本の未来、日本の農村民主化などを
公民館などで熱を込めて説いて回った時の地域の農家の人たちが
今度は、私の鍼灸の話や治療のために集まってくれた。


毎週、あちこちの農家で、楽しい集いが続いた。
その噂が県南にも飛び、月一度は県南にも行くようになった。

そんなことが数年続いたが、それからは重点が「職業病」
移っていった。







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