ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

流した汗と涙の数だけ

2014年10月25日 | 食べる

Pc_2  今朝も机の隣で、ドルカスのリクエストコールがひびく・・・・
「ねえ、ねえ、ネットにつなげようとしたら、画面がロックしちゃった」
「グーグルが立ち上がらない」
「Yahoo!のバーがイヤ(出てくるの、何とかして…)」

 

 作業をやむなく止めて(考えているアイデアがある時はつらいが)、対応する。Wi-Fi接続は?→Noじゃないか。(前の違う接続を覚えているらしい)まずこれを認識させて接続。次にグーグルの画面が立ち上がらない→httpのアドレスをチェックする。Yahooのサイトからだからできていないようなので、Googleにチェンジ。OK!しかしYahooに戻ってしまうみたいなので、コンパネでYahoo自体を完全に削除する。はじめからチェックしてみると、問題はすべて解消。

 

 この間数分かかったのだが、パソコンというのは日々こうしたトラブルが続出するものなので、初心の方にとっては大変なことだろう。せっかくiPhoneを買っても、パソコンのメールが受け取れてなかPhotoったり、ミュージック(CDなどの自分が好きな音楽を)聴くことができていない人が結構居るようだ(右写真はiPhoneのiTuneで、音楽(風のひびき2)をBTスピーカーで接続した例)。それではあまりにもモッタイーナイ状態なのだが。

 

 私が多少なりともできるのは訳がある。30年前、悪筆が恥ずかしいのでワープロに頼ろうとしたのだ。それからms-dosのNECパソコンにはまり、自作パソコンとかに手を広げてしまった。この間、すべて自分一人で解くしかない環境で、どれほど難問苦悶に陥ったことか・・・・唯一の助けがメーカーサポートだった。と言うことは、あまり引け目を感じない字で書けていたら、きっと「機械で書いた字など、心が入っとらん」と未だに思っていたかも知れない。そしてこの趣味にたくさんの時間を割いたことも、解決できなくて口惜しく、眠れない夜を幾晩も過ごしたことも、今こうして益に変えられているのかーっと思う。

 

 人は知・情・意というが、知にしても、まして意にしても、情がなければ心が向き合わない。するといつまでも覚えられず、身につかない。信仰についても、同じことが言える。頭でっかちで神を信じていた時代が30年あったが、今ではそれは、無益とまでは思わないものの、ホンモノの信仰とはいえないと思っている。

 試練にあい、苦しめられ、人格が変わるほどの絶望の底に沈んだことが、新しく生まれ変わるサナギの殻、祝福の元となった。確かに人は、苦しめられなければ、真に神を求めようとしないのだ。流した汗と涙の数だけが・・・・益と変えられているのを見るのだ。   ケパ

~~~神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ロマ 8:28)~~~

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