東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

見聞を広めてきます

2010-04-25 15:30:15 | 日記
 2、3週間ほど、、、
ゴールデンウイークの間、ちょっとブログは休憩させてもらって色々と見聞を広めてきたいと思う。充電期間ということだ。


誰もが経験があると思うが、例えば飲食物でも、評論家やレポーターらが「このお酒は杜氏の心意気を反映した逸品」「これほど喉ごしのいい酒は知らない!とにかく一度試してみては?」とか、「ここの料理のコストパフォーマンスは他に類をみない、まさに絶品」とか、「予約は半年前から埋まるほどの人気店、新鮮で斬新な料理の数々は・・・」、、、など、こうしたコピーは無限に存在する。
しかし話しにつられて試してみると、ガックリということが多々あったように思う。

また、山登りでも「あの山は8合目の辺りが一番きつい」と言われて登ってみると、大した疲労も感じずにいつの間にか頂上に着いてしまったということもあるようだ。
クルマの性能でも感じ方は色々だし、人の意見は自分に当てはまらないことも多い。

しかし、どんな範疇でも期待が大きいほど外したときの失望感は大きく、その落差に人間はひたすら滅入るものである。。。そしてそれを繰り返すこともまた人間らしいといえば人間らしいのかも知れないが、やはり自分のしっかりしたスタンダードを何事にも持ちたいものだ。

話に聞くのと、実際に自分が体験するのとではだいぶ様子が違うということはままあるわけで、しっかり自分の五感で確かめて(ブログにも載せて)いきたいと思う。
私もそういう素養がしっかり備わっていい年齢に十分達している。
できれば気分一新、これを機にブログのテンプレートなどスタイルも変えて全体的にイメチェンしたい。。。
See You !

既成政党や市長に宣戦布告・・・

2010-04-20 10:26:59 | 日記
大阪で圧倒的な人気を誇る橋下知事・・・
彼の呼び掛けに19日、地域政党「大阪維新の会」が発足した。
来春の統一地方選挙で府議会や大阪、堺市議会などで過半数を獲得して一気に構想を実現したい考えだが、解体される大阪市などの反発は根強く、既成政党との対立もある。

私の住む区選出の府議会議員もこの会に合流した。
私の支持する市会議員N先生はどうするのか…これから所属する議員会派と意見をすり合わせ、また後援会の我々ともよく相談して進路を決めていくことになるだろう。

『府と市が仲が悪いのは「ふしあわせ」』とはよく言われている戯言だが、、、元々、大阪府と大阪市は仲が悪いようだ。。。
「大阪都構想」は実は今に始まった話ではなく、50~60年前から何度も繰り返されているテーマで、終戦直後にも「大阪商工都」案という都制案が提示されたこともあった。一方、大阪市も大阪府から離脱する案を繰り返し提示している。

しかし、「大阪維新の会」の政策はまだ途中段階で、プランを深め、公約をつくるという作業はこれからになる。これから丁寧な議論ができるかどうかで真価が問われる。
 我々は議員に、住民代表として首長とは異なる視点でよりよい決定をすることを期待しているが、仮に、知事の言うことを議員がオウム返しのように賛同して唱えているのだけの集団ができるのなら、議会機能を失うことにもなりかねない。抜群の人気を誇る知事にすり寄った議員らが異を唱えることは想像できない。
もし、今回、橋下知事人気をあてこんで選挙めあてや数合わせの集団ができたのなら、それは大阪の議会政治が破綻し始めたことを意味する。
正直、そうした気配が出始めているのも否めない。あ~嫌な渡世だな~。。。

民意は・・・

2010-04-19 09:29:35 | 日記
 徳之島の島民が燃えた!
18日には1万人以上を集めて米軍基地移設反対集会を開催した。
実際、全島民、みんながみんな反対かどうかは疑問だが、少なくとも「反対」を中央にアピールするには十分な迫力だったようだ。


 首相は今日、政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先として検討している鹿児島県徳之島で開かれた反対集会について、「一つの民意と理解すべきだ。勉強させていただく」と述べた。首相公邸前で記者団の質問に答えた。
う~ん、煮えきらんコメントばかり・・・一体、何がしたいねん!
「もう、首相の適性がないんだから辞めて下さい」この声が民意だと思うが…

普天間基地のとばっちりか??

