なんか期せずして「つまんない自然」という言い方を繰り返している。これは、わたしがもともと持っている考え方というか感じ方のうちで、たぶん一番「普通」ではないもののひとつではないかと思う。
ずっと前のことだが、親兄弟と連れだって上高地あたりに旅行したとき、その風景を眺めて開口一番、わたしが言わずにおれなかったのは「すげえ。あたり一面絵ハガキみてえだ」という一言だった。ホントにそう見えた、というか、何度見返してもそういう風にしか見えなかったのだ。別にひどい光景ではないのだが、絵ハガキを見て感動することはできない。別の言い方をすれば「よくできたCGだなあ」というようなことになる。ああいう風景に美的な何かを感じる心が、コドモのころからわたしにはどうにも皆無なのである。
だからどうだというわけでは、必ずしもないのだが、たまたまそういう心性の持ち主であるために、他人が自然の風景を称賛しているのを見ると、特に書かれた文章の上で称賛していると、そこでその人のアラが全部見える(ような気がする)のである。どうもほとんどの人は自然の風景のこととなると手放しになってしまうところがあって、ほかのことでは緻密だったり難解だったりする書き手でも、そういうことを書き出したとたん、いっぺんに正体が(わたしには)バレてしまうことがある、ということだ。直観的に。
普通とは逆の意味で「大自然って奴は怖えなあ」と思わないわけにはいかないことである。
ずっと前のことだが、親兄弟と連れだって上高地あたりに旅行したとき、その風景を眺めて開口一番、わたしが言わずにおれなかったのは「すげえ。あたり一面絵ハガキみてえだ」という一言だった。ホントにそう見えた、というか、何度見返してもそういう風にしか見えなかったのだ。別にひどい光景ではないのだが、絵ハガキを見て感動することはできない。別の言い方をすれば「よくできたCGだなあ」というようなことになる。ああいう風景に美的な何かを感じる心が、コドモのころからわたしにはどうにも皆無なのである。
だからどうだというわけでは、必ずしもないのだが、たまたまそういう心性の持ち主であるために、他人が自然の風景を称賛しているのを見ると、特に書かれた文章の上で称賛していると、そこでその人のアラが全部見える(ような気がする)のである。どうもほとんどの人は自然の風景のこととなると手放しになってしまうところがあって、ほかのことでは緻密だったり難解だったりする書き手でも、そういうことを書き出したとたん、いっぺんに正体が(わたしには)バレてしまうことがある、ということだ。直観的に。
普通とは逆の意味で「大自然って奴は怖えなあ」と思わないわけにはいかないことである。