惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

いわゆる制度のひとつの起源

2009年03月21日 | miscellaneous 2
2日ほど前に曾祖母の思い出話を書いた。一応はただの思い出話なのだが、このblogの考察にも少しは関係があることなのだ。幼児のわたしは交通ルールというのは、それまでは物理法則と同じようなものだと思っていたのである。実はそうではなく、道路というのは信号を無視して渡ることもできるのだということ自体が幼稚園児の世界観にとって衝撃だったのである。

そんなこと当たり前じゃないか、というのは、たとえばわが曾祖母のように、交通信号などなかった(そもそも自動車などめったに走っていなかった)時代を知っていれば、あるいはそのように昔のことを教わっていればこその当たり前で、そうでなければ気づかないことであったりするのである。

いつだったか、青年海外協力隊のようなものに志願して参加したまではよかったが、いざ現地のハッテン途上国に到着したとたん「この国にはコンビニがないのか」などと言って騒いで日本中の失笑を買ったワカモノ達がいたが、わたしは彼らを嗤う気になれない。コンビニなどなかった昔を知らなければ、当然あるべきことではないか。予めそんなことも教えてやらない、自分自身見聞きしたわけでもない南京事件のことなら口角泡を飛ばして議論したりするくせに、どの街にもあるコンビニがいつからどうしてそこにあるのか、その歴史を教えられない大人達の方が、またそのような大人たちが支えているつもりでいる社会と制度の方が、本当はどうしようもなくバカで、世間の失笑に値するほど存在理由を喪失しているのだ。

制度の起源というのはいろいろに言うことができるけれど、たとえばそうしたことも制度の起源のひとつになるのである。これは仮説ではなく実際にそうだということを、わたしは古株のパソコン屋だから自信を持って言うことができる。たとえば今の若いプログラマは、たとえばC/C++言語のプログラムではgoto文を使わない、使うべきでないということを、さながら物理法則のように、つまり幼稚園児のわたしが交通ルールをそのように理解していたのと同じように理解している。ほんとは(妥当なのは例外的なことでしかないが)いくらでも使っていいんだぜ、などとわたしが言うと、まず驚愕の目で見られる。このオヤジはなんという常識外れのことを言い出すのだ、それでもプロか、という目である。

もちろん実際のプログラムでgoto文を使うことは、わたしにしてもほとんどない。年に一度あるかないかのことである。けれどもそれは中学生の頃からいろいろなプログラミング言語を使って、いろいろなプログラムを書いて失敗したり何したりを積み重ねてきた、その経験的な根拠があってそうしているわけだ。だからもし、ごく例外的に、それらの根拠を一切考慮しなくていい、それどころか逆目であるような状況が目の前で生じたら、わたしは躊躇せずにgoto文を使うのである。goto文を使うとソースコードの可読性が損なわれるとか、厄介なバグの温床になりやすいとかいったことは、もちろん原則として正しい理解なのだが、あくまで経験的な原則であって絶対の法則などではない。プロの計算機屋ならむしろ、経験的な原則には必ず例外が存在して、かつ無限に存在する、したがってありうることは必ず起こることだ、という認識の方が大事だと言いたいくらいだ。本音を言えばだ。

だがわたしはもとより親切な人ではない。だから、こんなこといちいちワカモノには教えてはやらない(笑)。今のワカモノは計算機や、そこで対象となっている応用分野のことが好きでプログラマをやってるなんてことは、それこそ「原則として」ありえない、とわかっているからである。彼らの方には聞く耳を持つ理由がないのに、どうしてわたしの方には親切心を抱く理由が生じようか。彼らは専ら制度に沿ってプログラミングを学び、制度に沿って働き、制度に沿って報酬を貰うためにプログラマに、エンジニアになった人達なのである。

制度どころか計算機そのものが日常のどこにも影も形もなかった時代のことを覚えている、トランジスタ回路で加算器の回路図を書くところから積み上げてきたわたしの経験的な理解など、彼らにとっては何の意味も持たないし、持つはずがない。わたしのそれはどうしたって、また一見どんなに些細で他愛ない枝葉の知識であれ、三度のメシより計算機が好きだった少年時代の情熱と無関係のことはひとつもないのである。どうして彼らにそれを再現するところからやれと言えるだろう?しかも、彼らとてそれなりに時間と労苦を重ねて馴染んできたことであろう制度的理解のすべてを反故にした上で?誰がそんなことを真顔で言うのか。俺が?バカもやすみやすみ言ってくれ。

