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街の散歩…ひとりあるき

坂ノ上田村麻呂 鈴鹿山賊徒討 傾城傾国...『北斎漫画』九編

2018年07月28日 | 絵画・彫刻

坂ノ上田村麻呂 鈴鹿山賊徒討■
鈴鹿峠三重県亀山市と滋賀県斯甲賀市の境
東海道で箱根の山に次いで難所といわれた鈴鹿山
盗賊の横行する場所として名高かった。
上方の軍が田村麻呂、下方が賊徒か。

坂ノ上田村麻呂といえば
征夷大将軍-東方の蝦夷征伐
801年、桓武天皇の時
4万の軍勢を率いて平安京より出征
半年後は蝦夷討伏したという。

傾城 傾国■女伶
女伶…じょれい…中国語で女優という意味らしい
早い話が白拍子ではないか。
烏帽子、白い直垂(ひたたれ)、水干、刀をさして舞った。
古くは巫女舞いから、次第に芸能化し、遊女へと転化したとか。
遊女とはいえ見識が高く、清盛の愛妻・祇王や仏御前
義経の愛妻・静御前などなど白拍子であったという。

傾城傾国■白居易『長恨歌』
原文(白文)
漢皇重色思傾国
御宇多年求不得
楊家有女初長成 
養在深閨人未識
天生麗質難自棄 
一朝選在君王側
迴眸一笑百媚生 
六宮粉黛無顔色

漢皇色を重んじて傾国を思ふ
御宇(ぎょう)多年求むれども得ず
楊家(ようか)に女(むすめ)有り初めて長成し
養はれて深閨(しんけい)に在り人未(いま)だ識(し)らず
天生の麗質自ら棄て難く
一朝選ばれて君王の側(かたわら)に在り
眸(ひとみ)を迴(めぐ)らして一笑すれば百媚(ひゃくび)生じ
六宮(りくきゅう)の粉黛(ふんたい)顔色(がんしょく)無し

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