東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

懐かしのヘンリー8世・・・

2013-02-23 16:56:24 | 日記
 文学界最高の栄誉とされるブッカー賞を2回も受賞した英国の著名作家ヒラリー・マンテル氏が、妊娠4ヶ月でウィリアム英王子の妻であるキャサリン妃について、『作り笑いを浮かべた「ショーウインドーのマネキン」で、唯一の役割は英王室の継承者を産むことだ』と発言し、英国内で物議を醸している。
中世のイングランドなら、王の逆鱗に触れてロンドン塔で絞首刑にあってもいいような発言だ。中世のイングランド王家の紋章には3匹のライオン…
今も貴族階級が厳然と存在しているような国の有名人が、王室の一員に対してこれだけ下衆で内外に反感を買うような言葉を発するとは、ちょっと意外な気がする。
ちなみにこれが現女王エリザベス2世の紋章。。。彼女はよほどライオンが好きなのか?たくさん飼っている。


私は学生時代に一番勉強したのはやはり世界史だったかなぁ
日本史に興味がわいてきたのは中年になってからである。
祖先は源氏や平氏よりもアーサー王の系列なのかもしれない(笑)

日本と同じく島国で、王室を中心に栄えてきた英国には特に親近感を感じていた。
なんといってもビートルズを生んだ国でもあるしね~
あと、キリスト教にも興味があった。
私はキリスト教徒ではないが、子どもの頃から教会の雰囲気とか荘厳なパイプオルガンの音が好きで、英語の勉強を兼ね目白通り沿いの教会へ遊びに行った時期もあった。

「YES」というロックバンドの中のキィーボード奏者だったリック・ウェイクマンが創り出した荘厳な楽曲、、、『ヘンリー8世と6人の妻』というアルバムを知ったのもその頃だ。約40年も前というのが信じられないほど濃厚で革新的。
今聞いてもメッセージ性を感じる傑作だと思う。

ヘンリー8世とその6人の妻の悲喜こもごもの人生を知ることで、1500年代からのヨーロッパ諸国の強弱、政治やキリスト教の有り様を楽しみながら勉強ができたことを思い出す。
英国王室史上これだけの妻を持った王はいないし、ヘンリー8世の肖像画や銅像などを見れば分かるが、威風堂々とした彼の股間はいつでもこんもりと盛り上がっている。
絶倫パワーは歴史を変えるということを物語っているようで・・・(笑)
結局は梅毒で55歳の意外と短い人生を終えるのだが、まぁ彼らしいかな~

そうしたファンダメンタルの末、こうして作業している私のパソコンのハードディスクにもそのリック・ウェイクマンの曲『ヘンリー8世と6人の妻』が入っている。
私もヘンリー8世のようなバイタリティに憧れつつ、まだまだ生臭さは健在なのだが・・・

ヘンリー8世の6人の妻のうち、1番目(キャサリン・オブ・アラゴン:メアリ1世の生母)、5番目(キャサリン・ハワード)、6番目(キャサリン・パー)と実に3人が「キャサリン」という名前、、、そして21世紀の皇太子妃もキャサリンだ。
しかもめでたくもご懐妊。7月には次代を背負うロイヤルファミリーのお1人の生母となられる。

ちなみにヘンリー8世の2番目の妻は有名なアン・ブーリン(エリザベス1世の生母)、3番目はジェーン・シーモア(エドワード6世の生母)、4番目はアン・オブ・クレイブ・・・

ローマ法王、ベネディクト16世が今月中に退任されるという。高齢でしんどいらしいが・・・

人相が悪く、スターウォーズの悪者、シスにそっくりと就任当初から言われていた。
生存しているのに自ら辞めちゃうのは600年ぶり!だそうだ。
英国とは袂を別ったカトリックだが、その原因を作ったのがヘンリー8世でもある。。。
しばし学生時代を懐かしみながら、このヘンリー8世とその妻たちについて勉強し直したいと思ったりもした。。。

100,000人超え、おおきに~・・・

2013-02-20 22:09:32 | 日記
最近は私自身の怠慢からかつての賑わいはないのだが、やはり継続は力なりだな~と、、、
「東京大阪ラプソディー」を開設して1425日目の昨日、2013年2月19日のアクセスカウンターを見て、、、
このブログを閲覧してくれた人が延べ10万人を超えたのを知った。
超満員の甲子園球場2回~ 閲覧ページ数は20万以上にもなる。

