支配と服従の倫理学羽入 辰郎ミネルヴァ書房Amazon / 7&Y |
この本を倫理学の書だと言っていいのかどうかはよくわからない。しかしこのblogで考察している(と言いながら、実質ほとんど進んでいないのだが)「げんなりしない倫理学」について言えば、とても興味深い話がたくさん書かれている。
正直に言うと、わたしはこの本で用いられているような著者の文章の調子が、あんまり好きではない。なんというか私的な情念がモロ出しに出まくっているところがあって、それはいいのだが、その情念の質がどうやらわたしの好みに合わないのだ。にもかかわらずこの本を「おすすめ」する理由はただひとつ、わたしが日本人の書いた本を品定めするとき使っているいくつかのテスト項目のうち、最も難しいひとつをクリアしている、かつてわたしが読んできた中ではまったく最初の本だということに尽きている。その部分だけを引用しよう。
こんなことを言うと驚かれるかもしれないが、東大に入ってくる人間というのはそんなに頭は良くないのである。私も入る時は、東京大学には頭の良い人達が沢山いるのだろう、と思っていたので、その気持ちはよく分かる。ところが入ってみて驚いたのである。周囲を見回し、何だこれは、馬鹿ばっかりじゃないか! と気がついて愕然としたのである。君ら(引用者註:成城大生もしくは青森県立保健大生)の方が頭は良い。これはお世辞ではない。君らに欠けていたのは、我こそは東大に入るべき人間だ、という思い込みの強さと、最後の最後での糞頑張りである。この最後の最後での糞頑張りというのは、東大生特有のもので、これは凄い。最後の最後まで悪あがきをし、驚くべきことに、手に入れたかったものを最後にはつかんでしまうのである。 (第七章「悪意ある権力者の支配」pp214より引用。強調は引用者) |
つまりこの本は「げんなりするような話ばかり集めて、げんなりするような情念の質で貫かれた『げんなりしない倫理学』の珍しい本」だ、とわたしは言いたいわけだ。