東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

歳末夜警⇒大晦日へ

2009-12-31 11:54:24 | 日記
 歳の瀬恒例の歳末夜警も済み大晦日へと・・・
我が町会をゆっくり歩けば一周で30分ちょっとかかる。
この日は風もなく穏やかな晩。しかし詰め所に帰れば皆ビールよりも温かい焼酎のお湯割りか熱燗が…


あまり美味しそうに写ってないのが残念だが、実際に食べたら出汁がよく沁みこんでました~、、、

女性部が前日から仕込んだおでんは身も心も癒してくれる。
夜警は防犯のためというより、地域の皆さんとしっかり語り合い親睦も深めることと、歳末の雰囲気を町会の方々に味わってもらうことが目的だ。
これが終わると一気に歳の瀬となる。
お店も例年通り30日の夕方までやって、床を半年振りにワックスがけして正月の飾り付けをした。。。

大晦日…昨晩から今年一番の寒気が日本列島を包んで各地大荒れの空模様。
そんな朝、町会にお住まいの方からお婆ちゃんが亡くなったとの知らせ、、、!
う~ん、風邪気味で体調は今ひとつだが、台風を思わせるような強風の吹き荒れるなか、看板や自転車がごろごろ転がっているのを横目に、、、う~、、、寒い!!取りあえずお宅を訪問してみる。
いろいろな段取りが頭を巡るが、、、訪問すると亡くなられたのは90代後半の方で、もう何年も地域との繋がりがなかったことから家族葬にするとのこと。
回覧等の案内も不要ということになった。。正直、あ~良かった~(ちょっと不謹慎?)。

最後の最後までいろいろなことのあった2009年もあと10時間ほどだ。。。
いつも以上に嬉しいことの多かった充実した一年だったが、来年も今年以上に元気溌剌として良い一年になるように精進したい。

酒ばっかり飲んでいたような一年だが、このブログを閲覧していただいた皆様にも心から感謝致します。。。
どうぞ、良いお年をお迎え下さいね~!!

本年最後の忘年会

2009-12-29 14:07:06 | 日記
 12月28日、、、何回目の忘年会か即座に答えられないが、今年最後の忘年会は地元の「ニューP」でYHさん主催で行われた。。。YHさんとも顔見知りの家内の友人や私の後輩など、気心の知れた地元のメンバーばかりなので大いに寛げる楽しい忘年会となった。

ここのコース料理は以前にもブログでアップしたが渾身の一品ばかり。
繁華街の中華飯店で同じメニューを注文すれば、三倍ほど高くつくだろう。しかも味付けは某有名店のような香辛料や香草の効きすぎた感じもなく、日本人好みの細やかな調理をしてくれる。高いお金を払ってわざわざ口に合わない料理を食べに出かけて行くこともないのである。


写真は海老マヨのフルーツ和えと骨付きカルビとホタテのすり身を揚げた団子に春巻きを揚げたもの。。。野菜たっぷりのオードブルからフカヒレスープ、オイスターソースが癖になるアスパラ・かぼちゃ・蓮根の素揚げ、柔らかい牛のサイコロステーキ、松葉蟹のチリソース、鰻の炒飯、、、デザートに自家製の豚まん・あんまんと大学芋、メロンがつく。。。
食べきれないので、デザートは二次会の「Tちゃん」へ持参する。
これで飲み物込み1人5000円! 満足度200%だ。

 本当に気の合う仲間とワイワイ言いながらテーブルを囲めば、美味い料理がなおさら美味しく感じる。
暖かい人たちと温かい料理、笑顔の絶えない時間…幸せというのはこういうシンプルなことなのかも知れないな~と思う。
こうして今年もYHさんをはじめ、多くの皆さんのお世話になり暮れていこうとしている。
 今晩はこれから町会の歳末夜警、、、店は30日までやるが、一年の締めくくりとして地域の方々との親睦を深めたいと思う。

希望に満ちていた昭和の時代

2009-12-27 14:29:53 | 日記
 今日のニュースでやっていたが、日本の貧困率は世界のトップグループにあるという。1人親世帯(母子家庭か父子家庭)の貧困率は55%を超える。
私が小さい頃、日本はまだまだ貧しい国で、国民の大多数はみんな貧しかった。
鼻水を垂らして袖はテカテカ、手はアカギレだらけで着ている服も兄弟のお下がりや穴の開いた靴でも平気で履いていたような時代から、ようやく脱しようとする頃だ。しかしそんな格好が当たり前だった当時は老若男女、みんな笑顔が絶えず前向きで希望に満ちていた。

