東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

秋の恒例行事を手伝う・・・

2013-11-28 15:35:06 | 日記
 N後援会の秋の恒例行事「民舞大祭典」が好天の勤労感謝の日、約700名を集めて区民ホールで開催された。

今年で6回目となるイベントで、先代のI先生から数えれば30年近く続いている地域に根ざした歴史ある行事なのだが、長いことやっていれば不測の事態にも遭遇するのは世の常である。
今回はいろいろな意味で(指導者との確執などで)踊りの世界にも地殻変動が起こり、その開催に黄色信号が点っていた。
しかし、そこは百戦錬磨のN後援会女性部の面々が気合を入れ直して「新生民舞大祭典」として開催できるよう一丸となった。
悪しき風習や過激な縦社会からも解放され、蓋を開ければ参加者も伸び伸びと踊ることができ、以前にも増して盛会と相成ったわけだ。まさしくやられたら倍返し・・・そんな結末だった。


 
総踊りの後、私が進行役で「お楽しみ抽選会」も行い、和やかな秋の一日を楽しんでいただいた。

めでたし、めでたし。。。
この行事が終わると、あぁもうすぐ師走やな~という感じになっている。

地域のことや付き合いで何かと忙しい師走であるが、、、
12月初旬、息子夫婦が約2ヶ月ぶりに1歳5ヶ月になったSくんとともにやって来るようだ。
幼児はちょっと見ない間に大きく成長し雰囲気も様変わりしていることが多々あるのだが。。。
すくすく健全に成長しているようで安心している。

最近、ちょっと人見知りをするような気配だとか…う~ん、それはちょいと心配やな~
でも楽しみは尽きない。早く会いたい!

能天気なコンテストに出かける・・・

2013-11-22 22:33:47 | 日記
 11月22日は「いい夫婦の日」なのに・・・
悪友のM先輩とともに北新地のANA・クラウン・プラザホテルへ出かけることになってしまった(笑)

今宵は北新地のクラブのミスを決定するイベントが行われているのだ・・・
クィーンにエントリーされた4名と、旧クィーンと準クィーンの面々。。。


立食なので軽く1000名は入ったか??

会費は1人1万円と安くなっているが、飲食関連の協賛企業がワンサカ出資しているようで、政治資金パーティーとは雲泥の差でゴージャスな料理内容だった。勿論ボジョレ・ヌーボーは入り口で・・・
大阪の遊び人というか、金回りの良さそうな著名人も結構来ていたし、TVのMBS司会者が進行役だった。。


エントリーナンバー1番の子に1票入れに行ったわけだが、、、
その子は校下の中学校を卒業した縁で親繋がり…しかし応援空しく、投票で「北新地クィーン」に選ばれたのは4番のコ。
過半数の550票あまりを獲得した。ダントツの組織票だ。

まぁ2年間はここ北新地発展のため一肌も二肌も脱ぐ覚悟なのだろうが、、、
1番のコは準クィーンとして貢献することになった。めでたしめでたし。
ここまで来れば水商売も実業家。体一つで実にたいしたものなのである。。。
 

ここで生き抜く彼女らと他愛のない話をしながら盛り上がり、ちゃっかりほんの少しだけ名刺交換したが・・・
やっぱり男たちはこれが端的な明日への活力ってやつだったっけ?? 
う~ん、最近、昔のようなガッツがなくなったからな~何か派手な衣装や化粧臭さも何となく他人事。。
「嘘八百の世界」ということは、いい大人は百も承知のはず。
もうラビリンスにゃ縁はないやろな~ 男も女も粋に遊びたいもんや。

ということで、毒気に当たらぬうちに今宵は控え目に帰宅し良い夫婦をめざすが・・・酔い夫婦ならOKか?(笑) 



東北応援・絆ツアー④・・・

2013-11-20 16:48:05 | 日記
 東北は訛りがきついといわれるが、津軽地方に比べればこのあたりはまだマシか?。
名詞の語尾に「コ」を付けたがる。馬、娘、嫁、米、そして椀。
そう、「わんこそば」もそうしたことから呼び名が付いているのだろう。

最高に食べたのは家内の57杯だった。N先生の奥さんが47杯、、、私は30杯で無理せず終了(笑)
家内は腰を据えればもっといけたようだが、バスでツアー中なので余裕をもってやめたらしい…
お椀12、3杯=ざる1枚程度なので、痩せの大食いというのは確かであろう。

