ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

映画「家族はつらいよ」と、家族考

2016年03月21日 | 映画•映像
久しぶりに映画を観た。結婚して45年近い老夫婦の橋爪功と吉行和子が演ずる老夫婦。妻が誕生日プレゼントに花束をもらった事から、夫が祝いに「何を贈ろうか?」と聞くと、妻は450円で済む「離婚届けに署名捺印して欲しい」と。
すべてはこの老夫婦の離婚騒動から始まる、お笑い的な家族ドラマだ。隣のドルカスがあんまりクスクス笑うので、少なくとも3、4回は「シーッ」と注意しなければならなかったほどである。

ところが私は笑えなかった。実際にこれに近い体験をしている上、離婚届の紙に見覚えがあるので、その時のことを思い出さざるを得ないのである。きっと笑えるのは、そんな危機がなかった、幸せな家族の人だったのだろうと思う。

さて、結末はハプニング後のドタバタで終わるのだが、それゆえ詰めの甘さを感じさせられた。最後に次男の婚約者役の蒼井優が意を決して、義父になる橋爪に言った「(妻のこと、どう思っているのか、どうしてもらいたいのか)ちゃんと義母に答えを言葉に出して言って!」「言葉が大切なの!」がテーマらしいのだが、それだけで万事めでたし、メデタシというのは、あまりにも拙劣ではないか。

親子は血筋でつながっているが、夫婦の場合は、もともと他人同士。だから子どもが一人立ちすると、それまでの絆や互いの気持ちしかそこには残っていない。とこう思わさせられるのは、映画のような、神を知らない平均的な日本の家庭の話であって、この映画を観ながら、それが実にやりきれない。

私は子どもの時から、愛のある家庭を作りたかった。だから、家庭を持つ時は、ほんとうに大好きな人としか結婚しないとかたく心に決めて大きくなった。ところが心に決めた人と結婚できなくなると、そういう男だからイエズス会の修道院に入る寸前まで行った。
さて、そうまでした先の妻がガンで召天し、二度目の結婚を私はした。先のとは大違いで、人間的な愛以前の、ただ心から愛する神が導いてくださった相手という、それだけだった。しかし、結果として私たちは、この群れの中のベスト・カップルの一つだと自認している。
こうして私が体験として断言できることは、人間の恋愛感情ほど当てにならぬものはなく、それに支配されては人生を誤る可能性が高いこと。そうではなく、ふたりの間に神が接着剤としておられることがベストである。言い方を変えれば、神への愛が二人の愛に勝り、神が確かに二人を一つに導かれた確信が最善である。


最近ピアノのサスティーンの端子が壁に当たらないよう、木で保護する工作をした。
厚みを出すために二枚の板を木工ボンドで貼り合わせたが、このボンドは実に強力で、もし剥がそうとすればなんと接合部分より、周辺の板の方が破壊されてしまう。
このように、移ろいやすい互いの人間的な感情を当てにするより、神がふたりの間に居られることは、木工ボンドよりもはるかに強力な接着剤、土台である。
ケパ



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