白黒TVが「家に来た」という。どれだけ大ごとか分かるだろう。映画「三丁目の夕陽」そのままだったような気がする。

家の中も日々、物が増えていった時代。どの家も将来の豊かな生活を思い描いた。

大人も子供も欲しいものだらけだったな~あの当時。。。 今はモノより…

 高度経済成長が軌道に乗り、誰もが頑張れば楽な暮らしができるという約束があったと思う。雇用も安定していて日本の風土に合う終身雇用が根付いていたし、日雇いでも仕事が途切れることがないほど景気は上向きだった。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本が出るほど「日出ずる国」の自信に満ちていた頃が絶頂期だったか…。
一般的には真面目に仕事をしてさえいれば、難しい選択に悩んだり、政治への心配を感じずとも、それなりに住む家や明日のご飯について深刻な事態に陥ることは少なかったように思う。
国民の意識の上では横並び、一億総中流時代である。

しかし今は違う。。。大阪は特にひどい状況といえる。 
日本全国で生活保護を受けている人は約176万人ほどいるが、その内、大阪市には13万人。大阪市の人口は260万人だから、20人に1人は生活保護の名目で支援金を貰っていることになる!!
これは明らかに異常な割合である。大阪市に行けば支給を受け易いから何とかなるという人が後を絶たないのか…??
西成区にある西日本最大のドヤ街を背景に、仕事や支給からあぶれた人たちが路上生活者になっていくので、ホームレスの数も自治体の中で全国一だ。


ブルーテントで寝起きできている人はいいが、そういう場所もない人が結構いるのも大阪ならではだ。

寒空の下、これでは凍死してしまう。。。


多少の夜露はしのげるのか、、、ダンボールの家(一人用)・・・


高架下の道路を片側占拠してしまっているブルーテント団地。。。
雇用されなくなると一気に坂を転がり落ちていくという…

決して他人事ではないという勤労世帯の意識が更に景気を冷やしていく。
あ~、、昭和30年代後半から50年代後半が懐かしい。


一年ぶりのご開帳~!?

2009-12-26 15:16:17 | 日記
 「ご開帳」と言っても股を開くような類の話ではない・・・

家内の500円貯金の話だ。
今年、彼女がそれをご開帳したのは昨晩…、クリスマスの晩であった。
毎回いつご開帳するかは大よそ満タンの頃を見計らって彼女が決める。
コツコツと500円硬貨を入れていた貯金箱はかなりの重量がある。一年以上は封印を解かなかったので相当貯まっているはずだ。
勿論、こっちには一銭も回って来ないが、彼女の当座の小遣いとなる。クリスマスの晩なので自分自身へのプレゼントということか、、、、、


貯金箱を二つに割り(またボンドでくっつける)、厳かに中身をテーブルの上に広げる。重量のある硬貨同士が触れ合う時の、「キャラキャラ」というような独特の音を発しながら銀色の山が裾野を延ばしていく。。。

10枚ずつをひと盛りに重ねていく…ひと盛りで5000円。
果たして、いくつの山ができるか??
こういう作業をしている時は、本当に真剣そうにしているので可笑しくなる。


毎日一枚と思っていたようだが、なかなかそうもいかないものだ。

次回のご開帳を目指して、空になった貯金箱に早速一枚…
私もやろうかなぁ、、、色々と物入りやし~(笑)

記憶喪失のイヴ…

2009-12-25 17:06:53 | 日記
 50歳を過ぎて今さらクリスマスなんてと思っていても、やはり家族でホームパーティを開いてケーキを食べたり、ちょいマシなホテルで食事をしたり、プレゼントを交換したり、クリスマスに託けて普段とは違う晩を過ごす友人も多いはずだ。
商業主義に乗せられて内需を喚起するイベントだとは分かっていても、家に引篭もっていては勿体ないような気分にさせるのがクリスマス・イヴの晩である…

…ということで、家内やその連れと淀屋橋(最近ちょくちょく出かける場所)の方へ出かけた。「2009光のルネサンス」へは既に行ったが、今日の人出はスゴイ。イヴの晩ぐらいさすがみんなお金を使いたいようだ。

イルミネーションで真昼のような明るさの御堂筋を100mほど南へ行ってすぐの所にある真新しい白亜のビルへ入る。


入り口に飾ってあるユーノス・ロードスターも眩しい!


