早天であることを悔い改めるよう示された。神の指摘はまさにその通りで、振り返ってみれば私に弁解の余地がない。次の御言葉が頭に響く。
「あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。」(マタイ7章3節 新改訳©2017)
「ああ、私は何と愛がない者なんだろう! 」と思わされた。自分が楽になることを望んで、惰性で接していて、親身になってフォローしようとしていなかった。私には心から祈りたい方々がいる。それで悔い改めて「主よ、自己愛しかない私を哀れんでください」と神に祈る。
するとそっと励ましの示しが来るのだ。私は慰めを受け、再び目を天に向ける。まことに神は慈愛に満ちたお方、すべてを捧げるにふさわしいお方だ、と。
すべての栄光は神に❗️
ケパ