2010-04-17 15:51:47 | 日記
 またもやトヨタの高級ブランド「レクサス」がアメリカでいじめられている。

アメリカの消費者問題専門誌はレクサスGXに横転の危険があるとして、消費者に不買を推奨した。これを受けてトヨタ自動車はレクサスの販売を一時停止。プリウスのブレーキ不具合など大規模リコール問題に端を発したトヨタ自動車の失墜は続いているが、ホンマやろか?

レクサスGXは、米国やカナダ、中近東、ロシアなどで販売。同誌「コンシューマー・リポート」は「電子制御の横滑り防止装置の作動が遅れる」などとして横転事故の可能性を指摘した上で「買うべきではない」と評価したが、、、どう考えてもアメリカの腰高なSUVの方が危険だと思う。

トヨタはすでにSUV全車種について、横転の恐れがないかどうかの走行テストを日本で進めている。調査結果はまだ出ていないが顧客に安全面での不安を与えないよう、横滑り防止装置の自主改修に踏み切ることにした。
日本ではランドクルーザープラドがGXと同型だが、危険があるとは思えない。

プリウスの問題も実際には電子制御燃料噴射装置には何ら不具合がないという検査機関のお墨付きもある。アメリカのハイブリッドの量産を軌道に乗せるため、トヨタとホンダでハイブリット車の世界シェアを8割握る日本を足踏みさせる狙いもありそうだ。

しかし、これは私的には政治的陰謀だと思う。「TRUST ME !」とオバマ大統領に言ったきり、いつまでも埒の開かない普天間基地問題。これが根っ子だ。

政治と経済は切っても切れない間柄にある。基地問題で迷走する内閣、もたつく日本への嫌がらせとしか思えない節もある。首相と女房役の官房長官との間でも意見が割れるのだから交渉するという段階に来てるとは到底思えない。
お金が無くなったらお母さんがポンと出してくれる首相では、持たないと誰もが感じ始めてている。もうオバマ大統領の目は首相を見てはいないはずだ。

まったく…同じ日本人として恥ずかしい限り。。。

お上のお目こぼし・・・

2010-04-16 15:30:21 | 日記
 先日、競馬で大穴を当て60万円ほど手に入れたお客さんがいた。
50代後半の独身男性である。田舎から大阪に出てきて40年来、ずっと1人で生きてきた人だ。
年齢と彼女いない歴は同じというその彼は、人は良いのだろうが、男の私から見てもまぁ女性とは縁の無さそうな雰囲気が染み付いてしまっている。
たまに今回のような嬉しい入金があるとルンルン気分で遊びに出かけるところがあるようだ。遊郭である… 彼も久しぶりにお大尽遊びができそうである。

▼写真は明治初期の吉原遊郭

手前に並んでいるのが遊女…後ろに並んでいるのが客と交渉する「やり手婆」
▼明治初期、門司の遊郭

 遊郭など日本にはもうないと思う人もいるだろうが、大阪は特殊な街である。今日では色々な種類の風俗産業があるが、所謂、売春防止法が施行されてからもずっと同じ形態で商売をしている場所が少なくとも大阪市内だけで3箇所はある。

 昭和21年にはGHQの政策により公娼制度が廃止されるが、カフェーや料亭などと看板を変えて、ほぼそのまま「赤線」の通称で呼ばれる地域になった。昭和31年、売春防止法が成立し、昭和33年3月31日、同法の施行と共に公娼地域としての遊廓の歴史は、建前では完全に幕を閉じることになった。
したがって現在公認の娼婦街はないが、大阪の飛田新地など、表向き料理旅館に転向したものの、客と仲居との個室内での自由恋愛の名目の元に、昭和33年以前と変わらない営業を継続している地域もいくつかある。
▼有名な飛田新地の「鯛よし百番」