今晩出かけたのは、今流行の温泉水を使った豆乳だしを売りにしているお店で、佐賀牛しゃぶしゃぶのコースが味わえるレストランだ。飲み屋さんというイメージではないのであまり日本酒への期待はしてなかったが、、、種類はさほどない中で抜群に旨い酒に出会った。九州が本店だけあって焼酎のレパートリーはまずまずだ。

佐賀にある温泉地「うれし野」の名前が店名になっているが、何故か店のロゴマークは「丸に十文字」・・・薩摩藩島津家の家紋である。。。う~ん、何でだろう?
聞いてみたい。。。
最近、方々を飲み歩いているので聞いたことのないお酒でも、まず外さないようになった。今晩の一押しは佐賀県の地酒「東一」(あずまいち)である。
やや辛口で適度にフルーティーで飲みやすい。それに比べて菊正宗の冷酒はイマイチ。その差は歴然としていた。


料理も期待した以上に美味しい。。。お造りや前菜などの盛り付けも綺麗で新鮮だった。




豆腐がとろとろに溶け出すまえにポン酢でいただく。

豆腐の成分と温泉のミネラルが溶け合って白濁した鍋に霜降りの佐賀牛をしゃぶしゃぶで食す。。。


佐賀牛もいいが、重箱に一緒に盛り付けてあった鹿児島産の豚、茶美豚(ちゃみとん)も味が凝縮されていて非常に美味かった。ポン酢・胡麻ダレ、どちらで食べてもよい。


この時点でお酒の量(生ビール2杯、冷酒3合、熱燗1合ほど)は既に定量だったが、この後タクシーで地元の「Tちゃん」へ…
ちょっと一杯のつもりが、知り合いが多数来ており、、気がつけば、また午前様~
黒霧島のボトルをほとんど空けてどんちゃん騒ぎ…意味不明の写真多数///


最後は家内の呆れた顔を横目に、一人で隣の第2キッチンへ立ち寄り、、、
悪い癖はなかなか治らないものだ。
この頃になると既に記憶は飛んでいた。所々が空白~  
さすがに朝、肝臓の辺りが痛かった… 今晩は禁酒しよう。。。

真冬の蜃気楼

2009-12-23 15:20:52 | 日記
 先日も訪ねた「2009光のルネサンス」、、、今日はわざわざ遠方から私に逢いに来てくれた人を連れて中之島へ出かけた。。。

祭日前ということで、この前に来た時よりもさらに人出は多い。
色とりどりの膨大な量のLEDが都会の街並みや川面を照らす光景は圧巻である。
この目で夜空を彩るオーロラの実物はまだ見たことはないが、今のLEDのコントローラーの多彩さは、自然を上回るような複雑さでプログラムされているようだ。

 イルミネーションが延々と照らしてくれる4本にセパレートされた銀杏並木…南行き一方通行の御堂筋を淀屋橋からミナミ(なんば)へタクシーを走らせる。。

かなり外は寒い。5℃を下回るだろう、、、。暖かいクルマの中に体を滑り込ませると冷え切った体に血が巡り始めるのが分かる。
2人の体温と吐息がタクシーのサイドウインドウを少し曇らせ始め、次第にイルミネーションの光の束がぼんやりと滲んで見える。さながら真冬の蜃気楼のようだ。
滲んだ光を帯びてサイドウインドウに溶け込んだ2人を、タクシーはそのままどこか遠くへ連れて行ってしまいそうな晩だ。。。

彼女が左手でウインドウを拭うと、現実に帰るかどうかを試すように曇りが取れて滴が流れ落ちていく。そこだけ街のネオンがくっきりと見えて、逡巡する2人のため息が漏れる。。。
都会で真冬の蜃気楼を見てしまった2人には、もう帰る場所がないということか…。

 体が冷えてるのは空腹のせいもある。アルコールが入ってないからでもある。
程なくミナミへと辿り着いて…

いい雰囲気のお店(秘)で…


お酒は今夜もいろいろ試したが、新潟の「〆張鶴」…これが一番だった(旨!)


お酒もまわって、、、もう現実なのか夢の中なのかお互い分からないことにしておこうということになった(笑) 
めでたし、めでたし~




街の孤高の人にもなりたくないな~

2009-12-21 00:28:28 | 日記
新田次郎著「孤高の人」、読んだことがあるだろうか。私は先日30年ぶりぐらいに読み返した。
この話は昭和11年1月槍ヶ岳の北鎌尾根で行方不明になった加藤文太郎(1905~1936)の生涯を綴った小説で、山登りの好きな人はたいてい読んだことがあるだろう。新田次郎といえば、山岳小説。映画にもなった「八甲田山」なども有名だが、「孤高の人」もまんが雑誌に連載されている。

槍ヶ岳 3180m 夏の北鎌尾根・・・何が「あこがれ」の北鎌尾根なのか、人気なのかさっぱり分からんが… 登山家にはそう思ってる人が多い。。。
夏場でこれだけ殺風景な所だ。文太郎の遭難した1月は想像を絶する。人が入ってはいけない場所なのかも知れない。

 実際にこの小説を読んでから山に登り始めたという人も多い。
山で地下足袋姿の登山者をたまに見かけることがあるというが、それは「地下足袋の文太郎」とも呼ばれた彼の格好を真似た登山者である。加藤文太郎には多くのファンがいる。確かに小説に出てくる彼のストイックさは格好いい!

