東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

しらす丼にハマリそう・・・

2011-07-30 14:04:57 | 日記
歯の調子もだいぶ改善してきた。
昨晩は臨時収入の入った家内のお供をして近所の蕎麦屋『H』へ出かけた。
たまには家内のおごりでもいいだろう。

『H』では各種ミニどんぶりと蕎麦かうどんのセットメニューが売りだが、最近始めた『しらす丼セット』を注文。
しらす丼に冷たいおろし蕎麦をセットしてもらった。
これがなかなかうまかった! この夏、結構ハマリそうだ。。

しらす丼には大葉ときざみ海苔がかかり、熱々の御飯と一緒に頬張ると海の香りが口の中にパ~っと広がる。
そのままで醤油などをかけなくても十分にインパクトのある味わいだ。


ラードで調理したような中華も一口目は美味しいのだが、何故かいまだに調子を崩しやすく、それを考えるとあまり食べたいとは思わない。したがって蕎麦屋か中華料理屋かどちらか選べと言われたら間違いなく蕎麦屋を選ぶ。

さて、しらす丼といえば、江ノ電の走っている片瀬~江ノ島界隈ではすっかり名物と化しているようだが、私が子どもの当時から一般的な食堂で売っていたかは分からない。。
最近は春から夏のテレビの情報番組では定番といえるほどで、海岸沿いで漁師自ら製造販売していたり、付近の魚屋や食堂での販売の様子などが何度も放映されている。

とれたてのしらすを浜茹でというのか釜揚げというのか塩を加えて煮込んだり、生でそのまま食べるもよし、
天日干しにして食べるもよし。。。

△江ノ島某店の「生しらすと鯵の二色丼」
 やっぱり新鮮なものは生が一番かな~…

茅ヶ崎の親戚の話はこのブログでもしたが、少なくとも親戚宅でこの「しらす丼」を食べた記憶はないし、
江ノ島でのそういった記憶もない。

一見質素な感じのしらす丼なのだが、とても味わい深く、豊かな海の幸として私たちを堪能させてくれる。
今の私にはまさにうってつけの一品である。

老化現象??

2011-07-28 16:24:27 | 日記
 数日前から歯が痛い・・・
知覚過敏というのか??歯科医に言わせれば、これも老化現象の一環らしい。。。
歯が悪くなったらキスもできないではないか!早く治さねばならん(笑)


 
ハリーポッターも終わってしまったが、老化を止める魔法は伝統ある魔法学校でも教えてくれないようだ。
そんなわけでハーマイオニー・グレンジャーもすっかり大人になってしまった・・・
△今から10年前はこんな少女も…

▽今は立派なレディである

私は先日、皮のままリンゴをかじって差し歯が取れたり、冷たいものがしみる知覚過敏という症状で近所の歯科に通うはめになった(そういえばハーマイオニーの両親は歯科医だが)。。。歯が痛いというのはかなり憂鬱の種だ。
食べたり飲んだりが楽しみになってきたのに、、、この際、しっかり治しておきたい。

歯に限らず、内臓の機能、視力、筋力、持久力や瞬発力、また髪の毛の状態や肌の色艶、贅肉のつき方など、大人になると個体差というのはかなりある。周りを見ても年よりずっと若々しい人、老け込んでいる人、年相応かな~という人、さまざまだ。

しかし、いくら若々しく見える(若々しくみせている)という人でも50過ぎが17歳に見えることは到底あり得ないわけで、
これは如何ともしがたい。
皆、加齢によって次第に若い時より味わい深い外観になっていくわけだが(笑)、、、
その分、色々な経験を積んで人間的に魅力を増すことはあっても、高く投げたボールが放物線を描くように
ある時期を境にして生命維持に特段関係ない部分の再生能力はガタ落ちし、放物線の角度に緩急はあっても
機能面を含め一方的に確実に落下していく。その宿命に抗える生き物はいないのである。

しかしキワモノの世界である芸能界では突然変異のような人も・・・

34歳で最年長グラドル「ほしのあき」は確かに若々しい! 地デジのフルハイビジョンの画面でアップになっても
十分に耐えられる(笑) 当然かなりストイックな生活をしているはずだ。

