ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

21年生きた猫の話

2020年03月19日 | 随想
今年も桜の季節が近づいて来た。そんな近頃、長女から、猫のドラがほぼ21年の生涯を全うした連絡を受けた。私も気になっていたので、とうとうその時が来たのか、と感慨にしたった。

21年前、家族は四人でマイホームに住んでいた。私は教務主任(教頭に次ぐポジション)で忙しい毎日を送っていた。いよいよ卒業式が近づいたある日、学校に来た段ボール取集業者が小さなボール箱を職員室に持って来た。「うっかり収集してしまうところでしたよ」と。中身は生まれた直後の赤ちゃん猫だった。

このような場合、当座の世話は教頭の仕事となる。当初は小さな泣き声を上げていた赤ちゃんも、給食の牛乳を受けつけず、夕方、沢山いる教員も忙しさに見て見ぬふりをして家路に急ぐ頃には、すでに声すらなく、ただグッタリして横たわっていた。
こうして8時過ぎに、いよいよ職員室は教頭と私だけになった。
「中村先生、この子は明日の朝までは生きておらんじゃろうのう?」
「教頭先生、もう今でも虫の息ですよ、この子」と私。
「ああ、職員室で死んでしまうのは、良うないのうー」と教頭。
「教頭先生、我が家には犬がいますから、ここは教頭先生が引き受けてくださらんとー」
「それがのう、ウチは共稼ぎで、家には誰もおらんのじゃあ。」
(それって私になんとかしろ、ということ? 困った、ああ、困った)
「じゃあ、家に電話してみます。ダメと言うと思うんですが、ダメならこの子の寿命だと思うしかないですね、教頭先生。」
「そうじゃのうー。」

事情を電話すると、意外にも「一時的なら良いわよ」とお許可があり、ほとんど動かなくなった赤ちゃん猫、明らかに死ぬ寸前の猫を車の助手席に置いて帰ることになった。学校から自宅に帰る途中に、モダンな造りの動物病院があって、寄って見るとすでに病院は閉まっていた。それでも私は入り口のブザーを押し、ブザー越しに事情を話した。
すると獣医師が降りて来てくれて、なんと緊急の手当をし、赤ちゃん猫専用のミルクと注射器をセットでくれて、タダだと言う。何という立派な医師だと思っていると、「その代わりに」と言って、たとえ引き取り手がいない場合でも、最後まで私が責任を取って飼うことを念押しされた。「どひゃあー、そ、そんなぁ、こ、これはとんでもない災難だぁ。」

帰ってみると、玄関にはすでに妻と二人の娘が待ち構えていて、その直後から3時間おきに、猫ミルクを胃袋に注射器で注入する三人の分担制作業が始まった。必死の取り組みが始まったものの、帰りの遅い私はまったくカヤの外だった。(来たばかりなドラ)


こうして一命を取り留めた子猫は、キジトラ猫だったので「ドラ」と名がつけられ、一時預かりのつもりだったため、学校でポスターを貼っての飼い主探しの効なく、結局、我が家の猫になった。懸命に子猫ドラを育てているうち、愛情が湧いてしまったからである。(危機を脱した頃のドラ)


その結果、母子三人でドラの主人の座をめぐって骨肉の争いをした結果、長女が勝利をおさめて決着した。結局、ドラはほぼ21年、終生長女のもとで生き、人間で言えば百歳ぐらいの大長寿を全うしたことになる。(晩年のドラ)


実は八年ぐらい前、長女に頼まれてキャットシッターよろしく、ドラの世話をしたことがある。久しぶりの対面だ。懐かしくてドラの体を撫でた時の、そのドラの表情が忘れられない。
はじめは訝しんでいたが、すぐに「ぼーっ」と遠くの過去を思い出すような、そんな表情になり、やがて私の顔をまじまじとのぞき込んだのだ。


血統書付きの猫も良いが、ミックスの猫は健康であるだけでなく、その価値は家族にとっては何ら変わりはない。ドラよ長い間、長女と人生を伴走してくれてありがとう。


      ケパ




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