「技術技能の継承」なんて簡単に言うけどさ。二言目にはそんなこと言う奴に限って、こうしたことにはまったく理解が及んでいないのである。本気でそれをするとしたら必要になるはずの哲学は、わたしが今ここで考えようとしている以外では、まだ世界のどこにも存在していないはずである。

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理想を作り直す(3)──茶番と革命──(承前)

2009年03月21日 | げんなりしない倫理学へ
普通にシリーズ化してもろくに続かないくせに、こういう時に限って続きを書いてみたくなるのはなぜだろう。

先に紹介したちくま学芸文庫版「国家と革命」の訳者角田安正は、そのあとがきでレーニンの失敗を専ら「官僚機構の肥大化を防げなかったこと」に見ようとしている。わたしにはそう思える。それ自体はもちろん事実なのだが、官僚機構の肥大化を防げなかったと言ったら、旧ソ連ほど極端ではないにせよ、20世紀の文明先進国の政府はどこでも、大なり小なりそうだというところがあるわけである。わが国とて例外ではない。だいたい、わが国はしばしば内外から「最も成功した社会主義国」だと揶揄的に言われたりするほどではなかったか。

わたしの考えでは、旧ソ連の失敗というより、20世紀の社会主義が理想の実現どころか、かつてない世界的な災厄の元凶のひとつにすらなったことの、その本質的な理由のひとつは、この「国家と革命」にあらわれたレーニンの実践的な方法論そのものにある。つまりソヴィエト革命の成功も、その後の災厄も、ひとしくこの一冊の本にあらわれたレーニンの思想からもたらされたのである。どういうことかというと、

集計と管理は、共産主義社会の第一段階を「発進」させ、正しく機能させるのに必要な主要な要素である。(中略)すべての市民が、国民全体から成る一個の国家「シンジケート」の事務職員および労働者となるのである。問題は、労働が平等であること、労働基準が正しく守られること、給付が平等であることに尽きる。そういった労働や給付の集計・管理は、資本主義のおかげで極度に簡略化され、点検と帳簿付け、算数の四則計算、受領証の発行など、読み書きのできる者ならだれでもこなすことのできるごく簡単な作業と化している。

人民の大半が全国各地で自力で、このような集計を実施し、またこのような管理を、(今や事務員と化した)資本家や資本主義的態度を残しているインテリ諸氏を対象として実施し始めると、それは文字通り包括的、普遍的なものとなり、国全体に及ぶ。それを免れることはできなくなる。「どこにも身を隠すところがなく」なるからである。

社会全体が、労働も賃金も平等な一個の事務所ないし工場となる。

第五章「国家死滅の経済上の原理」pp190より引用。傍点は省略

ぼんやり読んでいると、今でさえレーニンは至極もっともなことを言っているように思える。事実もっともな話であったからこそ、ソヴィエト革命は(革命政権の樹立と、そのもとに置かれた社会の支配には)成功したのだと言える。

なるほど資本主義的生産機構の中の労働者は、その生産機構の(唯物論的な意味で)実質的な過程のすべてを担っていると言っていい。だから革命とは、その上でふんぞり返って収奪を正当化している支配階級の「茶番劇」を吹き飛ばしてやりさえすれば、それでいいのだということになる。レーニンの唯物論的に言えばその茶番劇に生産的な実質などは少しも認められない。だから、革命によって労働者は支配階級の搾取から解放されこそすれ、そこに手に負えない無秩序が出現するということなどありえない。社会の生産的な実質はそれ以前と同様、仕事は勤勉実直、倫理的にも清潔厳粛な労働者達が担い続ける。

職制上の構造に沿って(つまり、直接には上司から)降りてくる支配階級の無意味無内容な御託やら三百代言やらに振り回されることがなくなる分だけ、仕事はむしろはかどるようになるはずだと、レーニンはたぶん本気でそう考えていた。要は「上司がバカだから」というサラリーマンの愚痴を最大限まで引っ張り上げたとしたら、何がどうなるべきかということをレーニンは言っているのだ。

レーニンは何を見逃してしまったのか。簡単に言えば労働者大衆は機械ではない、人間だということを見逃してしまったのである。むろんレーニンにそのつもりはなかっただろうが、彼の唯物論の枠組みにおいては機械と人間存在を区別する究極の根拠は存在していなかった。いいかえるなら、レーニンのハゲ頭の内側では、上記引用のごとき記述が、ブルジョアでもインテリでもない普通の労働者にとってさえ「げんなりする」ような響きをもつ何事かだということが理解されてはいなかったのである。

(もう少しつづく)

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