男性読者に今日はサービス(笑)


40歳の藤原紀香もあの体型を保つのは並々ならぬ努力をしているのだろう・・・
 

もちろん私たちはハイビジョンカメラで日常を撮られたり、シミの一つ、シワの一本、体重をグラム単位で管理して美を競うわけでも、百分の一秒を競う世界で生活しているわけでもない。
しかし「歯の1本くらい失っても何の不自由もないし、仕方ないか」と思うその気持ちがダメだと思うのだ。

生理的に年を取って良いことというのは実際には何もないだろう。そして誰もが老化は避けられないのだが、
物事に自分で『幕引き』をしてしまうような生き方はもの悲しい。。。
いつの日か分からないが、体が弱ってどうにもならなくなるその日まで、常に前向きでいたい。
彼女らのバイタリティを見習いたい気分だ。


天神祭で夏がゆく~

2011-07-25 22:31:23 | 日記
毎年7月24日、25日は日本三大祭のひとつ、大阪[『天神祭』だ。

日本三大祭といえば、、、この前行ってきた京都の祇園祭(京都市、八坂神社)、大阪の天神祭(大阪市、大阪天満宮)、そして私が生まれ育った東京の神田祭(東京都、神田明神)である
この祭も私と何かの縁を感じざるを得ないな~(笑)

盛大な花火で今晩クライマックスを迎える…大阪の一番暑い夏の夜である。

夕方から我が家でもポンポンと花火の音が聞こえてくる。
わざわざ人のごった返す大川沿いの造幣局、銀橋くんだりまで行かないでも近所を流れる寝屋川に架かる橋の上から
雰囲気は何となくは分かるのだが、。。
何か久しぶりに花火を見たくなり自転車でブラブラとちょっとでかけてみた。。。

ということでしっかり見てきましたよ(笑)
  

くっきり夜空に色とりどりの華が咲くのが手に取るように見えたわ~
地元の人間だけ知っている穴場スポットも…地元の人間だけで?橋が落ちそうなくらいだった、、

日本では花火を世の中の無常や人の一生になぞらえることがある。
線香花火が好きな国民性がそれを物語ってマイナーコードに満ち溢れた歌にもなるぐらいだが、、、
打ち上げ花火はもっと派手。。
スルスルっと上昇しパァ~ッと花ひらいて人々の歓声を受けた後に静かに消える…
どっちが理想的な一生かな??線香花火の方がいいかな~??

そんなことを考えながら帰り道には生ビールや焼き鳥の誘惑に耐える(笑)
どうにか地元まで辿り着き、、、結局は第2ダイニングの暖簾をくぐっちゃった(笑)


あ~こうして今年の夏も過ぎてゆくんやな~

新たな年をまた重ね・・・

2011-07-24 14:07:24 | 日記
テレビの地デジ移行のおかげで、やたら目についた『7月24日』だが、、、
今日、7月24日は私の誕生日である...誕生日のプレゼントも朝からたくさんいただき感謝感激だ。。。

去年は胃がんの手術と入院生活で4月末から8月の復活までブログは休憩していた。
今、周りの方々のおかげで体と心の元気を取り戻しつつあるなか、また一つ年を重ねられたことに感謝の気持ちでいっぱいだ。

一昨年の誕生日に関するブログでは・・・
『この年になれば、実際それほど感慨もなく、祝って欲しいという意識もない』とかエラそうなことを言っているのだが、
実際に生命に係るような大病を経験してみると、また誕生日を迎えられることは実に『感慨深い』ものだということも分かった。

2年前にはまた、、、こうも言っていた・・・
『ただ幾つになっても好奇心とチャレンジ精神は保ってこその人生だと思う。それには健康であることが前提だが、
「もう、年だから…」という台詞には縁のない生き方をこれからもずっと続けていきたい』

私にとっては当たり前に備わり、前提であるはずの『健康』は大きく損なわれてしまったわけだが、
また癌という病と縁が切れたのか切れていないのか不確かな状態でもあるが、少なくとも好奇心が減退したり、
「もう、年だから…」というようなことを意識したことは幸いなかった。