この1400日あまりの間にあった良いこと悪いこと嬉しいこと悲しいこと諸々の出来事を思い起こした。
感慨深いと言ったら少し大袈裟かもしれないが、物思いに耽るに足る日々であったかな~

しかし、閲覧者1人につき100円づつ貯金しておいたら良かった!1000万円貯まっていたな(笑)

継続は力…歴史や伝統というのはこうして作られていくんやな~と思っていると、神田の老舗そば屋「かんだやぶそば」が全焼というニュース。
戦禍を逃れ東京都の歴史的建造物にも指定されていた数寄屋造りの店舗も跡形もない。残念なことだ。

「砂場」「更科」「藪」というのが江戸三大そば屋であるが、1880年創業のこの店は、そのうちのひとつの流れを汲む店であった。
私の大好きな「鬼平犯科帳」の原作者、池波正太郎先生も愛し通った名店で、先生の作品にも度々登場する。


「江戸=そば、上方(関西)=うどん」 これが現代の常識だが、江戸初期、江戸っ子はうどんを食べていた。
そばがいつ頃から広まったか正確な所は定かではないが、江戸そば三大系譜のうち、砂場のルーツが大阪であることは確かなようだ。
大阪城築城の際に、資材置き場だった砂場の近くに2軒のそば屋が。。。「津国屋」と「和泉屋」という屋号はあったが、通称の「砂場」の方が使われていた。その砂場の系統の店が江戸に進出。
寛延4年(1751年)の『蕎麦全書』には薬研堀(現在の中央区東日本橋1~2丁目辺り)に「大和屋大阪砂場そば」という店が紹介されている。

『更科』の創業は寛政元年(1789年)と伝えられている。
信州特産の織物の行商人をしていた反物商・布屋太兵衛が、領主・保科兵部少輔の助言でそば屋に転向、麻布永坂高稲荷下に「信州更科蕎麦処」を開店したのが始まりだそうだ。

「更科(さらしな)」 はそばの産地である信州更級の更と保科家の科を組み合わせたもので、1750年頃にはすでに存在していたようだ。「更科」は明治10年代まで暖簾分けなどを一切しておらず、布屋太兵衛の一軒の営業だった。
現在では東京都港区麻布十番にある3件の更科のほかにも都内の芝大門、神田錦町、有楽町などに暖簾分けをした更科のお店があるそうなので今度探して行ってみたい。

そして『薮(やぶ)』、、、薮で一番古いのは雑司ヶ谷にあった「爺がそば(じじがそば)」 と言われている。

▲薮蕎麦系の元祖とされる、雑司ヶ谷鬼子母神前にあつた名物蕎麦屋「爺が蕎麦」の賑わう様子。
 『江戸名所百人一首』近藤助五郎清春作。

店の周りに竹藪があった為、いつのまにか店名よりも通称の「薮」が使われるようになり、寛政年間には「薮」を名乗るそば屋が増えた。
たくさんあった薮そばの中で現在につながるのが団子坂にあった「蔦谷(つたや)」で通称「団子坂薮蕎麦」。
▲駒込団子坂藪下にあった藪蕎麦「蔦屋」の風景。
敷地1600坪余り。離れ座敷もあり、庭に滝を配するなど蕎麦屋というより・・・

この店が今回火事になった「かんだやぶそば」のルーツだ。
団子坂藪蕎麦の支店であった神田淡路町の店を砂場系であった堀田七兵衛が譲り受けて1880年に「かんだやぶそば」として創業。
1923年に関東大震災で被災して建て替えられたのが現店舗だった。

親戚にあたる「並木薮蕎麦」「池の端薮蕎麦」と合わせて『薮御三家』と呼ばれていたが、代々受け継いできたそばつゆも灰燼に帰してしまったようだ。

▲「並木藪蕎麦」は雷門前の並木通りに面している。
他にも明治時代に暖簾分けされた「上野やぶそば」「浜町薮そば」があるが、やっぱり蕎麦屋は下町が似合う。

たかが蕎麦、されど蕎麦だ。長い歴史の中で伝統の味が受け継がれてきたわけで、もう文化遺産の域にある。
是非とも再興して欲しい。
私も今度東京へ舞い戻ったら、そうした薀蓄たっぷりのそば屋廻りでもしながら、のんびりと一杯やりたいものだ。

