ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

クリスチャンに滅びはあるか?

2019年04月25日 | 示されたこと
最近、教会で次のことを話題にした。テーマは「クリスチャンでも滅びることはあるか?」である。取り上げたのは昨日の聖書箇所である。ブログの読者の皆さんから、どのように理解されたのだろうか?
 
不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。(テサロニケ人への手紙 第二2912©2017
 
これを単に読むだけなら、信じない人々を神が惑わし、(ゲヘナという地獄へ)さばかれるように一直線、と受け取れないこともありません。
するとあちこちが矛盾して来る。「ええっ、神様って 聖なるお方なのに、惑わすなんて、サタンとおんなじじゃない。そんなことをされるの? 信じらるない!」とか「私、信じているのに、本当に天国に行けるのかしら?」と云々。
 
神は神は愛なる方なので、まさかそんなことはおできにならない。これは元々滅びる人々
、毒麦的な人々がこうなると言う意味である。聖書を読む人の中には、その中の単語、一つの言葉だけを部分的に切り取って行く人々がいる。それは決して否定さらるべきではないが、全体的な流れを無視するので、このような読み誤りをしがちである。
 
聖書に毒麦の例え(マタイ13章)がある。私たち人間には分からないが、神を信じバプテスマを受けていても、滅びの道に戻るものは確かにいる。教会から離れたり、信仰を棄てるのは、元々本当には信じてはいなかったのであって、その偽りの本性が、時が来た時あらわにされるのである。
ただ、私たちには毒麦かどうかは分からない。だからクリスチャンと言えども、滅びに至る人が出ることは、あり得るのてある。
 
 
 
ケパ
 
 
 
コメント
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