しかし体は正直だ。本来あるべきものがないというのは心身ともに見事に安定感を欠く場合がある。
機能的にもそうだが、時に非情なほど体が疲労し制御を失ってしまうことも経験している。
こうした面が命と引き換えになかなか改善されない部分なのかも知れないが、今日より明日はきっと良くなると信じ、
諦めずに色々なことにこれからも前向きでいけたらいいな~、、、そう深く胸に刻む誕生日となった。。。

オーラの無さに・・・

2011-07-22 16:00:32 | 日記
 美女3人組と遊んだ翌日の日曜日は、N後援会女性部の総会が約430名を集め盛大に催された。

太閤園の料理は毎回好評を博しているが、女性の会は何と言っても料理が肝心だ。
またワインが飲み放題プランに追加されているのもポイントが高かったようで昨年に引き続いて同所での開催となった。
決起大会のニューオオタニは1000名規模までいけるが、選挙区からも近くてキャパもちょうど良く、
しかも料理が美味いとなれば批判票も少ない。
あと、宴会前の総会の時間の長さもポイントになる。乾杯の前までの時間はいいところ45分。
それ以上かかると会場はザワザワしだして、女性らしい非常にシビアな評価が下ることになる。

今回は40分。合格である!昨年は1時間以上も費やして不評をかった。
これには訳がある。前衆議院議員のNYが福島の視察で到着が遅れたため、挨拶がカットされたことによる。
案の定、宴会中にやって来た彼は約20分間マイクを離さなかったわけで、、、

太閤園の広大な敷地内には美術館も併設している。

藤田美術館(財)は、大阪の旧男爵・藤田傳三郎と、その嗣子平太郎・次男徳次郎の3人によって収集された、東洋古美術を中心としたコレクションを公開する目的で、昭和29年5月に開館。美術館は昭和20年の空襲によって焼失した藤田家本邸の跡で、その時幸いにも類焼を免れた美術品収蔵庫を展示室として利用している。
藤田傳三郎(号・香雪)は、山口・萩から早くに大阪に出て、実業家として明治の経済界で活躍。
その没後は嗣子平太郎(号・江雪)が跡を継ぎ数々の事業を成功させた。

父子共に茶道・古美術に対する造詣が深く、当時の価値観や社会制度の変化から、理解や関心の薄くなった美術品が海外へ流出するのを憂い、それら美術品の保護のために尽力。こうして集められた収蔵品は、国宝9点、重要文化財50点を含む5000点を数え、その分野は絵画・書跡・陶磁器・彫刻・漆工・金工・染織・考古資料など多岐にわたる。
例年、春季(3月中旬~6月上旬)と秋季(9月中旬~12月上旬)に開館し、それぞれ館蔵品による企画展を行っているらしいが、私はまだ行ったことがない。。。


建築的な価値も高い別館の淀川亭などは当時の財閥の生活ぶりを感じさせてくれる設えで、鬱蒼とした木々や池などの庭を囲んで高級料亭になっている。
貴族のいる時代、貧富の差が激しかった時代の、まさに俗世間とは一線を画した「華麗なる一族」を彷彿させる。

選挙後初めての大規模な催しとなったが、折りしもN先生が市会の常任委員長に就任され、
そのお披露目パーティーも兼ねた華やかな祝宴となった。。。記念品や花束が贈呈され令夫人は感無量だったか・・・

太閤園の一番広い会場を埋め尽くす中に身を置いて、私は『N先生の磐石の時代に入ったことを予感させるに十分な光景だな~』
と、本当にいままで色々な苦難があったけれども、ようやく心底良かったな~と言える時がやってきたようで嬉しかった。


アトラクションに呼んだのは五木ひろし!
・・・じゃなくて、、、そっくりさんの三木ひろし(笑)が一生懸命に場を盛り上げる。
舞台を降りて会場を回る彼の胸のポケットに万札や5000円札をねじ込む大阪のおばちゃんたち。。。
しかし、友人A社長の奥さんが笑いながら言う・・・「オーラがまったくない…」
歌はうまいし、見ようによっては似ているのだが、、、実際、、、驚くほどにオーラは出ていないわけで…(笑) 
そのお金、N先生に寄付したって欲しかったな~と思ったのは私だけではなかったはずだ。

