東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

滅多なことは言わないことだと反省…

2010-02-28 14:53:53 | 日記
 私は25日のブログ上で「大地震がこなければいいのだが…」と書いたが、途端にその心配が当たってしまった。。。私は預言者か??(怖!)

 27日早朝、沖縄本島では99年ぶりに震度5を観測。幸い人命に係るような被害は出なかったが、一世紀にわたって大きな揺れがなかっただけに、さぞかしお婆たちはビックリされ腰を抜かしたり、ベッドから落ちたり…生涯で初の体験をされたことだろう。お気の毒に…
                       △屋根瓦が落ちた うるま市の住宅

 沖縄はこれまで大きな地震の起こる確率が非常に低いことから、日本企業はこぞってこの地に自社のサーバーを置いているらしいが…
関東地方から移住した友人も住んでいるのでちょっと心配したが、那覇は震度4とのことなので関東で生まれ育った人間にしたら大したことないはず。でも、うちなんちゅは大騒ぎしているらしいね。

そして、その余韻もさめないうちに今度は南米チリでM8.8というとてつもなく巨大な地震が発生。こちらは死者も多数出ている模様で、チリの大統領は非常事態を宣言。日本からも早速、救援の申し出をしたようだ。また、その巨大エネルギーによって津波が発生。
津波と言えば、スマトラ島沖地震によるプーケットなどでの被害が記憶に新しい。
世界共通語のようだ…Tsunami
▼チリ・サンティアゴの様子
 
翌日は日本にもツナミが押し寄せるという予報が気象庁から出さた。3メートルの津波がやってくるとされ「大津波警報」が出された青森、岩手、宮城県の太平洋沿岸住民は高台に避難することになった。しかしこのブログを書いている時点では、予想に反して波は穏やかなようだ。津波到達時刻からは1時間以上過ぎているが、もう安心ということにはならないだろう。何事も誤差はつきものということで、海岸沿いの道路は通行止め、鉄道は運転を見合わせて正解だ。

まったく。。。
私も滅多なことは言わないようにしないと皆の迷惑になるので気をつけなきゃな~
でも試しに言いたいことが… う~ん、やっぱり今はやめておこう

よくやったね、真央ちゃん!

2010-02-27 16:03:47 | 日記
 注目された女子フィギュアスケートの結果は韓国のキム・ヨナ(김연아 )(金姸兒)( Kim Yu-Na) がフィギュア史上最高得点(SP:78.5・フリー:150.06=228.56点)で金メダルの栄冠に輝いた。
逆転を目指した我らが真央ちゃんは五輪では女子で初めてトリプルアクセル(三回転半)を二度決め、総合得点も自己最高の205.50点としたが、23点以上の大差をつけられ銀メダルに…。演技の後は涙を流して悔しがり、4年後のソチで再挑戦を宣言… 
でもよくやったよ、本当にお疲れ様でした真央ちゃん!
 
専門家の目からだと、今の段階では真央ちゃんがいくら完璧な演技をしてもキム・ヨナには勝てないというのだが…。
素人目にもキム・ヨナには技のキレや正確さと共に表現力に優れ、動きに女性としての艶があるような気がする。
もしキム・ヨナの失敗でしか金メダルが獲れないとしたら、真央ちゃんも心中複雑だろう。。。でも今回のオリンピックはまだ通過点だ。リベンジの余地は十分あるはず。
ジュニア時代は負け続けたキム・ヨナが何故真央ちゃんと同世代なのかと落ち込んだ。
そうやって切磋琢磨してきたから、2人が世界のツートップになれたと私は思う。
どちらが欠けても、こういう結果にはなっていなかったと・・・

そして、まだ19歳の彼女に懸かった重圧はいかばかりかと考えれば、世界第2位は「本当によくやった」という言葉しか思い浮かばない。
日本国中が真央ちゃんの演技から感動をもらったと思う。

ということで、オリンピックも終わり同然だ。。。
バンクーバーオリンピック…中国や韓国の強さがアジアでは際立った感がある。
「がんばれ、日本!」
次の2014年ロシア・ソチオリンピックでは是非とも一番高いところに日の丸を掲げて欲しいものだ。。。