 新田次郎が「孤高の人」を書くに当って参考にしたのは加藤文太郎の遺稿集で、その名は「単独行」と名付けられている。独りで山に登ることが多かったため、彼は「単独行の加藤文太郎」とも言われていたが、槍ヶ岳の北鎌尾根で遭難したときには一人の同行者があった。それが吉田富久氏で、新田次郎の小説「孤高の人」では「宮村健」と呼ばれている。
新田次郎は加藤文太郎の遭難の理由として、同伴者・宮村健の自己顕示欲の強い性格や自己中心的で勝手気ままな行動を挙げる。小説「孤高の人」の後半は、そのような宮村健の姿を十分すぎるほど描き切っている。
私たちの周りにもそんな困り者は必ずいると思うが、極力相手にしないことだ。

遭難の第一の原因は、それまでずっと単独で山に登っていた加藤文太郎が柄にもなくパーティーを組んでしまったことだ。
我々読者は、単独行の加藤文太郎が宮村健とパーティーを組まざるを得なくなっていくその運命を呪う。加藤文太郎は、宮村健によって次第に遭難へと引きずり込まれていく。それは、どうしようもない運命のように思える。

家で待つ奥さんが時計の針の止まっていることに気づく描写や、文太郎が薄れ行く意識の中、必死に家に帰ろうとする幻覚をリアルに描いているのが秀逸だった。

私自身は電池の切れた時計を直してよと言われたり、スナックのカウンター越しの化粧の香りに人様に言えないような幻想が膨らむことはあるが、必死に家に帰ろうとしたことは今までに一度もない。

私たちが雪山で遭難する確率はゼロに等しいが、飲み過ぎて路地裏で倒れて凍死する確率は多少はあるかも知れない(笑)。。。
、、、これぐらいの量を一週間で飲んだら、遭難したにも等しいよね~
年末年始は飲む機会も多いし、酒量も増える。皆さんも必死に家に帰ろうとするような幻覚を見ないようにしましょう!!


孤高の人にはなりたくないな~

2009-12-20 14:07:55 | 日記
 富士山に登っていた元F-1レーサーの片山右京が登山中に遭難した。
南極大陸最高峰のビンソンマシフへの登山のための「練習」だったという。
片山右京は自力で下山してきたが、同行の2人は遺体で発見された。彼らはマナスルやマッキンリーの登頂にも成功している。
準備も装備もプロ級の人たちがいとも簡単に遭難する。
いくら完璧に準備していても、自然の力がその本性をむき出しにすれば、人間など抗うことは何もできないということだ。


 富士山登山はブームで、私の知り合いは大阪から何人も山頂まで出かけている。言い換えれば、夏の富士山は誰でも登れる山になっていると思われている。中には、そこいらのコンビニにでも出かけるような格好で平気で登っていくとんでもない輩もいるようだ。
そんな姿をメディアで見るにつけ私は何故かとても不愉快になる。世の中を舐めているとでも言うのか、何か神聖な場所を土足で踏み荒らす輩に見えてくる。

「夏場は軽装でふらふらと登ることができる山」というイメージが先行してしまった富士山だが、ひどい誤解である。また冬の富士山は更にまったく別の山だ。何名もの命を奪っている山であることは厳然たる事実である。
富士山に登るルートはいくつかある。今回のルートであった御殿場口登山道のほかに、河口湖方面から登る吉田口登山道、須走方面からの須走口登山道、富士宮市方面からの富士宮口登山道が有名だ。
今回の寒波で山頂付近は氷点下25℃を下回り、風速は25メートル以上の強風が吹き荒れているという。

写真でも強風に雪が舞っているのが分かるだろう。
現場では「どえりゃーことになっちょるでよ~」(龍馬)と思う。

今回遺体で発見された2人は8合目と9合目の間からテントごと吹き飛ばされたという。
冬の富士山で一番怖いのが突風。太平洋側なので大雪はあまりなく、突風によって滑落、転倒するのが遭難の典型だという。
西高東低の冬型の気圧配置で季節風が強まり、富士山にぶつかって突風になるといい、実際登った人の話では「上に下に左右にものすごい強さの風で、人間なんて簡単に飛ばされる。テントも四隅を張り綱で固定しているが、綱も切ってしまうほどの強さ。非常に怖い」と話していた。

