写真は、今から約30年近くも前に、わたしが初めて手に入れたハードディスクのモック(模型)である。その時のパソコンはNECのMシリーズで、確か本体のメモリがMS-DOSの640㎅の壁で立ち往生していたものだったと思う。それに対していちいち5インチのフロッピーディスクを差し替える手間を省くために、当時世に出たばかりのハードディスクを買ったのだ。
ハードディスクの容量は10メガ。ギガではない、メガである。値段は10万円。それに対して上に乗せているUSBメモリは128ギガ。お値段は5千円。
するとこの年月の間にこんなに軽く小さく、しかし記憶容量は12800倍になったのだ。体積比、重量比で計算すると万倍どころではなく、億万倍というところだろう。このメモリ(記憶容量)の発展は、この30年間の進歩の土台である。
この間社会はレコードがCDになり、音楽サイトからのダウンロードに移行して来た。遅々として進まないように思えたが、未来への夢は確かに現実のものとなってきている。
もっと確かな例を挙げると、iPhoneは、この頃私の見た夢が現実のものとなったものだ。つまりボケットに入るコンピューターでどこにでも持ち歩け、メールやチョイ仕事をこなせ、音楽を聴き、写真が撮れる。もっともiPhoneのように画面タッチで入力をこなすことまでは、全く考えていなかったのだが。 ケパ
ハードディスクの容量は10メガ。ギガではない、メガである。値段は10万円。それに対して上に乗せているUSBメモリは128ギガ。お値段は5千円。
するとこの年月の間にこんなに軽く小さく、しかし記憶容量は12800倍になったのだ。体積比、重量比で計算すると万倍どころではなく、億万倍というところだろう。このメモリ(記憶容量)の発展は、この30年間の進歩の土台である。
この間社会はレコードがCDになり、音楽サイトからのダウンロードに移行して来た。遅々として進まないように思えたが、未来への夢は確かに現実のものとなってきている。
もっと確かな例を挙げると、iPhoneは、この頃私の見た夢が現実のものとなったものだ。つまりボケットに入るコンピューターでどこにでも持ち歩け、メールやチョイ仕事をこなせ、音楽を聴き、写真が撮れる。もっともiPhoneのように画面タッチで入力をこなすことまでは、全く考えていなかったのだが。 ケパ