湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

さくら、さくらに思い出す

2019-04-02 22:47:10 | 日記
幾たびも
これが最後だと言いながら
それは
まだ、その時はその時でなかったから言えたこと


菖蒲園の入り口に差し掛かる
小さな和菓子屋さんの横にあるカフェ
古い桜が
大きな幹を抱えながら
頑張って咲いているのを
ガラス越しに
コーヒー片手に見るのが
ここ10年ぐらいの
亡くなった両親と私とのお花見


また来年も見れるかね?
いや、今年が最後かもよ

そうした会話には
まだ余裕があったんだね

見せてあげたくても
見せてあげられない状況は
正直、桜の季節と言うだけ恨めしかった


桜の見られない季節を一巡して
次の年には
見せてあげたくとも
もう、2人とも居なくなってしまった
どちか片方がいてくれていたら
どちか片方の話ができるのに
一度に2人がいなくなるものだから
私は誰と思い出を語ればいいの?



あの時の桜が
その時は
最後の桜だとは
到底予想もつかないまま


そうして人は生きていくのでしょう


だけど
できることなら
大好きな桜をもう一度
見せてあげたかった


もう一度
もう一度


もう一回
もう一回


『ああ、綺麗やなぁ
ほんま、綺麗やゎ』


母の声を思い出す


『おかげさんで、今年も見れたゎ』

その声をもう一度聞きたかった


そこかしこ
あちらこちらに
母の言葉は転がっている


ときおり
私を幸せにもしてくれるけど
ときおり
こうして塩っぱい物も連れてくる


桜の花を見て思い出す
その、ひとコマ、ひとコマを
大事に抱えながら
歩いて行かなきゃね


まるでハーバリウムの中を
覗きこんでいるようだ



















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さくら、さくらの日

2019-04-02 07:20:23 | 日記
何年ぶりになるのかな
 
お花見なんて
 
久々に会った友達との近況報告のようにお喋りに余念がない
 
湖を見下ろす高台に
 
昔々から桜の名所と名のあるところ
 
しかし
 
桜の木の四分の一ぐらいは
 
桜の木をした枯れ木だった
 
昨今言われる桜の害虫だろうか
 
ここにも役所の財政と人手不足のせいか
咲いた桜の花の華やかさとは別に
少しやるせないような哀しいような
木の形が桜と気づくと見てはいけないような気持ちになったりした
 
 
一番桜が咲いて綺麗な場所は
 
月曜の平日のお昼前
 
ポツポツと散歩の老人が数人
 
ところどころ
 
名ばかりの木の枝をぬって歩いてた
 
 
私達は
 
陽だまりのような
 
ここだよーって言わんばかりの場所で
 
お弁当を広げ
 
話を広げ、
 
笑い声がまるで少女に帰ったように響き渡っていたと思う。
 
 
喋ることが一生懸命なのか
 
食べることが一生懸命なのか
 
 
ひとときの無邪気な昔に戻ったように過ごしていたと思う
 
 
沢山の人や、どこかのお店ならば
 
きっとうるさくてクレームものかもしれない
 
 
5歳前後しか変わらない同じ時代を生きている女の集団は、人がどう思おうと
お姑でもなく、嫁でもなく、母でもない
 
 
桜の下でお弁当を食べているテンション高き、たくましき女性達なのである
 
 
互いの時間を持ち寄って
 
楽しい宴は少し後に
けたたましい雨と雷で追われてしまい
せめて晴れた桜を見られたことが
一番良かったねって
 
 
春の日のあたたかな陽だまり
 
 
両手で大事に
すくい取ったような時間だった
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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