飛田新地は大正時代に築かれた日本最大級の遊廓と言われた。
現在料亭(本来の料亭)として営業している鯛よし百番は、大正中期に遊郭として建てられた建物を使用しており、平成12年に国の登録有形文化財となった。
売春防止法施行以後は料亭街『飛田料理組合』となっているが、現在も当時の雰囲気を伝えている。なお、ほとんどの「料亭」は看板は料亭であるが、営業内容は昭和33年以前と何ら変わりがない。
▼ズラッと並ぶ「料亭」・・・こういう筋がいくつかあるらしい…(私は行ったことがない)

表向き料亭に転向することにより、料亭内での客と仲居との自由恋愛という脱法行為として売春防止法を逃れられたためである。同様に大阪市内には松島新地(西区)や今里新地(生野区)等、現代に生き残った旧赤線がある。なお、大阪府は条例でソープランドを許可していない。かつてはこの地区にもソープランドが存在したが、大阪府下の他のソープランド同様、一斉摘発により廃業に追い込まれている。

また、東京の吉原のように、かつての公娼街がその後もソープランドや風俗営業の多く集まる地域となり、公娼地域まがいに営業を続けている所などもある。

一般婦女に害が及ばないように、こうした欲望の息抜きの場所を設けるのは、必要悪とでも言うのかお上は見てみぬふり、知らんぷりを決めてお目こぼしをしているのである。世界的にもよくある話だ。

権力の統制と保護を受け、遊郭として1箇所に集められるのは、安土桃山時代のことである。豊臣秀吉の治世に、遊郭を設けるため京の原三郎左衛門と林又一郎が願い出を秀吉にしており許可を得ている。1589年(天正17年)には、京都、二条柳町に遊廓が作られた。大阪と京都の遊廓は17世紀前半に、それぞれ新町(新町遊廓)と朱雀野(島原遊廓)に移転。
江戸に遊廓が誕生したのは1612年(慶長17年)である。駿府(今の静岡市)の二丁町遊郭から遊女屋が移され、日本橋人形町付近に遊郭がつくられ吉原遊廓と呼ばれた。
大阪の夕霧太夫のいる新町、京都の吉野太夫のいる島原、江戸の高尾太夫のいる吉原の遊廓は、三大遊廓(長崎・丸山を入れる説もある)と呼称された他、江戸時代には、全国20数カ所に公許の遊廓が存在した。当時最大の遊廓は江戸の吉原で、新吉原ができた頃には300軒近い遊女屋があったと言われている。
▼横浜の明治初期の遊郭…世界的にも有名だった神風楼「ネキタリン・ナンバー9」という店。この店をめざして世界中の男が横浜に用事を作ったとか??(笑)



お菓子の家・・・

2010-04-15 10:34:26 | 日記
 先日からアルコール類を控えているので、その代わりといっては何だが、お菓子類をついつい食べてしまう。。。甘いものも基本的に好きなので苦にならない(笑)

まず東京ラスクを取り寄せた。5000円分は結構食べでがある。饅頭やせんべいもたくさん買ってしまう。アーモンドチョコレートやナッツ類、さきいかはやっぱりお酒が飲みたくなるな~。。。お酒の代わりはお茶、麦茶だ。


 知人が大好物だと言うお菓子「亀田製菓のハッピーターン」も試したが、癖になってしまうや~ん。。。今はハート型のハッピーターンが入ってたらラッキーらしいのでまた買いに行こう…いや、近所のスーパーで買い占めたろか(笑)
 
我が家では私以外は誰も家でアルコールを飲まない。
この調子でいけば空き瓶がゴロゴロしていたのがスッキリして、お菓子の家のようになってしまうかも…左党が砂糖へ変身か???

幕末~明治の頃・・・②

2010-04-12 15:57:33 | 日記
 あまり興味のなかったこの時代、世の中がブームだからなのか俄然、当時のことを学びたくなってきた。。。辺境の島国であった日本がどうしてこんなにも繁栄を享受できる国になったのか…すべてこの時代から始まるのである。勿論、その下地というか素養は日本国民にあったのだろうが。。。20世紀の奇跡と諸外国を驚嘆させた原動力は、何と言っても勤勉さだったと思う。ゆとり教育はやめて大正解。日本の国民性には合わない。

先日訪れた皇居では二重橋をはじめ多くの構造物がこの当時のままの姿で残っているのに感銘した。。。勿論、焼失したりなくなっているものも多々あるようだが、、、
天守閣の代わりとなっていた三重櫓…今も残っているかは不明だが、あったら素晴らしい!


