今日は関東地方に強い風が吹いた。春2、3番かも知れない。
ちょうど今は季節の変わり目で、わが家の「コール」の毛はちょっと長めなので、家中のあちこちに抜け毛の「毛だま」がごろごろ漂流することになる。昼間、部屋に光が差し込む時など、「うわっ」と思うほど猫毛が浮遊しているのを見ると、ゾッとして思わず逃げ出したくなる。ハウスダストのアレルギー体質があるのだ。実際、発症直前の予感を体に感じるようになっていた。
これは、コールとこれから先一緒に暮らせるかどうかの瀬戸際に立つことだ。発症してしまうと、もうコールとは暮らせなくなる。それはあまりにもつらいことだ。そこで神様に熱心に祈った。「主よ、猫毛アレルギーからわたしをお守りください!」
すると不思議なことに、祈りの後からは、まったく発症の予感を感じることはなくなった。今はそれからちょうど一年後ぐらいである。忘れていたが、写真のようにコールのブラッシングの際には思い出すことになる。これは神の御わざであることは間違いない。
またこのことから気づくことだが、人間の心(嫌悪感、拒否感)とアレルギー(体の反応)とは深い関係があるとも思う。拒否感情によって、体がアレルギーのように反応してしまうのは、心のメカニズムに他ならない。つまり自分の感情が主原因だ。感情というものは、ある意味で自己保存本能が多く、神の目から見て肉的な類が多い。
私たちは自分の感情、心に注意しなければならない。「嫌いな人」「かつて自分を傷つけた憎む人」がいるなら、その感情は正当なものだろうか?また御心のものだろうか?その感情が実は、自分自身を一番傷つけてはいないだろうか?
感情や心に自分を支配させるのではなく、「祈り」という神の力に依って、正しい御心のものにしていただくことができる。この祈りは御心であって、私は実際に自分の心の中に、ほぼ100%成就して行っているので驚く。これは事実だ。神を信じる者は自分をキリストと共に十字架につけたものであって、自分に死ぬことの益と恵の絶大さがここにある。自分自身のこころ(感情の縛り)からの解放が、実際どれほど素晴らしいことか!ハレルヤ! (ケパ)