腹ごなしに盛岡神社に参拝して
宮沢賢治の記念館を見学・・・
雨にも負けず、風にも負けず暗くなる前には無事「花巻温泉」のホテルに到着した。
露天温泉で温まり疲れを癒して今晩も宴会である。
N先生や女性部長のあいさつの後、飲めや歌えや踊れや・・・ 
私たちだけで貸切にするには??実に広い宴会場だった。
後援会の先輩諸氏とも友好を深化させることができた。

今のホテルは畳に座らせるようなことはしない。朝食ブッフェも畳に椅子・テーブルだった。


翌日は日本三大景勝地の宮城県松島をめざす。家内はこれで全制覇したらしい。
私は天橋立へは行ったが、安芸の宮島へはまだ行ったことがない。やはり風光明媚な場所は海っぺりのようだ。

松島では被災された方々の話を聞いた。
松島市の津波被害は沖に点在する島々のおかげで近隣の市町村に比べて軽かったという。

しかしそれでも海面から3メートルほど、陸地には1.2メートルほどの高さで押し寄せた。
海に面した高台に平安時代からここにある重文の「五大堂」 
さすがに津波にも飲まれず1600年代のまま健在だ。
海から450メートル以上ある古刹で伊達家が庇護した「瑞巌寺」は、国宝、重文の山であるが付近の人の避難場所でもあった。
津波は門から数百メートル入り込み、どこまで来るのかと息を呑んだという。。。

伊達家のパワーに守られ本殿までは遠く及ばなかったが、ここへ来ると恐ろしい記憶が甦る子どもらも・・・

被災者らはつい昨日のことのようにリアルに震災のことを語る。
名物の笹かまぼこ店を営む会社の専務は、「とにかく全てを投げ打って危険な場所から全力で逃げることが大事」と力説した。


生活再建を果たした人が半分、再建に目処が立った人が四分の一、いまだに再興と程遠い生活を余儀なくされている人が四分の一、、、津波に襲われた地域の中で比較的被害程度の軽めなこの地域でも復興はこの程度なのである。
話の後、この店の笹かまぼこは売り切れ続出でバックオーダーを大量に抱える。めでたしめでたし・・・
地酒なども買い込み一緒に大阪へ送った、、、  
松島から釜石へ船で移動。船中でもスルメ烏賊などの干物や野菜など地場モノを買い込む仲間たち。。。なんて優しい(笑)

津波被害のあった地域の復興は「遅い」というのが実感であった。かたや政令市の仙台や山間部などではそれほどでもなく、東北地方をひと括りにはできない。復興の予算は速やかに手厚く息長く配分して欲しい。
東北は見所もたくさんあるし、人も温泉もいいし、食べ物が旨い!また機会をつくってゆっくりと行ってみたい。

行く気になれば伊丹から1時間15分で仙台まで行けるのだから。



東北応援・絆ツアー③・・・

2013-11-16 15:38:53 | 日記
 翌日の秋田、岩手地方は雨模様…

秋田県鹿角市の湯瀬温泉郷・・・
雨に煙る山並みや濡れ落ち葉に、鄙びた温泉地特有の物悲しさが増幅される。

露天風呂で温まり、バイキングの朝食をいただき出発する。
来た道を戻る格好で十和田湖とは反対方向、岩手県を南下して小岩井牧場や南部鉄器の工場見学、わんこそばに挑戦したり宮沢賢治記念館などを回りながら、花巻温泉をめざして移動するのが2日目の行程となる。また買物できそうな場所がたくさん控えているようだ。

この東北縦貫自動車道が全線開通したのは1987年(昭和62年)。698キロの日本一長い高速道路である。
東北新幹線の大宮―盛岡が開業したのは昭和57年だが、八戸―新青森が完成して東京―新青森の全線開業となったのは、つい3年前のことだ。起工から何と39年間もかかったことになる。東北らしく実に粘り強い事業だった。

この2つの大動脈ができるまでの東北地方はどこへ行くにも遠かったろうな~ ましてや東京なんて…
石川さゆりの「津軽海峡冬景色」のような気分で出稼ぎをしていた人もたくさんいたのだろう。

