惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

電子流言論(1)

2011年08月19日 | チラシの裏
一昨日くらいに、某作家が某オンライン雑誌のインタビューで「原子力発電所の事故に伴って起きる風評被害の責任は政府と電力会社がとるべきだ」などとバカなことを言っているのに苦言を呈した。そんな言い草はまるで、ナチスが反ユダヤの暴動を起こしたら、その責任はユダヤ人社会が取るべきだと言うようなものである。デリダ研究で名前を売ってきたくせに、そのデリダが冥府で戦慄しそうなことをよく言えるものだ。

その作家がなんでそんなバカなことを言うに至ったのかははっきりしている。その作家は震災後、というより福島原子力発電所の事故の後、放射線物質の飛散に伴う影響がどれだけ、どこまで及ぶかわからないという理由で一家して東京を離れ、しばらくどこかに疎開していたわけである。よせばいいのにそのことをtwitterで吹聴したりしたために、ある意味では筋違いの非難を結構たくさん浴びせられた、要はそれがもとになっているわけである。デマ情報が錯綜する中で家族の健康を案じて念のため避難することがそんなに悪かと、その非難を浴びているさ中も、その作家はそう言って反論していた。それは正当な反論と言うべきものだったので、わたしもこのblogで擁護するようなことを書いた。

ところが案に相違して、その作家はどうやら内心ではずいぶん身に応えたところがあったらしい。単に一家で避難していたくらいのことを重ねて正当化するために、とうとうナチスの蛮行までユダヤ人のせいにしてしまうような論理に陥ってしまったのである。いくら思想家は廃業したただの作家だと言われたって、この作家はそんなこと言いながら思想の名を冠した雑誌を出版したりして結構な評判を取ったりしている(もっとも、これ自体はいいことだ)わけである。そんな曖昧な場所から物騒なことを言うのは思想家としてはもちろん、ただの作家や出版社経営としても前途の思いやられることである。思えば、もともとデリダのようなポストモダン思想は裏手の方で欧州左翼に一脈かんでいるところがあったことである。その暗黒面に引きずられ、振り回されているのも大概にしたらいいと思う。

もちろん風評被害やそれを引き起こした流言蜚語の責任を取るべきなのは、その流言を意図して流した左右のテロリスト共、そのデマ宣伝にうっかり乗じて、しなくてもいい右往左往をした者達に決まっているのである。だいたい、もしその責任が政府にあるとするなら、どんな善良な政府だって「国民の精神衛生増進のため」などと称して大規模な情報統制を行うようになるのに決まっているわけである。いかな言論表現の自由と言ったって、たとえば毒ガスの分子状態を媒体とする通信手段の実用化開発使用を禁じることを妨げられるはずがない。特に政府にその責任があるということになればなおさらそれは正当化されてしまうことになろう。しかく、負ういわれのない責任を負わせればそのツケは負わせた側に跳ね返ってくるだけなのである。

とは言うものの、政府が何もしなくていいというわけには行かないだろう。震災以後、いやそれ以前から、主にインターネット上の電子的な通信伝達手段を利用するかたちで生じている、電子流言(electronic canard)とでも呼ぶべき社会現象についての調査研究は、今後は盛んに行われてしかるべきだと思う。もともと流言蜚語一般についての研究もそれほど十分に行われてきたとは言えないように思えるのだが、それは単にわたしの不勉強かもしれないからさておくとして、それにしても現在猖獗をきわめている電子流言には、従来からある流言蜚語や都市伝説の類とはいくらか異なる特徴があるように思われるのである。

・・・と、書くだけはつらつら書いてしまったが、続くのかこれ。続かなかったらゴメンだな。
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