非日常から現実へ・・・

2011-07-21 17:03:36 | 日記
 一昨年は京都に泊まって放蕩の限りを(笑)尽くした感もあったが、、、
今回は私がまだ体調に不安を抱えており、万一迷惑をかけてもいけないので最終に近い電車で大阪にとんぼ返りした。
ちょっと慌しいが、こうしたマメさがないとやっていけない。
京阪三条から大阪まで特急で45分程度。。。帰りの電車はほぼ満員である。
どの顔も酔っているか疲れ切って眠っているか、元気なのはいちゃいちゃしている若いカップルくらいだった。

エスコートしてくれた彼女たちは翌日も京都でゆっくり。
夕方、宵山の風情を背に人の波に逆行して京都から大阪へと移動してきた。
前日は手取り足取り(笑)色々とお世話になったので、夕方みんなを連れて馴染みの割烹へ。。

3人の女性連れなので顔見知りの仲居さんたちに茶化される。
峰打ち無しのアホな話で盛り上がりながら、ひんやり冷房の効いた座敷で寛ぐ。
昨夜は帰宅組みだったのでお酒も多少自重していたが、今晩は・・・

こうした非日常の時間はいつも瞬く間に過ぎてしまうが、男女の区別なく明日への活力の一つといえる。
緊張を強いられる彼女らの日常は彼女らの有能さを物語っているわけなのだが、現実に戻ったときに
2、3日は何となく虚無感に浸ってしまうこともあるという。。。
しかし、エンジンがかかりだしたらその思い出の塊は確実にエネルギーへと昇華されていくようだ。
そうでなければ、非日常をエンジョイする意味がない。

今回も大いに飲んで語って笑って、、、みんな喜んでくれたみたいで良かった。
『それじゃ~来年もね!』と約束して彼女らと握手して別れると、時計はとっくに深夜零時を回っていた。
自宅近くでタクシーを降りる。暑さを忘れた夜風が頬に気持ち良い。。。
あ~このまま眠ってしまいたい・・・

自分的にはまだまだセーブしているつもりでも許容量をオーバーしてるのは足取りに出ている。
信号を斜め横断しながら「まだそれを自覚できるだけマシやな…」と思った瞬間、路側帯の段差でこけた。

手を擦りむいて血が滲んでもちっとも痛くなかった。。。
「男はつらいよ・浪速の恋の寅次郎」の絵が頭をよぎった。
『さくら、兄ちゃんは夢を見ているのかねぇ 通天閣のネオンの下を飛びきりの上方芸者とそぞろ歩きなんて…」



久々の京都祇園の夜に乾杯・・・

2011-07-19 14:37:45 | 日記
 京都の夏は暑い・・・
 
術後の昨年はとてもそんな気力・体力はなかったので家にこもっていたが、今年はどうやら・・・復活である。
2年ぶりに真夏の京都へ出かけた。

コンチキチンのお囃子と1000年の古都、京都祇園、、、日本の夏だ。
いにしえの町並みの中、今年は石塀の幽玄の世界に足を踏み入れた。

京都の案内をしてくれるのは一昨年にも祇園祭のナビゲーターをしてくれた東京の女友達3人組(1人メンバーが入れ替わった)。
パワーアップしての上洛である(笑)。

それにしても昼間の京都市内はものすごい暑さだ。
中心部である烏丸通りや四条通り、、、夜は人がごった返して芋を洗うような状態になるが、
陽の高いうちはそれほどでもない。宵々山の15日の昼下がり、それでも細い辻々には観光客が鈴生りだ。

彼女たちとも再会を果たすことができて本当に良かった。これも生きていればこそだ。。。
積もる話もそこそこに早速出かけることにする。

いかにも涼しげな絽の着物に着替えた彼女たちをタクシーに乗せ、夕方5時過ぎ、御池通りにあるホテルから
八坂神社をまず目指す。
途中、加茂川を渡ると京都の風物詩にもなっている三条河原の納涼床が見える。
しかし今年は納涼どころか熱中症で人が倒れ救急車が…『ほんま洒落にもならん話ですわ~』とタクシーの運転手さん。
車窓から風もなく、ピクリとも動かない木々の葉を見ていると、このままずっと冷房の効いた車内にいたいと思う。
しかし川端通りを南へ走るタクシーはホテルから10分ほどで八坂神社の前に到着。