 冬山といえば、私はスキーには何回も行ったが山に登ることには何の興味もない。まして冬山登山なんてもってのほかだ。命をかけて辛く寒い思いをして… 

温泉で美味い酒と肴で緩々と過ごし、遠くに美しい雪山を眺めている方がずっといいと思うし、親孝行だと思うけどな~

寒風吹きすさぶ・・・

2009-12-18 14:28:25 | 日記
 亜熱帯気候がいつの間にかツンドラ地帯の大阪である。
近隣に高層マンションが建ち並んでからか、真冬になるとこの辺りはビル風の影響もあって自転車がバタバタと倒れる北風の街と化す。。。
今日も寒風がビュービューと吹き荒れている。「寒い、今日も寒いね~」と言うのが挨拶代わりだ。

 寒いのは何も気候的なことばかりではない。。。飲食業界を取り巻く不景気は尋常ではない。先月の統計調査では、2人暮らし以上の世帯で喫茶代に使うお金は前年比で15%ほど少なくなっている。ウチも雨模様で決して良くないが、近所の寿司や中華、割烹などの料理屋はかなりきつそうだ。さらにスナックや居酒屋などの深刻さは暴風雨なみで、荒れ方は半端ではない。
家に篭もって外に出ないのが流行ってるらしいが(お金を使いたくないので出たくても出れないのだが…)、、、もうそろそろ勘弁して欲しい。
 
 私の「第二ダイニング」も一時の盛況さが嘘のように静まりかえっている。
最近はラーメンやカレーを出す。営業時間の長さで売り上げの帳尻合わせをすべく、ランチタイムに営業を始めた。晩の部でもそれらを提供する。昼の11時30分から午後2時30分までがランチタイムで、夕方5時から朝の5時まで営業している。。。仕込みのことを考えたら、ほぼ一日中、誰かしら店に居ることになる。いつ眠ってるのか心配になるが、彼らの努力が報われる日は来るように… 心から頑張って欲しいと思う。

晩は鶏の出汁で作った塩ラーメンに、ミニ唐揚げ・そぼろ飯・鶏ギョーザの中から二品をチョイスして900円。。。

あっさりスープと鶏のチャーシューでヘルシーな感じだ。飲んだ後の一杯にはいいかも…いや、塩分とカロリーは一緒だ(笑)
 

 もう一軒、家内の同級生がやっている「Tちゃん」、、、
ここは昼の1時から夕方5時までのカラオケタイムと晩7時から11時(実際はいつも午前0時ごろ)までのスナックタイムがある。同級生たちで結構賑わってるようだが、晩の部は坊主(お客さんゼロ)の日もあるという。この業界はそれがあるから怖い。。。精神的にもよろしくないだろう。



昨晩は近所の娘さんがコスプレで来店していた。けっこう忙しそうである。
高校の制服らしいが、、、う~ん、スカート丈が短い。
スカート丈はいくら短くても結構だが、営業年数が短くなるのは不幸なことである。みんな一生懸命やっているのだから…

地下鉄は都会の証明か・・・

2009-12-16 16:40:53 | 日記
 九州や中国地方から出てきた人の話を聞くと、地下鉄というのは都会の交通機関、これがあるかないかで都会か否かの証明になるのだという。
東京と大阪にしか定住したことがない身とすれば、当然のように公共交通機関の一つとして、常に選択肢の中にあったわけで、そんなことは意識したこともなかったが、確かにそうかも知れない。

 田んぼの広がる村や鄙びた漁村で地下鉄が走っていたら、不思議な気分になることは間違いないだろう。
炭小屋の煙が立ち上る山、大漁旗がたなびく岸壁の裾に、もし地下鉄改札へ続く階段があったとすれば、そこを下りていく乗客は勇気が必要だ。奈落の底に続いてような心持ちに陥り、足が前に進まないかも知れない。

費用対効果は経済活動に必ずついて回る。以前の日本はそういうところに対して、今よりグズグズのところがあって、市民のための公共交通は赤字でも仕方ないという考えもあったと思う。今日ではシビアな判断基準があって、田舎の赤字路線は何本廃線になったことか分からない…。。。



大阪の地下鉄路線図は東京に比べてまだスッキリしているが…

初めて大阪にやって来た方々にはやっぱり分かりづらいようだ。はっきり言って私も自分の活動圏外の地域を走る路線・駅にどんな順番、どんな駅名があるのか把握しきれていない。