この前、クラス会をやった赤プリの近所にあったのか?江戸城赤坂門…数ある門の中でも美しさに秀でていたらしい。今の三宅坂の近所か?半蔵門よりは南、桜田門よりは北にあっただろう。。。


帰省でお世話になっているJRも元はここから始まった!新橋駅だ。

新橋駅は日本最古のターミナル駅。イギリス人の指導で建設されたので、ステンドグラスを用いたファサードにヨーロッパ趣味が伺える。
ついでにこっちはもっと後年になるが、レンガ造りの東京駅。当時にすれば国家の威信をかけた、とんでもなく立派な建物だ。現在は改修中だ。


今もお堀端に建つ帝国ホテルも創業当時はこんな感じだった。

帝国ホテルといえばフランク・ロイド・ライトの建築が有名だが、この写真はそれより古い明治23年に建てられた旧家屋で、木骨煉瓦造りの3階建てである。

第一京浜…懐かしい~この響き。。。夜中に酔っ払って歩いたこともあったな~
この辺は大名の屋敷が数多く建ち並んでいた。

▲この場所は第一京浜を少し入った港区三田2丁目の「綱坂」である。右の長屋は肥前島原藩松平家中屋敷、坂上の右手が伊豫松山藩松平家中屋敷、坂の左が陸奥会津藩松平家下屋敷。現在右手坂下は慶応義塾大学で坂上はイタリア大使館になっている。左の松山藩の屋敷跡は綱町三井倶楽部の敷地に。文久3年(1863)撮影と思われる。まさに幕末だ。


左の築地塀が筑後久留米藩有馬家上屋敷である。右の長屋塀は筑前秋月藩黒田家上屋敷。突き当たりの大木のある所は天祖神社。この辺りはいま三田1丁目である。古川に架かる中ノ橋を背にして南の方向を撮影したもの。現在、左の有馬家の屋敷跡は東京専売病院の敷地、右の黒田家の屋敷跡はマンションになっている。

そして最後に桜の咲き誇る上野・・・今も昔も桜の名所として多くの都民に愛されている。。上野も懐かしいな~

・・・と、自分に縁のあった場所をいくつかピックアップしてみた。
今度は大阪の資料があれば、またいつかアップしてみたい。

幕末~明治維新ブーム??

2010-04-11 16:32:55 | 日記
 NHKの大河ドラマは旅行産業や名物といわれるような食品産業にも少なからず影響を与えているようだ。
旅行に関していえば、我々後援会本体主催で日帰りも含めて年に数回開催しているが、後援会お抱え旅行会社のH専務によれば、NHK大河ドラマの関係地は外して正解だという。
話題になっている地域は黙っていても旅行客で賑わう。当然、需要と供給の理で代金は何割もアップすることになる。腐っても?さすが天下のNHK、まだまだ影響力があるようだ。

今、放送している「龍馬伝」では土佐や京都、その前は直江兼続の「天地人」だったので越後直江津、出羽米沢にスポットライトが・・・更にその前は「篤姫」だったので薩摩桜島が脚光を浴びる。その前は「風林火山」の甲斐、さらにその前は「功名が辻」の四国土佐がまたまた潤う・・・来年からは「江(ごう)」。。。信長の妹で浅井長政の妻であったお市の方の娘の一人で徳川二代将軍に嫁いだお江の話だ。H専務に言わせれば彼女には関係地があり過ぎて皆おこぼれを狙っているようだという。

 ということで、今年は幕末から明治維新がブームだ。軽自動車のTVコマーシャルなどもリンクする。
私自身、その当時のことは今ひとつ勉強不足である。読み物としても大変に面白かったのが戦国時代だったので、ウチにある日本の歴史小説は8割方1500年代中期から1600年代前半までだ。一番美味しいところだと思っていたけど…。しかしこの歳になってみると、幕末から明治時代の話もなかなか興味深いものがある。
食わず嫌いだったのか、、、確かに「坂の上の雲」など大変に面白かった。
その時代になると写真などの資料が残っているところが窓口となって当時の人たちに愛着が湧くし、建造物など写真のまま今に伝わるなど、さらにロマンが広がる。

