甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ)。
「石班澤」は石斑澤の誤刻とみられ、
現在の富士川にある鰍沢(かじかざわ)であろうというのが、
ほぼ一致した見解となっている。
ここは釜無川と笛吹川が合流する急流として知られるが、
それを示すかのように、まるで海辺にでも波が押し寄せ、
激しく岩を噛んでいるかに見える。
岩頭には漁師と子供が見られ、
背景にはいく筋にも流れる霧と、
かすんでわずかに山容を見せる裏富士のみが描かれている。
厳しい自然環境のなかで、
黙々と営みを続ける漁師の姿と、
岩を打つ激しい波が名状しがたい淋しさを
いっそうかきたててくれる一図ではある。
(『北斎展』東京国立博物館2005年10/25-12/4の解説より)
※版画はイラストレーターでトレース、彩色を勝手に一部変更
いちど聞いてみたいですね。
見延山参詣の帰り道、鰍沢の孤家に宿をとったが、
宿の美人が強盗に変身という話・・・。
それにしても見延山は富士山の真西、鰍沢は西北。
この旅人は見延さんから北に向かって、
どういう道筋で江戸に帰ろうとしていたのでしょうか。
鰍沢~甲州街道ということか・・・。
先ず思い浮かべるのは
落語の『鰍沢』です。
先代の正蔵と六代目円生で聴いています。
ウキペディア 『鰍沢』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B0%8D%E6%B2%A2