祭り初心者の一昨年は、祇園祭のスターである山や鉾を熱心に見学したが、今回は京都の町を少し散策することに。
 
彼女たちは昨年のちまきの御守りを返して新しいものを買い求める。私は賽銭を投げて無病息災を祈願。 

写真は、神社の南側から歩いてすぐの所から振り返って見た八坂さん。

秀吉の正妻「ねね」ゆかりのお寺で有名な高台寺の西側にある界隈のお店は敷居が高く、
一般庶民がおいそれと暖簾をくぐることを長いこと拒んできた。
今でも八坂神社より山手の方の店は格式が高いのだ。
運転手付きの黒塗り高級車がずらっと停まり、それなりの雰囲気を醸し出している、、、

ここいらでは街の中心部にいっぱいいる茶髪の子どもたちは一人も見ない。
彼らが喜ぶようなものはないし、若いコたちもその辺は心得ていて、ここいらにはやって来ない。

クルマも停められないような狭い路地が今回出かけた石塀小路だ。

石塀小路が出来たのは意外に新しく、大正時代のことらしい。
高級料亭や旅館が建ち並ぶ静かな落ち着いた空間。
石塀小路...地元では「いしべこじ」と呼んでいる。

道の曲がりぐあいや、板塀の風合いが絶妙な調和を見せている。
石塀小路は当時、貸席を兼ねた高級な貸家街とすべく計画、開発され、石畳の道もこの石垣も、
高級感を出すための計算され尽くした演出だという。

まるで昔にタイムスリップしたような、別世界へ誘い込まれるような不思議な感覚だ。

その中でも比較的リーズナブルなお店に予約を入れていてくれた。
この3日間、ちょっとしたお店には予約なしでは入れないだろう。。。
しかし初めて足を踏み入れたこの場所はとっても居心地のよい空間だった。
それなりの年頃になったら絶対に来て欲しいな~

夢かうつつか、、、不思議な感覚に包まれながら鱧の天麩羅などを肴にお酒がすすむ。
2階のお座敷からは家々に灯りがポツンポツンと点いているのがぼ~っと見える。。。風流の一言だ。

酒豪の美女たちに囲まれ、次第に意識もタイムスリップしていく…
みんなの頬もほんのり染まってきた。薄暗い座敷に甘い香りがたちこめて鼓動が早い。

『京都の夏は夜もあついんやな~・・・』 ことさら今夜はアツくなりそうやわ。。。

みおつくし

2011-07-10 23:47:06 | 日記
 先日、リーガロイヤルホテルのB2にある「みおつくし」という割烹料理屋で食事をした。
初めて入った店内は金曜日ということで?かなりの混雑。予約していなかったので喫煙席しかなかった。
ここの料理は近来になくイマイチだった。
何を注文しても一流ホテルの高飛車な料金なのに、どれも何を食べているのか分からないような味付けだった。

喫煙席はテーブル上の照明も行き届かず、器もどうか? 量的にも「えっ?」で、ますます何を食べているか分からない。

他にも有名店はいっぱい入っているので、ここへはもう行くことはないだろう。
ただ、お酒で〆張鶴が置いてあったのは良しとしよう。。。そればかり飲んでいた。

『みおつくし』といえば大阪市の紋章だ。市章に制定されたのは1894年(明治27年)。
水路を縦横に整備したから浪花の商業は発展したともいえるが、湾の入り江はもとより土佐堀とか堂島、
道頓堀など川や堀で 又 そこに入る前の淀川や大川で船を安全航行(船が浅瀬に乗り上げないように)
させるため標識(みお つ くし)が打たれていた。
水路案内の役目をしていた「みおじるし」である。
『みお』というのは、澪(みお)。。。 舟が航行できる水路のこと。
『澪近くにつきさす串(串の木)やから『みおつくし』という。

澪の標識(みおのひょうしき)、言うなれば点滅も何もしない信号機(木)ということか・・・
黙って身をつくしてくれる人 そういう意味が「みおつくし」という単語には込められているとも…