この写真は八坂神社西楼門より四条通(祇園石段下)を西に望む。右方の狛犬は、明治15年(1882)に四条室町東入ル函谷鉾町の岩田忠兵衛と小泉新七が有志者を募り、家内安全と子孫長久を祈願し、八坂神社に奉献したものである。左方に見える塔屋は弥栄尋常小学校の望火楼である。四条通は拡築前で、民家の軒先には所々に人力車が停車している。


浅草寺は日本最古の観音信仰寺で、起源は推古天皇の時代(628年)にまでさかのぼる。写真は雷門を抜けて山門と五重塔を望んだ風景。広重の江戸百景にも同じ構図の絵があるし、この前の上京で遊びに出かけた風景とダブル。


安政6年(1861)高輪東禅寺はイギリス公使館になり、初代駐日イギリス公使としてオ-ルコック(Sir Rutherford Alcock)が駐在した。文久元年(1861)5月28日に、攘夷派の水戸浪士に襲われ双方が死者や怪我人をだしている(東禅寺事件)。今も奥書院や玄関に弾痕や刀傷が残っている。


増上寺の山門。隣に茶屋が見え、障子に「武蔵屋」と屋号が書かれている。おそらく記念撮影用だろう。
先月のクラス会で酔っ払って浜松町に向かう途中、みんなでこの門の前を歩いたな~
・・・というように親近感が湧くのである。興味は尽きない。

原稿も出したし・・・

2010-04-10 14:40:16 | 日記
 毎月のことながら、いつも10日の締め切りギリギリの出稿である。
今月も何とか間に合ったので一息つけることになった。
本来なら今晩からバンバン飲み歩くことになるのだが、現在は潰瘍の気があるのでしばらくの間は禁酒を余儀なくさせられている。。。じっと我慢の子であった…(古っ!)

ブログも私にすれば久しぶりだ。

昨夜、TVで映画「ALWAYS 三丁目の夕日」をやっていた。何度も見たし仕事もたて込んでいたので見れなかったが、懐かしい建設中の東京タワーの画面や当時の家族の様子が頭をよぎる。
 

今は建設中のスカイツリーだが、映画では周波数の合わない真空管ラジオの音と、こんな風に鉄骨を組み上げる東京タワーの姿から始まったと思う。

都心の一等地である麻布界隈も昭和30年代はこんな感じだった。

タワーの足元に普通の家が建ち並ぶ様は今では考えられないが、ほのぼのしておもしろい!

そして月日は流れて…、、、
今日の夕景と富士山と東京タワーは当時のままの美しさだが、超高層ビル群に囲まれた東京タワーの風景はこの50年で一変したんだな~とつくづく思う。

そりゃ50年も超えりゃ、人間も色々あるよな~。。。

桜 満開~

2010-04-05 16:00:04 | 日記
 どこもかしこも桜が満開である・・・

桜は日本人が好む感性(見事に咲いて⇒パッと散りゆく…はかなく可憐な姿)に合致するのか、やはり何と言っても人気が高い。桜が咲くこの時期、日本では別れと出会いがあるというのも特別な思い入れが生まれやすい。海外に長いこと居る人は桜を見るとホームシックにかかるというのも、こうした土壌があるからだろうか・・・
毎年毎年律儀にも春の到来を我々に告げてくれる桜の花はノスタルジーとは別に、温かな季節の訪れを連れて明るい気分にもさせてくれる。

中国などでは桜よりも梅だろうか。。。そういえば桜の花の匂いってあまり印象にないが…散った後に仄かに香ると言った人もいるが??

 最近は花見の宴会もしなくなったな~ 昔は造幣局のある大川の対岸あたりでバーベキューコンロを持って行き大勢で焼肉をしながらよく飲んだものだが…
大阪城のライトアップも色々な場所から眺めることができてなかなかの風情。
すっかり風もあたたかい・・・