
なおパソコンからは全体視聴できます。次回からはたぶんiPhoneの録画保存版もできると思います。ドルカス
iPhone6プラスが届いて、一週間が過ぎた。この新型について、少し報告をしたいと思う。
サイズ・・・・これまでのiPhoneに比べてiPhone6は大型化した。従来が4インチで、6が4,7インチ(従来を1とすると画面面積が1,38倍)、6プラスが5,5インチ(1,89倍)である。そして6プラスになると画面解像度は1920×1080pxで、実に高解像度のパソコンと同等の画面を実現している。これは凄い。これが男性のワイシャツの胸ポケットに入るのだ。
少し重い、が、気にならない重さだ。しかしこのiPhoneがあるために、わたしのiPadの利用率がぐーんと減った。iPhoneなのにiPadのように画面が二分割しており、容易に操作ができる上、たいていがこれで間に合うからだ。しかもさくさくと速く、ストレスがない。今秋は数年ぶりにiPadエアー2の買い換えを考えていたが、6プラスの効果で思いとどまることにした。極端に言えば、電話付きのミニミニiPadを手に入れた感じだ。
操作性なのだが、これがぜんぜん悪くない。大きいので指一本での操作が難しいと言われていたが、短い指の私でも、まったく不自由を感じない。たぶんそのために、電源スイッチだけが上部からサイド部に移されたのだと思う。カメラが、暗い所で非常に良く写り、しかもぶれない。ぶれ防止機能が6プラスだけに付加されているようだ。
少しお値段が高くなるが、このiPhone6プラス、アップルの快打、いや、いい買いものだと思う。 ケパ
わが家の猫、コールはわたしたち人間のことを、実はよーく、よーく観察し、見ている。例えば私たちが旅行カバンを出して詰め込み始める、そしていよいよ出かける服を着始めると、コールはホテルに預けられるのを阻止するため、隠れようとする。また帰って来るタイミングもよくわかっていて、今日は遅くなる日、早く帰ってくる日なども、分かっている風だ。私が忘れ物をして途中家に帰っても、コールは玄関に出迎えに出てくるどころか、寝床からぴくりとも動かない。「どうせすぐ、出るんでしょう」とばかりの完全無視だ。お見通し・・・。
こんなようすだから、猫の視点からとらえた夏目漱石の「我が輩は猫である」が、ヒットしたのだろうと思う。そしてわが家の中心は誰か、よくわかっている。わたしがどんなにコールをかわいがっても、ドルカスにかなわない、ため息をつくばかりだ。それでもカワイので、飽きずにご機嫌をとっている。ああ、しかたがない。ああ。 ケパ
昨日の水曜日、iPhone6プラスがようやく到着した。わかってはいたが、実際に使ってみると、これがずいぶん大きい(左から順にiPhonen5C/こんど届いたiPhone6プラス/iPadミニ/iPad)。大きいがかろうじて私のワイシャツの胸ポケットに入る。これまでのiPhoneとiPadミニの間を埋める、絶妙な大きさである。
で、Webやメール、聖書(この新しい画面サイズには聖書アプリはまだ非対応。ただ、より画面が広いので多くの本文が読める)上で、またカメラなどを使うと、これは確かに便利である。第一に、小さな文字が読みにくい私たちの年代には、表示が広くなるわけで、これは楽で心強い。第二に、縦バー画面のあるiPadのような表示にもなるので、やはり便利である。そしてページがさくさくと開いて行く。速い! カメラはぶれ防止機能があって、暗い所でも大変写りがシャープでよろしい。
このiPhone6プラス、場合によっては、いつでもどこでも気軽に使えるiPadのように使うことができそうで、これまでのカッコイイ小さな画面のiPhoneには、もう戻れそうにもない。
余談だが、iPhoneの良さに連れられて、三十年敬遠してきたMacのパソコンを買ったが、これがiPhoneと相性が良い。メモや写真などがiCloudで共有できているので、iPhoneで入力するはしから、マックノートPCにその文字が現出するのは感動する。その上これまで、さんざん手こずらされてきたWindowsPC上でのiTunesだが、基本はMacで使うべきものなのだろう、まったく問題がなくなった。iPhoneにはMac、これがよろしいようで・・・・。 ケパ