他の都市の紋章もみてみると・・・

仙台市の紋章は、三ツ引両(竪引両)から考案されたもので、仙台市の「仙」の字を図案化。
 三ツ引両は、伊達家の紋章で、始祖である朝宗が幕の紋横画徽章として、源頼朝から賜ったものを
竪引両に改めて使うようになったと言われている。
伊達家では、この三ツ引両を「竹に雀」よりも古くから使ったようで、仙台城内の書院、場内櫓の巴瓦、
社寺建築にも見られる。


鹿児島市の紋章・・・
天下第二の雄藩として近代日本の黎明期に多くの功績を残した
薩摩藩主「島津家」の紋章。。。言わずと知れた「丸に十の字」に「市」の文字を図案化したもので、
四方の矢印は四方八方に発展する市の姿を象徴している。


これは、京都市の紋章。 
放射状に6方向に伸びる線は、ダビデの星に酷似。
この紋章は、漢字の 「京」 の形をイメージして創られたのだと考えられている。
京都に一大勢力を誇った秦氏の拠点で、その名前からついた地名に 「太秦(うずまさ)」というのがあるが、
その地域の紋章はダビデの星であった。。。

神戸に行くと電車から見える市章山の電飾や市庁舎1号館で知られる市章は、

歴史的仮名遣である「かうべ」の片仮名「カウベ」の「カ」をデザインして1907年に制定された。
扇港と呼ばれた旧兵庫港(大輪田泊)と旧神戸港の2つの港の形と、港湾に因む錨のイメージも持たせてあるといわれる。

最後は東京。。。

1889年(明治22年)12月の東京市会で市のマークとして決定されたものが、そのまま昭和18年の
東京都制施行に際し、東京都の紋章として受け継がれた。
紋章の意味は東京の発展を願い、太陽を中心に6方に光が放たれているさまを表し
日本の中心としての東京を象徴している。 昭和18年11月2日付で告示され、東京都の正式な紋章とされた。

何にしても由来、歴史はあるが、、、
黙って「身を尽くし」てくれるような公僕は、今の世の中にはいそうもないな~。。。

家にこもって・・・「ブラック・スワン」と「メカニック」を観る

2011-07-06 23:00:06 | 日記
 土曜夜市で頑張ったせいか、、、体調がイマイチである。。。。。。
日・月・火と家で養生しながら、ある筋から頂戴した違法なDVDで最新の映画を楽しんだ。
おかげで体調もすっかり戻り(笑)、、、今日は経済新聞の記事に取り掛かる。
今月は色々と用事があるので何事も早め早めを心がけている。。。

「ブラック・スワン」は陰気な映画だったな~。。。
ナタリー・ポートマンはオードリー・ヘップバーンに似ていてウブナ女の役がピッタリ。
この映画で彼女はいくつもアカデミー賞にノミネートされたが、映像は室内か夜か、地下鉄か曇り空か…
あくまで暗くて好きになれない。ちょっと怖い場面もあるし、、、怖がりの人は1人で観ないように。
ストリーは既に皆知っていると思うので・・・
やっと掴んだ主役の座を若いバレリーナに狙われていると疑心暗鬼になり、次第に精神を破壊されながら、
演目の「白鳥の湖」の王女同様、自殺して初めて異常に過保護な母親から自由の身になれるというサイコサスペンス。。。

自殺したりは極端な例としても、今の世の中、生きていくのに不器用な彼女のような人は多いかもしれないな~


それより私の好みは何と言っても「トランスポーター」で一躍スターとして認知されたジェーソン・ステイサムの「メカニック」。頭頂部の寂しい世界中の男性諸氏に夢と希望を与えてくれる
ジェイソン・ステイサムはまさに私の希望の星だわ~(笑)
この薄毛の中年男がさまざまなシチュエーションでイケメン然として堂々と登場し、美女という美女を虜にしてしまう。。。
確かに観ていてイケメンに見えてくるし、違和感なくモテている(笑)
私と同じような176センチでアメリカでは小柄な部類だろうが、クールでカッコいいのだ。
「トランスポーター」第一作はTVでも放映。黒いBMW735を駆って、どんな荷物でも迅速かつ時間通りに目的地に運ぶことで、一目置かれた存在である。

