惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

3-5/6 (ver. 0.1)

2010年04月16日 | MSW私訳・Ⅰ
第3章 集合的志向性と機能の割り当て

3-5 分析の直観的な動機づけ

こうした分析は複雑に思えるかもしれない。そこでもっと簡単に、同じことを繰り返すコストを払うことにはなるが、分析の直観的な動機づけを説明してみたいと思う。集合的志向性の構造を分析する方法はこう自問してみることである「集合的に『やってみている』ことは厳密に何であるか?」。「やってみている(trying)」とは普通の日本語[原文は英語]でいうところの行為中の意図である、というのを思い出してもらいたい。もうひとつ、「やってみている」とは常に「やりおおせてみようとしている(trying to succeed)」ということではあるが、「やってみている」と「やりおおせる」ことは違うことだということも思い出してもらいたい。行為中の意図とは「やってみている」ことであって、それがすべてである。

個々人のアタマの中に存在しうるのは志向性だけである。集団の構成員の個々のアタマの中のナカミを超えた集合的志向性などというものは存在しない。そこで次に問うべきことは「では、個々人は何を集合的に達成しようとしてみているのか?」である。因果的手段関係の場合を考えてみれば、構成員の各々は彼または彼女の個人的な分担を果たすこと「によって」共通の目標を達成しようとしてみている。しかし個人的な分担はただ他の構成員も彼らの分担を果たしているという仮定のもとで果たされる。これが集団の一員として行為するということの意味である。他の構成員が各々の分担を果たしているというのは誤りであるかもしれないが、個人的な努力に伴う本質的な信念もしくは前提である。その場合、個人的な努力は集合的な努力の一部としてなされるのである。だから我々は我々の集合的志向性の分析において少なくともふたつの要素を必要とする。まず意図の表象それ自体である。その場合意図は動作主が達成できる(達成できると思う)ことだけを参照することができるのであって、他の動作主の行為を参照することにかかわることはできない。そしてそのとき我々は信念の表象を必要とし、また信念は他の動作主がやっていることについての信念である。

個人的な志向性が集団の他の構成員の志向性を参照できる場合が存在する。それはたとえば、軍隊の司令官が命令する場合である。[そうした命令は]集団の他の構成員に志向性を創出すべく作られている。もうひとつの場合はアメフトのチームのクォーターバックがハドルでプレイコールを行い、チームの構成員の各々にプレイ実行中のアサインメントを実行する意図を創出する。

要は後者は前者と同じことをアメフトについて言っているだけである。もともとアメフトというスポーツには軍隊の類比がふんだんに盛り込まれている。

しかし通常の場合、つまりわたしとあなたが一緒に何かしようとしている場合、たとえばあなたが注ぎわたしが撹拌することによって我々がソースを混合しているという場合、わたしの志向性はあなたが注ぐことを被覆することはできない。「あなたが注いでいる」というのはまさにわたしが持つ信念にすぎない。つまりそれはわたしの行為中の意図の意図の内容の一部ではない。そうすると動作主はあたかも他の人々の行動を被覆する意図を持たなければならないかのようである。それはわたしの以前の分析による言明に対する批判が煩わされていたそのことである。だがもちろん、それはわたしの分析の一部でもなければそこから導出される何かでもない。それは単に集団の他の構成員の所与の分担にすぎない。動作主は彼がすることだけを達成することができる、にもかかわらず彼の意図は共通の目標を達成しようと試みる。わたしが政治的候補者に投票するとき、わたしはその候補者が選ばれるようにしてみている。たとえわたしの一票が何百万票のうちの一票にすぎないとわかっていてもである。

3-6 協同と集合的認知の区別

ここまでは集合的な先行意図と集合的な行為中の意図においてあらわれるものとしての完全な協同の構造を説明することを念頭に置いてきた。しかし、もっと弱い形態の集合的態度だが、我々の社会の分析にとって同じように重要な形態がある。それはわたしが「集合的認識(collective recognition)」と呼ぶものである。*

