つい最近、わたしたちの群れの教会ではイエス・キリストの地上再臨の後の、千年王国のことが話題になった。
言うまでもなく聖書は人類が唯一所持する、人類史上最も古く、万国民に読まれ、幾百万のクリスチャンがその命すら惜しまず信じた書物である。その聖書によれば、大艱難の7年が終わるとクリスチャンが千年の間、神とキリストとともに祭司となり、王となる(黙示録20:2~4)と記されている。わたしはこの千年王国が待ち遠しく、実はとても切望している。
なぜなら今の時代は全体としては神が支配されているが、世は悪が支配しているからである。だから人の心の中も、良い心があるのに結果として悪が優勢である。それはあたかも写真のネガフィルムのように、物事が逆さまに写っていて正しく見えないため、人々は聖書と神の真理を受け取ろうとしない。ところが千年王国の時代に入ると諸悪の根源であるサタンは、捕らえられ縛られ「底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまで」(黙示録20:2~3)閉じ込められてしまうのだから、この時代はまったく今の時代と異なる。
なにしろ千年王国では、天も地も、支配し統治するのは神でありキリストなのだから、ポジフィルム(=スライド用のフィル)のように、いっさいの真理が明確に見え、よくわかる。これは下記のイザヤ書で記されているように、まさに人類が夢に見た理想的な時代となるはずである。不慮の死も、争いもない。危害を加えられるという意識はなくなるのである。「すばらしい!」「待ち遠しい!」とは思われないでしょうか?わたしは大いに期待しているのです。
ところが、ところが、です。この千年の終わりにはまたサタンが解き放たれ(実のところサタンは、神の手のひらの上で用いられる駒みたい)、人々が再び惑わされるのです。そして・・・・ついに最終的な審きの時が来ます。神はサタンが支配する時代と、ご自身の直接統治の、正しき時代の両面をもって、人類を公平に、正しく見るご計画をもっておられるのです。テレビの水戸黄門ではありませんが、最後が分かっているだけに、今からわたしは、わくわくしてしているのです。 (ケパ)
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そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。(イザ65:19~20)
狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。【主】を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。(イザヤ11:6~9)