 話はタイトルとは全然違うが、キム・ヨナの「キム」で思い出したハナシが…(笑)
よく行く「Tちゃん」では韓国の歌手、キム・ランヒの歌が流行っている。
「あんたの大阪」、「大阪純情」など大阪ラブソングとして馴染みやすく、歌いやすい曲が多いようだ。
キム・ランヒのことは今年に入ってから知ったが、一流どころのホテルでディナーショーを催すなど一部の熱烈なファンの支援で人気に火がつき、全国区を目指してなかなか頑張っているようだ。
試しに1回聴いてみて…この種の歌としたら私は結構好きだけどな~



MJ<THIS IS IT> に感動///今さらながら

2010-02-26 16:38:13 | 日記
 昨夜は家でマイケル・ジャクソン「THIS IS IT」のDVDを見た。。。
このブログをご覧の方で劇場に足を運んで観たという人も多いのでは??
2009年3月5日、マイケル・ジャクソンはロンドンの02アリーナにて、同地でのコンサート公演『THIS IS IT』を行うことを表明。同年7月13日から2010年3月6日までに全50公演の開催が予定されていたが、直前の6月25日にマイケルが急死。本作品はマイケルの亡くなる2日前(正確には現地時間の6月23日)までの『THIS IS IT』に向けたリハーサル映像を中心に構成されている。

 ソニー・ピクチャーズが6000万ドルで制作したが、アメリカで昨年10月27日夜に行われた先行上映のみで220万ドルを稼ぎ、さらに週末興行収入だけで2300万ドルを稼ぎ出し初登場1位となった。
日本では全国の劇場で同28日から31日までの4日間で50万9251人の観客動員数を記録。また31日には新宿ピカデリーの観客動員数が4025人を記録し、それまでの最多記録であった『崖の上のポニョ』を500名上回った。興行収入だけで2億5200万ドル…制作費などはすぐにペイできたわけだ。


しかし今さらながら、彼の音楽やダンスに対する天才ぶりや、ファンを非日常へ連れ去るパフォーマンスや考え方に感心した。この遺作となったDVDを見れば、何故、彼が「King of Pop」 と呼ばれるのか、スーパースターであり続けられたのか理解できるだろう。

 リハーサルにもかかわらずマイケルは最高!!歌とダンスのうまさは鳥肌が立つくらいカッコいい~。。。若い時よりダンスも進化をしているようで、とても50歳には見えない!! 常人には分からない非常にストイックな生活をしていたのだろう。
日本のダンスグループは彼のステージのパクリのようだし、ダンスミュージックにすごい影響を与えたんだろうと容易に理解できる。 そんな彼が亡くなってしまうとは、実にもったいないことをしたもんだ。


いろいろと物議を醸すこともあったが、天才って人はイメージ的にも理解を超えたところにいるような気がする。
天才的な芸術家は亡くなってしまってからその偉大さに気付くという。
しかし天才的なパフォーマーは偉大と言われている間に伝説となってしまうことが多い。
MJも例外ではなかったということだ。
▼26年前、当時のロナルド・レーガン米大統領夫妻に招かれて…

早めに確定申告に行っとこう

2010-02-25 16:19:58 | 日記
 来月15日までが期限の確定申告…商売人には面倒臭い季節だ。
しかし納税は国民の義務である。締め切り間際になって駆け込みで書類を提出するようなけしからん団体もあるが、とんでもない話だ。。。


ぼちぼち準備はしてきたので、後はエクセルに入力して足し算したデータを申請書類に書き写すだけだ。店の方は来月初旬には提出と納付をしたい。。。
今日は義父の申告書を家内が提出・納付に税務署に行った。

昨夜は久しぶりにYHさんと「魚系居酒屋⇒Tちゃん」のパッケージだった。。
ここ数日は4月から5月並の暖かさで、遅くまで飲んだ翌日・・日中は余計に眠たい。
2月で軒並み20℃を超すのは23年ぶりだとか…大地震でも来なきゃいいが。。。

この魚系居酒屋はいつ行っても超満員。店員も愛想がいいし活気もあるし、ネタが新鮮で驚くほど安いから流行るのも当たり前。何組のお客さんが入れずに帰ったことか…


そのあとは家内の同級生だった「Tちゃん」へ…
行ったら別の同級生が3人いて談笑中だった。。。
こりゃ今晩も遅くなる・・・の予想通り  ボトルがポンポン空いてしまうことに(酔)
あ~、、、なかなか休肝日ってのは作れないもんやな~
よ~し、今晩こそは!!・・・と真剣に考えたことがないから仕方ないか~(笑) 