岩手県の面積は瀬戸内の島を除いた四国四県と遜色ないぐらいで、推して知るべし。
初めてやって来た東北地方は想像以上にだだっ広い。
宿を引き払って、まずは小岩井農場へ・・・「小岩井」というのは牧場開設に尽力した日本鉄道会社社長・小野義眞、あの三菱創業者の岩崎弥太郎の実弟で日本銀行総裁だった岩崎弥之助、日本鉄道の父として名高い鉄道庁長官・井上勝からとったもの。
井上勝の発案により不毛の原野だった岩手県南麓に1891年(明治24年)開場した。本社はやっぱりと言うべきか、岩崎繋がりで丸の内の三菱ビル内にある。
  
900万坪という広大な敷地だ。10万坪のゴルフ場が90個できるといえば理解できるだろう。

放牧期は過ぎていたが乳牛がたくさんいるのが見えた。
新鮮なミルクからは濃厚なチーズや牛乳、アイスクリームなどが製造されていた。
寒いのを我慢しながらできたてのソフトクリームをいただいた。濃いわ~!もっといいシーズンに来てみたいと思った。
ここでもたくさんの乳製品をクール便で皆が送る(笑)売れ筋のチーズ詰め合わせは売り切れたほどだ。

バスは一路、花巻をめざす。
岩手神社のすぐそばまでやってきて岩手名産の南部鉄器の製造工場を見学。
重さ300キロ、2000万円する急須がお出迎え。
馬の繁殖も岩手県は盛んだ。
馬具も色々と製造しているし、「南部盛岡チャグチャグ馬コ」というお祭りは全国的に有名。

何人もの職人の手によって細かな作業が…いい値段しても仕方がないのである。 
ここでも何だかんだと買物しながら、、、おなかを空かせながら昼食の「わんこそば」会場へ向かった。。。







東北応援・絆ツアー②・・・

2013-11-13 17:01:01 | 日記
 仙台空港のロビーを出て、やっと東北の地を踏むことができた・・・
晴天の仙台は小春日和で上着が要らないくらいだった。

チャーターバスに乗り込み、4~5mの津波に襲われた空港から少し内陸部にある仙台市内をめざす。
途中、一面に広大な農耕地が広がるが、空港から数キロ走ったこのあたりでも津波は押し寄せてきたという。
想像もつかないエネルギーだ。
バスのガイドさんも母親と親族6人を津波で亡くしている。車窓からの景色とは裏腹な暗さが車内に漂う・・・

仙台市中心部を右手に走り抜けて昼食に。。。やっぱり仙台名物「牛タン」である。
牛タンはほぼオーストラリア産だという。そりゃそうだ。1頭からそんなには取れる部位じゃないもんね。
でも柔らかくてクセもなくって美味!ビールもすすむ。
食後、多くの人たちが牛タンを購入しクール便で大阪へ送ったのは言うまでもない(笑)

昼食後は東北自動車道をひた走り、日本一長い国道の4号線から岩手県平泉にある世界遺産「中尊寺」へ。。。
紅葉が美しい。
中尊寺にあって国宝でもある金堂は思ったよりだいぶ小さくて驚いた。

昭和40年代からはコンクリート製の建物内に保存されている。
ガラス越しに見学するわけだが、、、芭蕉が「奥の細道」で訪ねた往時も金堂には覆いの伽藍が設けられ(もちろんコンクリート製ではないが)、黄金の輝きを今よりもずっと身近に見ることができたはずだ。

世界遺産の指定は中尊寺を含む山全体で指定されており、付近のお店や電柱、電飾などにも規制が入る。

撮りそこねたが、茶色の地味なコンビニは初めて見た(笑)
中尊寺本堂自体は地味な建物だが、伝教大師最澄以来1200年の間受け継がれる「不滅の法灯」が灯されている。


それにしても山間地の日暮れは早い。
陽が傾き始めれば空気がひんやりとしてくる。この時期は4時過ぎには真っ暗になるらしい。

バスは一路、秋田県の湯瀬温泉郷へ・・・
東北自動車道から見える岩手山の上に下弦の三日月が鋭利な刀のように現れ、寒さを一層際立たせる景色に…

陽が暮れるとバスの外は大阪とは全く違う気候だった。
温泉街というよりも、かなり鄙びた湯治場のような場所にあるホテルへ到着したのは6時前。。。寒いぜ!
露天の温泉に浸かって温もり、、、宴会だ。
到着時間が遅かったので、N先生らのお話は明日に繰り越す。
かんぱ~い!秋田名物「きりたんぽ」の鍋も美味い!お酒も上々。



