ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

人を愛する神

2015年12月04日 | 聖書
神を信じない人は当然としても、クリスチャンに対しても戸惑うことがある。それは「神とはどういうお方、お人柄なのか?」ということである。

これについては実はすごい資料がある。キリスト教の神は唯一神であるが、三位一体の神でもある。特に十字架のために人の形をしてこの世に来てくださったキリストが最大のモデルである。このキリストについては聖書でなんと、福音書という四つに分かれて詳細に描かれている。このイエスという神を知る手がかりを、以下の二つをあげる。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」・・・(マタイ5;3–4)

石打ち刑で殺されるべき姦淫の女、を連れて来て、イエスに断罪させようとし企みに対して、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。(ヨハネ伝8章)

「神は愛なり」とよく言われるが、弱者に寄り添い、人間の罪深い弱さに対しても、この深い透徹した愛そのものに、自分の心が痛むほど、愛なるお人柄がよく分かるのだ。
もう一つ、日々のデボーションなどを通して、内住される聖霊様との交わりによって知ることができる。よく「聞き従い」とか「御心を行う」とかの言葉があるが、神様の御人格を知れば、このお方がどれほど素晴らしいか、心酔するというか、無条件に従いたくなるし、そのご計画に自分を心から用いていただきたくなるのは必然だ。神様の人柄を深く知る、それは人間としの最高の喜びだと思う。 ケパ



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