ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

名前

2012年01月18日 | 派遣

 一昔前に流行った歌でゴダイゴの「名前、それは燃える命」というのがあった。
 実はこの度、カンボジアの孤児院ツアーに参加して、皆が一番苦戦したのは、この名前だった。「礎の石カンボジアの孤児院の子どもたち」と言えば、それで32名の全員を言ったことになるかもしれない。しかし、そうであればこそ、集団の中の子どもたちは、一人一人を一個の人間として認識してくれる「名前」にこだわる。

 実はわたしは田舎育ちなのに、ありあまる自然の中でまったく植物には関心が無かった。だから花の時期を過ぎたら、桜と梅の区別がつかなかった。植物だけでない、鳥もカラスとスズメぐらいしか分からない。けれども動物には関心があったから、イタチやムササビなど結構わかっていた。名前はその人の関心に比例する。孤児の名前をきちんと覚えることは、何よりも関心のレベルを表し、一人一人を愛していることのスタートになる。これが実は大変だった。
 何回か孤児院で会うと、子どもたちは「わたしの名前は?」と先ず覚えてくれていたか、聞いてくる。私たちが的確に名前を言えないと、明らかにちょっと落胆し、そしてめげずに熱心に教えてくれる。名前を覚えてもらえることは、オーバーに言えば、集団の中で埋没するか、相手の中に生きていけるかの死活問題なのだ。

 実は小学校の教師を30年していて、わたしは担任する子どもたちの名前を覚えるのが苦手な教師だった。4月6日の初顔合わせはそれで良いかも知れないが、次日以降はそうはいかない。子どもの方は「担任は中村先生」の一言ですむが、わたしは30数名を一時に覚えなくてはならない。苦手ではすまないので、努力をした。つまりあんちょこを作って、それをいつも教卓や教師机の上に貼っていた。初日に担任する子どもを一人一人、ブロマイド風に写真を撮る。すぐにその写真に名前を書いたカードを作って貼るのだった。そして英単語風に覚える努力をする。

 カンボジアの孤児院の子どもたちの名前には2種類ある。一つはクリスチャンネームだ。「ティモテ」とか「ヨシュア」とかがこれに当たる。もう一つはカンボジア人の名前だ。「ビスナ-」とか「キィアン」などがこれにあたる。日本では考えられないかも知れないが、クリスチャンネームの子どもは、孤児院に引き取られた時に、本名がわからなかった子ども(カンボジアではまだ戸籍制度が確立していない)。分かっていれば、もちろん、その名を変えることはしない。私たちが覚えるのに苦戦したのは、カンボジアの名前だ。発音が違うので、「ビスナ-」なのか「ヴィスナ」なのかそれぞれの聞く耳によって異なって聞こえる。「キィアン」も「キャン」に聞こえたり、「キーアン」に聞こえたりする。Coc

 それで前職の経験を生かし、帰国してからだが、子どもたちの集合顔写真に、全員の名前を入れ込んだものを作って覚えている。これがまた、すごく大変だった。なにしろ唯一のコミュニケーションが、お互いにとって外国語である英語。参加した何人かの人に聞いても、前述のように微妙に名前が違う。おまけに控えめな子やほとんど表に出てこなかった子もいて、うろ覚えの私にはお手上げだった。それでSOSをあげ、、何人かの人に助けてもらい、苦節10日あまり、ようやくできたのでした。

 苦労のし甲斐もあって、わが家に大きく貼ったこの写真を見上げながら、次回カンボジアの孤児院を訪問する機会には、子どもたちの名前をきちんと呼んであげられそうな気がしてくる。それが、名前が無かった孤児の子どもたちに対しての、何より愛と関心の出発点だと思うのだった。 (ケパ)

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