フェースブックやツイッターのように、このブログを始めた当初にはなかったような媒体がネット上で次々と出てくる中、私のブログもあとどれくらい続くか分からないが、10万人も超えたことだし、藪蕎麦の精神を見習いながら「細く長く」つなげていければと思った。




結果は・・・

2013-02-13 21:28:33 | 日記
 主治医の検診が例によって検査1週間後にあった。。。


やはり体感していた通り、検査結果は良好であった。
腫瘍マーカーが微増しているが(勿論、許容範囲内)、いずれも気にならない程度。
少なくとも検査範囲で癌の再発している可能性は極めて低いということが明らかになって、まずは良好な状態で術後3年目を迎えられそうだ。
胃という臓器がないことから、これからも免疫力は健常者よりも低くて病原菌にも感染しやすいという体質は変わらないので、無茶をすることは避けたいところだ。

しかし今日、いくら健康に注意していても物理的な害悪はどこからやってくるか分からない。
中国からはマスクも役に立たないPM2.5とかいう微粒子が飛んで来たりしている。
まったく迷惑な話である。
肺や器官の奥深くに達し、肺癌の発生率を格段にアップさせる最悪の微粒子である。
これ以上濃度が高まれば喘息患者は外出も制限されそうだ。
影響は黄砂の比ではないが、偏西風に乗って西日本は特に毎日のように被害を受けているといってもよい。
何とかならないのだろうか・・・

診療時間終了間際の医療センターを歩きながら、他の病でここに来ることだけは勘弁して欲しいな~と・・・

次回は5月のゴールデンウィーク明けに検査が入った。

家に帰って祝杯の晩酌しながら・・・
検査レポートにあるように、私はまだまだ「経過観察」中なんだな~と…お銚子2本目を飲み干して苦笑い

4ヶ月ぶりの定期検査へ・・・

2013-02-07 16:10:08 | 日記
 早いもので前回検査・検診から4ヶ月が経過して、久しぶりに医療センターへ出かけた。
今回は朝一で採血⇒胸部・腹部レントゲン⇒造影CT・・・この2年10ヵ月近い間に何度も経験した行程である。

造影CTに用いるヨード剤は私が思っている以上に神経質な薬剤のようで、糖尿病の薬を飲んでいる人や妊婦なども影響大で避けなければならない。

腎臓の機能などの数値を血液検査で判断してからでないと撮影できないので、外来はCTを予約してあっても血液検査⇒CTまで最低1時間は待たされる。
朝一番(8:15AM)での採血は初めての経験だったが、8時にのこのこと1階の採血ルーム前まで行くと既に大勢順番待ちをしており、結局採血されたのは8時半を回ってから、、、
そこから2階の放射線受付へ行きレントゲンを済ます。
最後にCTの順番待ち・・・採血の結果が上がってきたのが9時半過ぎだ。
CTの予約は9時だったが、お呼びがかかったのはおよそその1時間後だった。
2階からまだ閑散とした会計の待合を見下ろしてパチリ・・・

小さな更衣室で撮影用の半纏様の服に着替えて高価なヨード剤を静注…針が太いのに液漏れも少々あっていつもよりも痛い!若い看護士を怒る前に主任は私に謝るべきだろう。自分が感じる痛み以上に「痛い、痛い」と言ってやった。そんな意地悪をしたからか、2日経った今も左腕に内出血のような跡が残っている。
例によってたくさんの放射線を腹部に照射されたが、術後すぐの頃を思えば間隔も開いているので何ということもないだろう・・・と思いたい。

来週の火曜日はこの検査結果を通じて主治医の診察がある。
まだまだ決して安心できないのだが、このところ調子は悪くないし、お酒も実においしい(笑)

しかし最近、富みに酒量が増えて自分でもアルコール依存症ではないかと心配になる。
ネットの簡易検査では完全に依存症という診断で、すぐに専門医の治療が必要らしい。
それにしても私の周りは、あいつもこいつも…思い浮かべてみれば周囲は皆、依存症ばかりという結果だったが(笑)実際、みんな確かに飲み過ぎを自覚しているので笑い事じゃ済まされないかも・・・友だちが悪いのか?
そう思いつつ、、、
休肝日を作ってと思い、12月30日以来久々に2日間連続禁酒して臨んだ今回の検査だが、焼け石に何とやら??