ということで、例によって飲めや歌えや踊れやの数時間が繰り広げられ・・・
しかし70歳前後の人たちの元気さってハンパじゃないわ~ 50代は完全に負けてる。
特に女性はイキイキしてるな~ 人生90年っていうのを実感した晩であった(笑)

東北応援・絆ツアーへ・・・

2013-11-11 22:22:06 | 日記
東北は今日は冷え込んで初雪に見舞われたが・・・
N後援会の有志40数名は、6日から8日まで宮城・岩手・秋田へ東北応援の意味も込めての旅行をした。
ぎりぎり晩秋の、紅葉の東北に間に合った感もある。

東日本大震災から今日でちょうど2年8ヶ月…
義援金だけというのではなく、いつかは東北の地を自らの足で踏んでみたいと思っていたが、その願いがようやく叶った。
一口に被災地とは言うものの、復興の度合いはまさに千差万別。政令指定都市の仙台などはどんどん進んでいるが、、、
道半ばというより、ほとんど手つかずの市町村もまだたくさんある。あの日のままという場所もあるのだ。。

とにかく「応援」というぐらいなので、いっぱいお土産を買って地域経済に少しでも貢献できればという方々ばかり?
ツアーでは総額ウン百万円は東北の地に落とせるはずだ(笑)

6日、地元から大阪空港(伊丹)まではチャーターのバスで。。。折り悪く、阪神高速空港線はリフレッシュ工事中で、近畿自動車道経由の遠回りを余儀なくされた。倍ほどの1時間もかかってようやく伊丹に。

大阪からまずは仙台空港まで、1時間15分の空の旅…こちらはスムーズに
ANAのB787には久しぶり~ B767の方が離陸の瞬発力は上かな??


あっと言う間に仙台空港・・・
海から近いこの空港も津波の被害があった。さてさて、どんな旅になることやら…





年季が・・・

2013-11-02 22:35:23 | 日記
昨夜は家内からめったにないお言葉を賜った。
「やればできるやん、さすが、いざ本気になったら違うな~Yちゃんは!」と・・・

もちろん夜の生活ネタではない…
家内に小言を言われることは毎日のようにあるが、褒められることはまずない。
したがって些細なことでも鼻高々になる。
褒められるためにやっているのではないが、木に登ってしまうタイプの私にすれば、晩ご飯を奢ってやることにした。


6日からの東北旅行「絆ツアー」を控えて、その前に何としても仕事を済ませておこうと、10月半ばから計画的に資料を手配し、27日以降は積極的にPCと向き合った結果、毎月10日に(???)出稿する原稿は5日の祭日明けに出せる目処がついた。
これで後顧の憂いなく旅を楽しめる。ひと安心といったところか。

ということで、、、
昨晩はご飯を食べに出かけたり、ウチのお客さんでカラオケ店を営んでいるMさんのところへお邪魔したりして
リラックスタイム。。近所のオバちゃんが踊りの稽古帰りに入って、それなりに場は盛り上がったか(笑)

ネタに写真を撮らせてもらうと、いろいろとポーズをとってくれたが、、、
売れない演歌歌手の趣は、さもあらん…そんな感じだ。

しかし、オバちゃんは酔っていてもキメるところはピタッと静止するなど足腰の鍛錬ができており、踊りだけは只者じゃなかったな~
舞踊の美しく流れるような動きというのはセンスもあるのだろうが、見ていて共感できるような艶やかな所作が身に付くにはそれなりの年季というものがいるものらしい。私もそう思う。

人間も年季が入ってくる頃にはすっかりあちこちにガタがきているはずだが、それがかえって見映えや、良い意味での重み、渋みを感じさせてくれることも間々ある。

「色は年増にとどめさす」という言葉もあるくらいで、艶ということにおいては小娘なんざの出る幕はないと私は思っている。
そういえば、昔からアイドルってやつには興味なかった…ませたガキやったんやな~きっと。。。

そういうことがこのSくんにも分かる日が来るんかな~来るんやろな~(笑)
孫を持つ身になって初めて思いを巡らすことのできる??年季の入ったお話である。。。