中世の空気にふれて…

2010-02-24 15:40:35 | 日記
 京都は大阪から思いのほか近い。
「おけいはん」の快速急行や特急(特急券などは要らない)で京都市内の東まで行くのに大阪中心部から1時間かからない。京橋駅から七条までは45分ほどで着く。
   

今日は4月上旬の気候で、コートを手に持っている人も少なくない。
ゆったりと流れる加茂川を背に東へ歩く。
5分ほど歩くと右側に国宝三十三間堂の駐車場への入り口が…
通りを挟んで左に見えてきたのが目指す博物館だ…
青く澄み切った空に京都国立博物館のレトロなレンガ色が映える。こうした非日常の光景は遠くヨーロッパを訪ねたような気分にさせてくれて、これから鑑賞する絵画への期待が否が応でも募ってくる。

京都国立博物館に来たのは初めてで、その重厚な佇まいは純和風の古都にあって異彩を放っている。平日にも拘らず館内は結構な人ごみだった。
ハプスブルク家やゆかりの至宝がいかに人気があるか実感できる。土日には入場制限をして待ち時間がかなり出るとのことだから、待ち時間もなく実物と数十センチのところでじっくり鑑賞するには、やはり平日に限るだろう。

勿論、館内は撮影禁止、携帯電話の使用も禁止されている。
特別出品として、館内すぐの部屋に明治天皇から皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に贈られた画帖と蒔絵棚が展示されていた。
続く三室にはイタリア絵画、スペイン絵画、そしてメインのハプスブルク家の肖像画
と武具のコレクションが、、、
ハプスブルク家の人々の中でもひときわ美しさを誇ったのがエリザベート皇妃…その透けるような肌の白さとキャンバスの大きさで圧倒的な存在感を放っていた。フランツ・クサファー・ヴィンターハルター作「オーストリア皇妃エリザベート」(1865年) 
彼女の旦那が前出の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世だ。
絵の前から動かない人がたくさんいて、夕方の阪神高速のように混雑を極めた。

そして、何と言ってもディエゴ・ベラスケスの作品は人気が高く、昨日ブログアップした「白衣の王女マルガリータ・テレサ(マリア・テレジア)」、「スペイン王妃マルゲレーテ(マルガリータ)」、
「皇太子フェリペ・プロスペロ」の前もかなりの混雑。ベラスケスの作品はどれも目に力があるし、精緻この上ない忠実さと華がある。血族結婚の繰り返しで生まれたこの皇太子も病弱で、この絵が完成してから間もなく亡くなっている。様々な護符や居場所の分かる鈴が付けられている。
作品には手で触れることができる至近距離まで近づけて嬉しいが、こんなに近くで見てもいいのか戸惑うほどだった。警備員がピッタリと張り付いていたのは当然だろう。

その次はドイツ絵画、フランドル・オランダ絵画の部屋へと続くがここでは、ベーテル・バウル・ルーベンス作「悔悛のマグダラのマリアと姉マルタ」が目を引いた。。。

作品の背景とか色々と説明したいが、膨大な文字数になりそうなので、興味のある方は各自で調べて欲しい(笑)

帰りの特急の車内では現実と中世をグルグルと、、、半分夢うつつで大阪に…
良いものを観たな~という満足感で一杯だ、、心が洗われるような気がした。
しかし、やっぱり…おなかはすくんだな~(笑)
帰って早く一杯やりたくなった・・・ラピスラズリと金の装飾をあしらった杯で!

