チャレンジ鍼灸師82歳:今、新しい医学・医療創造の志に燃えて生きる!

青春時代の社会変革活動の挫折をのりこえ、鍼灸の道へ。

チャレンジ鍼灸師の歩み・・・②

2011年05月28日 | 私の歩み
住み込みあん摩から学んだこと

「住み込みあん摩」は全く未知の世界であった。

先ず、住み込んだその日の夜、住み込みの先輩たちからあん摩の「手ほどき」を受け、次の日は早速「仕事」に出された。
当然、電話で「あんな素人みたいの寄越すな」と怒鳴り込まれた。
それでも、毎日仕事をさせられた。

無資格の違法行為であり、こんなことは、今日では想像もできないが当時は、当たり前のように行われていた。

しかし、私は悔しさを「バネ」に成長できた。
私は「全くの新米であり、志をもって盲人の先生に学んでいる」ことを率直にお客に告げて、お客の身体自身に学ばせてほしいとお願いしながら、毎日10人以上から教えていただいた!

3ヶ月も過ぎると、「指名」を受けるようになり、いささか自信もついてきた。

しかし、先生は、全く鍼の治療を見せてくれなかった。
私は「鍼灸」を学びたいのだ。毎日10人以上のあん摩をして疲れていても、志を忘れまいと「鍼灸の本」を読んでいると、「今、本を読んでも意味がない、あん摩の実践の数を増やすことだけ考えろ」と叱られ、本を片付けさせられた!

半年も経ち「鍼灸学校」入学の日が近づくと、心がはやって来て、「鍼」をみせても触らせてもくれない先生に嫌気がでてきた。

そんな時、住み込みの同僚から、元教育者で「指圧治療所」を開きながら、鍼灸学校で学んでいるという彼の同級生を紹介された。

右翼思想の持ち主だそうだが、鍼灸への志で意気投合し、恩義を受けた先生一家の温情を振り切って、「夜逃げ」同然の状態で、新たな修行の場へ移った。

この最初の身を削るような思いで「按摩」を学んだことが、「新しい場」で本当に役に立つことになり、「鍼灸医学」を学ぶとは何であるかをしっかりと教えてくれた。

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