ジェーソン・ステイサム演じるフランクが厳守する3つのルール。
「契約厳守」「名前は聞かない」「依頼品を開けない」。
契約厳守は余計なトラブルに巻き込まれないため。後の2つは極力情報を入れないことで、身の安全を確保するためだ。私も心がけたい!(今のところ何の意味もないのだが…笑)

TVで先日放映された「トランスポーター3 アンリミテッド」は、「タクシードライバー」のリュック・ベッソン製作・脚本。前作に引き続きアウディのフラッグシップモデルである黒の塗装も艶っぽい「アウディ A8 6.0クワトロ」が全編にわたり最高のカーアクション魅せる。クルマ好きなら文句なしに楽しめる映画だ。

そして、昨日家で鑑賞した「メカニック」もジェーソンの新たなシリーズになりそうな出来ばえだ。
ゴルゴ13のような殺し屋として、業界ではマシーンと呼ばれることからこの題名がついたようだが、
とにかく話の内容は観てからのお楽しみ。男ならこういう映画を観て血肉を躍らせ明日への活力としたい。
スカッとしたおかげで私もすっかり元気になった。。。明日からまたガンバレそうだ!

7月恒例 土曜夜市で稼ぎまくる

2011-07-03 12:06:29 | 日記
昨日は7月恒例のイベント「J商店街・土曜夜市」が開催された。
第1週と第2週の2日間開催されるが、初日の方が人出は多い。
昨年、私は退院間もないこともあり、初めて欠席させてもらったが、今年は復活して2日間何とか頑張れそうだ。。。

我が町会はもう20数年も出店し続けている老舗である(笑)。。。アーケードがあるので雨天でもできる。
今年も罪のない子ども相手に大きく稼がせていただいた。。。(子どもたちは夜店を本当に楽しみにしているのだ!)

しかし我々はなにもボッタクリの夜店ではない。
町会などの地域振興会や校区の同窓会、PTA、学童保育の面々などが出店するので、多くの店は1人前or1回100円、、、
これを稼業としてやっている寅さんのような夜店相場よりもだいぶリーズナブルな価格設定である。

小学生の頃、毎年ここで遊んだ子どもたちがすっかり大人になって戻ってくることもあり、なかなか感慨深いこともある。

印象に残っている子どもたちも大勢いる。有り金全部出して欲しい景品を遂に当てて持って帰った小学生もいた。
大人になったその子は競馬新聞を後ろポケットに入れていたので、戦績を尋ねたら毎月プラス計上だとか…(笑)
きっとギャンブルの素質がここで開花したのかも??

また、金魚をすくいの腕を上げて、奈良・大和郡山の『金魚すくい全国大会』みたいなコンクールで
上位入賞を果たした女の子もいた。
私によくなつくし見所があったので、最後の方はずっと無料で何時間もやらせてあげたのが良かったのだろう(笑)

とにかく、普段は閑古鳥が鳴いている昔ながらの商店街だが、この土曜夜市だけは一体どこから湧いて出てくる
のかと思うほど、大勢の子どもたちがやってくる。
当然、大人たちも付き添いで来るし、浴衣姿の熱々カップルもたくさんやって来て、、、
まさに足の踏み場もないほどの混雑となる。


ウチの町会でも昔は焼きそばや焼き鳥、ソースせんべいなどの食品。植木にパターゴルフ、千本引きなどもやったが、
ロスも出ず一番手間がかからず勝負が早い当てモノとスーパーボール、金魚すくいに特化している。

利益率では数ある店の中でもトップクラスだろう。
この売上げは町会の予算には入らず、我々役員の親睦会費となるというのがミソ。
突然の雷雨に見舞われた昨年と比べてかなりの売上げアップ(10万円は軽くオーバーか?)となれば、
一連の夏季行事が済んだ暁には、、、大判振る舞いのお楽しみも期待できるだろう。

地域のつながりは、こうして熱帯夜の晩に共に汗を流してお金儲けをすることで一層強固なものになるのである(笑)。
商都大阪の夜はこうして更けていく・・・でも疲れたわ~~。。。