「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

伊達直人に思う

2011-01-11 | つれづれ
伊達直人を名乗る人物からの「贈り物」が各地で相次ぎ、名前は違えども同じ行動に出る人が相次いでいます。漫画タイガーマスクに夢中になった世代の私には、懐かしい名前です。当時は孤児(みなしご)という言葉が当たり前のように人々の口から出ていた時代。貧しい時代でした。私が生まれ育った下町ではまだ傷痍軍人が道端に座って物乞いをしていました。青鼻をたらし、袖がテカテカになった子供が学級に何人もいたのです。違和感なく、タイガーマスクの世界を受け止めていました。

平成のいま、再び「伊達直人」が出てくることに、他人の役に立ちたい、恵まれない境遇の子どもたちに何かをしたい、という熱い気持ち、優しさ、善意に共感、感動します。しかし一方で、なんともやりきれない気持ちも隠せないのです。そんな善意の行動が各地で起きるほど、過去に決別したと思っていた「貧しさ」がいま再びこの日本社会に浸透しつつあり、それが当たり前のようにそこかしこでみられるようになったという現実。背景に見え隠れする、社会の紐帯、絆がずたずたになっている「無縁社会」の寂寥たる光景。戦後築き上げたと思っていた社会福祉制度がもはやほころんでしまい、国や自治体といった政治がなす術も無くそうした貧しさや社会の変化を前に立ちすくんでしまっている無力感……。多くの伊達直人たちは、やむにやまれぬ気持ちで行動しているのではないかと感じるのです。

本当なら伊達直人なんていらない世の中が一番良い。一連の「贈り物」は、個々人の善意にすがるしか貧困・格差問題に対処できない社会のありように対する痛烈な皮肉、批判のような気がするのです。アラームが鳴り続けている。もはやこの社会を建て直すにはそれほど時間的余裕が無いことがあらためて感じられるニュースだと思います。

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