ヨーロッパ中世の歴史をおさらいしておく

2010-02-22 17:17:46 | 日記
 明日は昼から店は休みにして京都国立博物館に行く予定だ。
京橋から京阪電車に乗って七条で下車し、有名な三十三間堂を右に見て駅から徒歩約七分…。

「The ハプスブルク」という中世ヨーロッパファンにはたまらない響きの展覧会が、今回、京都で開催されることに…(来月14日まで開催)

 私は高校では世界史を選択していたので、ある程度の下地はあると自負していたが…う~ん、ほとんどが「聞いたことある!」という程度のもので、内容的にはすでにかなりの部分が忘却の彼方であった。。。(ガックリ)

そこで急いで得意だった一夜漬けで「ハプスブルク家(ハプスブルグ家)」の勉強をしようと思う。
△ハプスブルク家の紋章「双頭の鷲」
 「東西に睨みを利かせてるぞ」という強い意志の表れだという。

650年間ヨーロッパに君臨したハプスブルク家への造詣もない者が、こんな世界遺産のような実物を鑑賞するのは申し訳ないような気がするし、またそうした超一流の芸術家たちへの知識があれば、より深く作品を楽しむことができるだろう。

▽言わずと知れた11歳の女帝マリア・テレジア… アンドレアス・メラー作

マリア・テレジアは20歳から39歳までの間に16人の子どもをもうけたが、末娘がフランス王ルイ16世に嫁いだマリア・アントーニア…マリー・アントワネットだ。
マリア・テレジアの肩書きを聞いただけで、ハプスブルク家がどんなものか分かるだろう。
・・・神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの皇后、オーストリア大公(在位:1740年―1780年)、ハンガリー女王(在位:同じ)、ベーメン女王(在位:1743年―1780年)でオーストリア系ハプスブルク家男系の最後の君主で、実質的に政治を切り回す女帝だった。
形骸化した神聖ローマ帝国(ドイツ)よりもオーストリア大公を継承するハプスブルク家の方が力的にも優位で、帝国の皇后にもかかわらず民衆からも「女帝」と認識されていた。

とか何とか言っても私の平素の浅学は如何ともしがたく……そうした巨匠の第一級の作品群を前にして同じ空気に触れられるだけでも幸せなことかもしれないと、、、ハードルを少し下げておこうかな~(笑)

13世紀に勃興して20世紀初頭までヨーロッパに君臨したハプスブルク家は、戦争で支配地域や領土を拡大するのではなく、巧みな結婚政策によって勢力を拡大し、神聖ローマ皇帝も数多く輩出するなど、右に並ぶものがない名門王家となる。

歴代の王たちは、優れた審美眼と熱意をもって芸術保護に乗り出し、ヨーロッパ美術の真髄を伝える質の高いコレクションを形成した。

△ ディエゴ・ベラスケス作:白衣の王女マルガリータ・テレサ(1656年作)
このベラスケスの絵も有名だ。テレサは叔父に嫁いだ。ハプスブルク家に限らず名門家では近親結婚が繰り返されており、病弱であったり早世する子どもが後を絶たなかった。
テレサも21歳の若さで亡くなっている。

デューラーを庇護したマクシミリアン1世、ティツィアーノを召し抱えたカール5世、多数の宮廷画家を擁したルドルフ2世、ベラスケスを側近としても重用したフェリペ4世、1400点にものぼる絵画を集めたネーデルラント総督レオポルト・ヴィルヘルム大公等々、名だたる巨匠と名画の数々に魅了された王たちの成果は枚挙にいとまがない。
女帝マリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世は、作品を宮殿に移し一般公開を始め、その膨大なコレクションは、ハプスブルク家の威光を示す豪華絢爛さだけでなく、歴史的意義や学術的な質の高さという点でも特筆に値する。

あぁ~明日が楽しみや~ 学生時代もこうした向学心があったらよかったのにな~(笑)
テストのためやない勉強はちっとも苦じゃないってこっちゃ~

がんばれニッポン!

2010-02-21 14:23:48 | 日記
 写真展を見て神戸から帰って来る途中、京橋駅で号外が配られていた。
「号外~高橋大輔が銅メダル!」 
男子フィギュアスケートで初めてメダル獲得の快挙だ。
先日、岡山に旅行した折には高橋選手を激励する横断幕やメッセージがいたる所にあった。
その時に初めて彼が岡山県出身ということを知った。
イントネーションも関西弁で関大在学なのでてっきり大阪出身かと思っていたが…

