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街の散歩…ひとりあるき

16-17 迦毘羅城 騒動 車匿 遺物(かたみ)を献ず『釋迦尊御一代記圖會』巻之3 

2024年09月30日 | 宗教

押し当て声を惜しまず泣き給えば、並居(なみい)る女官諸臣まで俱に愁泪(しゅうるい)を止めかねけり。淨
飯王は何とか思し召しけん、突然として坐を起(たち)給いや、おれ、車匿、其の馬是へ牽けよと詔
(のたまう)。車匿、愕き、是は何の料(りょう)に御馬を召させ給うにやと、心に訝り頓(とみ)にも牽得ず。月
光臣、大王に對かい君、今馬を召して何処へ御幸なし給うと問い奉る。王、声を曇らし
て宣わく、世の上(なか)の親心、貴きも賤しきも子を思わぬ者やある。形醜く才拙き子をだに
愛(め)で慈しむならいなる。増して况んや朕が太子は、三十二相八十種好具(こうぐ)足せしのみならず、
天文、地理、算数、書画、舞楽、弓馬および万芸に達し、智は古今に秀で、筋力さへ
天下に敵なし。然るに今、虎狼蛇蝎(かつ)の栖(すみ)みたる深山幽谷に入って道を修す。豈、是
を他に見るに忍んや。太子在らずんば轉輪王の位、北斗を支うる冨も何かはせん。朕も其の
山に分け登り、太子と俱に道を修し艱難を一致にし、死生を斉(ひと)しくすべきなりと
宣旨なる。月光大臣、色を正して曰く、是は如何なる勅諚候や、君、此の国を捨て給いて
慈悲賢王より連綿たる血脈断絶し、轉輪王位他人の有となりて萬代の末
まで不徳の譏りを遺し給うべし。臣、塾(つらつら)考え候に太子学道の御望なる事、
一朝夕(いっちょうせき)の義にては候まし。故、如何となれば摩耶夫人御懐妊のとき相者が申せし

勘文(かんもん)といい、太子降誕のとき三十四の瑞慶現じ、七歩にして獅々吼(く)の金言に
も三世了逹四弘誓願諸法塵内天上天下唯我独尊と曰いしを以ても、世栄(せいえい)を
楽しみ給わず事明らけし。そのうえ十九歳にならせ給うまで女色を近づけ給わず、御出遊
の路上に病弱死の相を示すなんど総て不思議のこと多し。今亦、車匿の奏するを
以て考うれば城門己(おのれ)と開き、一千三百余里を半夜の内に到り給う事、諸天の
擁護なる事疑いなし。仮令(たとえ)深山幽谷に住し給うとも、猛獣毒蛇も害を加うること
能うまじ。伏して願わくば叡慮を宥(なだ)め給い、太子の御運を天に任し、学道成仏して
かえらせ給う時節を待たせ給えと、詞を渇(かつ)してぞ諫めける。淨飯王、諌奏(かんそう)に
叡慮弛み給い、實(げに)、伱が申す所も理(ことわり)なり。故夫人が夢想といい、是までの奇事を考え
れば、太子は朕が子にして朕が子ならず。真に佛菩薩の再生なるべし。然れども
朕、尚、愛慕の念を禁ずる事能わず。朕、年已に老いに臨み難陀いまだ稚く、余に
王位を譲るべき者なし、是を如何とかすべき。月光が曰く、難陀太子御幼稚
なれども聡明叡智なれば、太子に立て給うとも誰か不可なりと申すべき。且、大王
いまだ衰老し給うにあらず。何ぞ、さのみ叡慮を煩わし給うべきと日光、星光
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