私たちの教会では賛美を大きく用いているだけに、新曲が毎年何十曲も出る。今年の曲をCDで聴いて、気に入った曲の一つに???があった。
英語らしいのだが何回聴いてもチンプンカンプン、意味が分からないのだ。どうしても「ガッテ-ン、ソーサ(ソ)ー」に聞こえるのだ。「ガッテンだ、そぉーそぉー?」なのか? まさか。この讃美者はハワイで鍛えた英語の出来る人なので、絶対そんな意味なはずがない。後で題名を見ると「God is Awesome!」だった。私の耳能力の至らなさを、思いっきり知らされた感じである。
続いて、1週間前の長崎での殉教記念聖会で聴いた素晴らしい特別賛美。この若い讃美者も英語は本格派である。ところがその曲で繰り返される1番大事な歌詞が英語で、これが聴いていてどうしても分からない。「ガスパイヤー」にしか聞こえないのだ。まさか!
後で分かったのだが「God's Fire」だった。聴いていたあの時分かっていたら、どんなに霊性が引き上げられて感動しただろうか、と感謝する。
ところが昨夜のNHKの「西郷どん」でジョン万次郎が登場したので(脚本家の、ほとんどあり得ないストーリー設定に、いささか鼻白んでしまうのだか)、改めて時代考証を兼ねウィキペディアで調べてみた。
それによると、彼は日本では土佐の漁師で、貧しかったため漢文とかの日本語を書く機会が全くなかった人物である。ところが米国では捕鯨船の船長(下の写真)の養子になり、向学心に燃え、造船技術など学校で最高度の技術を身につけた人物となった。しかしその発音は・・・
「こーる」=「cool」・「わら」=「water」・「さんれぃ」=「Sunday」・「にゅうよぅ」=「New York」など。
実際に現在の英米人にジョン万次郎の発音通りに話すと、多少早口の英語に聞こえるが、正しい発音に近似しており十分意味が通じるという実験結果もあり、万次郎の記した英語辞書の発音法を参考に、日本人にも発音しやすい英語として教えている英会話教室もある。(以上がウィキペディア)
ワラ(water) やサンレイ(Sunday)で十分意味が通じるに驚く。してみると万次郎式で聞いた私のガッテ-ンソーサ(ソ)ーやガスパイヤーも、あながちおかしくはないのかも知れない(笑)。
どうも、言語の修得は耳からの会話か、あるいは文字の目を通してからか、これは大きな分かれ道があるようだ。脳の思考までバイリンガルには、なかなかなりにくいようである。私は文字派なので、どうも聞き取りには弱いのだ。
以上が私の独断的、とり繕い的見方である。
ケパ
英語らしいのだが何回聴いてもチンプンカンプン、意味が分からないのだ。どうしても「ガッテ-ン、ソーサ(ソ)ー」に聞こえるのだ。「ガッテンだ、そぉーそぉー?」なのか? まさか。この讃美者はハワイで鍛えた英語の出来る人なので、絶対そんな意味なはずがない。後で題名を見ると「God is Awesome!」だった。私の耳能力の至らなさを、思いっきり知らされた感じである。
続いて、1週間前の長崎での殉教記念聖会で聴いた素晴らしい特別賛美。この若い讃美者も英語は本格派である。ところがその曲で繰り返される1番大事な歌詞が英語で、これが聴いていてどうしても分からない。「ガスパイヤー」にしか聞こえないのだ。まさか!
後で分かったのだが「God's Fire」だった。聴いていたあの時分かっていたら、どんなに霊性が引き上げられて感動しただろうか、と感謝する。
ところが昨夜のNHKの「西郷どん」でジョン万次郎が登場したので(脚本家の、ほとんどあり得ないストーリー設定に、いささか鼻白んでしまうのだか)、改めて時代考証を兼ねウィキペディアで調べてみた。
それによると、彼は日本では土佐の漁師で、貧しかったため漢文とかの日本語を書く機会が全くなかった人物である。ところが米国では捕鯨船の船長(下の写真)の養子になり、向学心に燃え、造船技術など学校で最高度の技術を身につけた人物となった。しかしその発音は・・・
「こーる」=「cool」・「わら」=「water」・「さんれぃ」=「Sunday」・「にゅうよぅ」=「New York」など。
実際に現在の英米人にジョン万次郎の発音通りに話すと、多少早口の英語に聞こえるが、正しい発音に近似しており十分意味が通じるという実験結果もあり、万次郎の記した英語辞書の発音法を参考に、日本人にも発音しやすい英語として教えている英会話教室もある。(以上がウィキペディア)
ワラ(water) やサンレイ(Sunday)で十分意味が通じるに驚く。してみると万次郎式で聞いた私のガッテ-ンソーサ(ソ)ーやガスパイヤーも、あながちおかしくはないのかも知れない(笑)。
どうも、言語の修得は耳からの会話か、あるいは文字の目を通してからか、これは大きな分かれ道があるようだ。脳の思考までバイリンガルには、なかなかなりにくいようである。私は文字派なので、どうも聞き取りには弱いのだ。
以上が私の独断的、とり繕い的見方である。
ケパ