期待されている女子フィギュアもキム・ヨナら強敵揃いだが、是非それ以上のメダルを獲って欲しいものだ。

 アイススケートと言えば、中高生の頃は代々木の国立第一体育館のオリンピックスケートリンク(丹下健三が設計したあの独特の外観の建物)へよく滑りに行った。
今も有料で開放されていると思うが…夏はプールにもなる。東京オリンピックが昭和39年(1964年)だから、完成されてから今年でもうかれこれ46年以上になるわけだ。
しかし今も古臭さをまったく感じさせない優美な外観だと思う。
外人の子達も多く滑っていて片っ端から片言の英語で喋りかけたりして遊んだ記憶が…
金髪の女の子がいると特に頑張って話しかけたが、、、いきなりグッドバイと言われたこともあり、みんなで大笑いしたことも懐かしい思い出だ(笑)。。。

                             
アイススケートも最初は手すり磨きだったものの、ローラースケートを小学生の頃に膝を擦りむきながらやった経験があるので、すぐに後ろ向きにも滑れるようになった。
もう何十年もやってないが、ニュースなどで代々木の第一、第二体育館やスケートリンク場が映るたびにあの当時を思い出す。

オリンピックは終わった後もこうした記念すべき建物や、新たな街づくりを通して優れたインフラが財産として開催都市に残る。大阪も東京に負けずに諦めないで招致して欲しいが…

マルコの写真展に行く。。。

2010-02-18 18:01:56 | 日記
 今日は昼からお店は休みに。。。(家内の用事)
そこで神戸・元町のPaxRexでやっている知人マルコの写真展に行くことにした。
マルコと言っても勿論「ちびまる子」のことではない。モデナ出身のイタリア人でマルコ・マイアンティという38歳の写真家だ。
ラテン語で「Pax」は平和、「Rex」は王様の意味。
芸術を愛するということは、平和への王道であることからオーナーが名付けたらしい。

でも、芸術家によくありがちな話だが、写真だけでは日本で飯は食えないのでイタリアン・レストランに勤めているそうだ。今度、その店にも賑やかしに行ってみたいと思う。

彼は町会の役員の娘さんと結婚して近所に住んでいる。町会行事の餅つきや歳末夜警巡視とかも手伝ってくれるナイスガイ。普段から私にもよく馴染んでくれるので、南京町のランチを食べてから行くことにした。

大阪駅から新快速で三宮まで行き、各停に乗り換えて次の駅、30分もかからないで元町駅に到着だ。寂れた方の西口で下りる。
JRAのウィンズを左に見て海に向かって南下する。
お洒落な店が軒を連ねている元町商店街も平日は大して混みあってないようだ。


その元町商店街を横切り、まずは遅めのランチを食べることに。
南京町の西の外れに西安門がある。その角にあるお店「皇蘭」に入る。

本日の日替わりランチは酢豚と薄切りチャーシューの醤油ラーメン、サラダと御飯が付いて¥880なり。これがまたメッチャうまい!!
愛想もよくてまた来たくなる店なので是非行ってみて。人に会うかもしれないので昼間からビールは、、、控えた。満腹になりもう満足したのでこれで帰ってもいいぐらい(笑)
店を出てさらに南へ…栄通りを渡ってすぐ左に目指すビルがあった。
マルコは不在だった。オーナーに尋ねると明日、明後日はやってくるとのこと。
展示会自体は明後日までなので来場者に挨拶でもするのだろう。

世界で最も歴史があり華やかなヴェネツィアのカーニバル。思い思いのコスチュームで仮装した人々が身分や肩書きなど日常のしがらみを離れ、羽目をはずして楽しむという。
私もそんなカーニバルに行ってみたい~ 羽目をはずしまくりたい。。。

マルコはそのきらびやかな劇場都市ヴェネツィアを幻想的に写真にして切り取り、祝祭のエネルギー、沈みゆくヴェネツィアの栄光と哀愁などをイタリア人ならではの視点で捉えた独特の作風がフィレンツェでも高く評価されている。


額入りの写真は数万円から10万円以上もするので、付き合いでA4のコピーを¥1000にて購入した(笑) これを額に入れて飾っておこうと思う。


帰り道は少し遠回りして東へ…南京町の中心部へ行ってみた。
ちょうど今は中国の正月である春節祭が行われていて、平日にもかかわらず大変な混雑だ。
豚マンで有名な「老祥記」は今日も50人ほどが並んでいる・・・
 他の店の邪魔にならないように分割されて少し離れた路地に並ばなければならない。もちろん警備員のような人が見張っている。言うほど美味いとは思わないけどなぁ。。