* 集合的認識という術語はジェニファ・フディンによって最初に示唆された。

たとえば、わたしが誰かから何かを買って彼の手にお金を渡し、彼が受け取るといった現実のやりとりにおいて、我々は完全な協同をもつ。しかしこの志向性に加えて我々は、やりとりに先行し、やりとりの後も継続する、わたしが売り子の手にお金を置くタイプの紙切れに対するひとつの態度を持つ。それは紙切れをお金として認識し受け入れることであり、実際、我々は一般的な貨幣制度と商業の制度を受け入れる。一般的な要点として、制度的構造はそれを機能させるために制度内の成員による集合的認識を必要とするが、制度の中の特別なやりとりは上で記述したような種類の協同を必要とする。婚約しているカップルは、結婚に先立って結婚の制度を受け入れている。こちらは行動の形態において協同の場合ではなく、単に制度に沿って何かをするという場合である。しかし現実の結婚式は協同のひとつの例である。わたしの記述した種類の完全な協同的集合的志向性はしばしば制度の創出を必要とする。たとえば独立宣言の時の合衆国の創出を考えてみよう。本章においてわたしは協同を分析してきたが、協同が制度的構造の中で起きるためには、制度の一般的な集合的認識・受容がなければならないが、能動的(active)な協同は必ずしも必要ではないということを強調したい。

集合的認識・受容の構造にかかわるものは厳密に何であるのか。先に、わたしがただ受容の概念を用いたら、多くの人々がそれは賛同のある水準を意味するものだと考えたが、わたしの方ではそんなつもりはなかった、という話を書いた。人は制度の中で認識し行為する。たとえその制度が悪いものであると考えている場合でさえそうである。わたしはときどき「集合的認識・受容」という混合的な概念を用いる。そしてわたしはそれが熱狂的な支持から構造にただ同伴することまでのすべてに共通する、ある連続体(continuum)を標識するということを明確にしたいと思う。たとえばナチ体制の時代、ナチ党の党員達は第三帝国の制度的構造を熱狂的に支持した。

「ナチ体制」「ナチ党」と訳したところの原文は「Nazi regime」「Nazi Party」である。つまり文字通りに訳したのである。

しかし当時のドイツの人々の中には少なからずその制度的構造を支持しない人達もいた。彼らはナショナリズム、無関心、思慮分別の結果として、あるいは単なるアパシーとして同伴しただけだった。協同は連続体の上にも存在する。しかしこの連続体は集合的認識・受容の連続体を横断する。わたしは協同の場合、集合的志向性は一般に個人的志向性と相互的信念に還元され得ないと主張した。しかし集合的認識の場合はどうだろうか?集合的認識は個人的認識と認識者の間の相互的信念に還元されうるだろうか。その見通しは輝くばかりに明るいと思われる。能動的な協同は必要でないからである。能動的な協同の場合において、単に個人的な意図と他者の意図についての相互的信念を持つだけでは十分でないことは、ハーバード・ビジネス・スクールの場合で説明した通りである。集合的認識の場合についてよく似た反例を構築できるだろうか?ビジネス・スクールの場合においては協同は存在しなかった。しかし集合的認識の場合、成員が集合的認識に対立するものであったとしても、結局は各々が個人的に現象を認識し、彼らがそのように認識する相互知識が存在するなら、我々は集合的認識を持つというのとよく似ている。ふたつの場合のどこが違うのか。協同は協同することの集合的な意図を必要とする。しかし集合的認識は協同の形態を必要としないし、したがって協同することの集合的な意図も必要とはしない。

前述のハーバード・ビジネス・スクールの場合を考えてみよう。協同があるのとないのと、いずれの場合においても、ビジネス・スクールの場面の参加者達はお金の存在と有効性を当たり前のものと見なしていた。彼らは単にそれを認識している。集合的認識は何からできているのか。それは協同を必要とするようには、わたしには思えない。そうではなく、それが必要とするのは、各々の参加者が他の参加者の相互的受容が存在するという信念においてお金の存在と有効性を受け入れていることである。ここに興味深い結果が生じる。つまり、ある制度の存在は協同を必要としないが、単なる協同的な受容・認識は必要とするのである。制度の中の特定の活動、売り買い・結婚・選挙運動は協同を必要とする。これは重要な点である、というのも集合的志向性の中には「私」志向性と相互的信念に還元可能な形態のものが存在するということを示しているからである。あなたがお金のようなものの集合的認識を持つならば、集合的認識は、各々の人がお金を認識し、かつその全員がお金を認識する人々の間の相互的知識が存在するという事実によって構成されうる。

* 本節の主題における議論についてはジェニファ・フディンとアシャ・パシンスキのお世話になった。さらなる議論についてはフディンの論文"Can Status Functions Be Discovered?"(The Journal for the Theory of Social Behaviourに掲載予定)を参照されたい。

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