孫悟空とお参りして記念撮影もできるが、しっかり有料だ。


マルコへの義理も果たしたし、おなかも一杯だしいろいろ見物もできたし…帰りはラッシュになる前にのんびり快速電車に乗って大阪に向かった。

こんな一人で自由気儘に過ごす昼下がりも、たまにはいいもんだ。

町会長会議に代理で出席・・・

2010-02-18 16:18:22 | 日記
 新年度に向けて地域の各種団体も人事が活発に動いている。
私の住むS連合地域振興会もトップの連合町会長が10年ぶりに入れ替わることになった。
ウチの町会長が所用で大阪にいないため私が代理で出席することになった町会長会議…
我が家から歩いて3分のS会館で19時から、、、


 来年度はS連合22町会の内、9町会の会長が入れ替わる。異例のことらしいが、、、
事前に根回しができているのだろう。各役職もほとんどがシャンシャンであった。
みんな筋書き通りに行くと思ってるのか、会議に緊張感はない。
「異議あり!!」って言ったろか~(笑)
次の連合会長は何十年も前に小中学校でPTA会長を務めた人で私もよく知っている。
N後援会とは反目の候補を支える後援会の中心メンバー。
このままではあまりいい空気とは言えない。
だから実のところは本当に「異議あり」だったのだ(笑)
今の連合町会長がN後援会の顧問。なんとかこっちに寝返らせたいが…



クルマは世につれ、世はクルマにつれ

2010-02-16 16:48:22 | 日記
 「歌は世につれ、世は歌につれ」という文句がある。
亡くなったフリーの司会者だった玉置浩が言いそうなフレーズだ。。。
確かに過去に流行した歌を聴くと、その当時のことが生き生きと浮かんでくる。
流行った曲を聴けば、当時の世相や風俗、日本人が夢中になった事柄など、多くのことを知ることができる。。。

 私は今年の6月に「イエローフラッグ」というハリウッドでリメイクされる映画の話を知った。本当に懐かしいし、このブログを見てくれている人の多くが知っている映画だと思う。「イエローフラッグ」…原題は1977年に封切られた「幸せの黄色いハンカチ」。
山田洋次監督による北海道を舞台にした日本のロードムービーの代表作である。

高倉健、倍賞千恵子といったベテラン俳優から、映画初出演となる武田鉄矢、さらには脇役に渥美清、桃井かおりを据えるなどこれ以上ない布陣で臨んだ。俳優陣の演技はもちろんのことシンプルながら私たちの心情に深く訴えかけるストーリーで、最後の黄色いハンカチが青空に棚引くシーンは思わず泣けてくる。絶対泣ける映画だ。見ていない人は是非とも一度は見て欲しい。第1回日本アカデミー賞や第51回キネマ旬報賞など、同年の国内における映画賞を総なめだったな~。
後にキャスティングを変え、TBSでテレビドラマ化もされた。米国でもウィリアム・ハート主演で「The Yellow Handkerchief」のタイトルでリメイクされ、2010年6月26日に日本で公開されるらしい。

私も小・中学校の頃、北海道の夕張炭鉱のそばの三笠市幾春別という町(家庭教師の先生の実家があった)に夏休み中お世話になったことがあるから妙に懐かしい。近所の炭鉱の関係者が住む家並みも実際に映画の通りで、こんな感じだったかなぁ…

 この映画の中でひと際、脇役として大活躍したクルマが真っ赤なマツダのファミリア(4代目)だ。

非力な1300ccで、この手のクルマでは珍しいFRだった。私も実は学生時代の最後の方でこれに乗っていたからよく知っているのだ。
黄緑色の派手なヤツでアルミや軽めのエアロで飾ってあったのを中古で購入した。内外の程度は良かったし、燃費も良かったので街ナカを走るにはバッチリだった。しかし高速走行は苦手だった。120も出なかったような記憶が…

△いじっていない同型のファミリアだ。
これで早春の真鶴や、社会人になってから高校時代の仲良しと泊まりがけでテニスへも行ったっけ~。
乗っていたクルマは実車でなくても、写真ででも見れば、やっぱりその当時を思い出す。

「クルマは世につれ、世はクルマにつれ」。。。