東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

ヨーロッパ中世の歴史をおさらいしておく

2010-02-22 17:17:46 | 日記
 明日は昼から店は休みにして京都国立博物館に行く予定だ。
京橋から京阪電車に乗って七条で下車し、有名な三十三間堂を右に見て駅から徒歩約七分…。

「The ハプスブルク」という中世ヨーロッパファンにはたまらない響きの展覧会が、今回、京都で開催されることに…(来月14日まで開催)

 私は高校では世界史を選択していたので、ある程度の下地はあると自負していたが…う~ん、ほとんどが「聞いたことある!」という程度のもので、内容的にはすでにかなりの部分が忘却の彼方であった。。。(ガックリ)

そこで急いで得意だった一夜漬けで「ハプスブルク家(ハプスブルグ家)」の勉強をしようと思う。
△ハプスブルク家の紋章「双頭の鷲」
 「東西に睨みを利かせてるぞ」という強い意志の表れだという。

650年間ヨーロッパに君臨したハプスブルク家への造詣もない者が、こんな世界遺産のような実物を鑑賞するのは申し訳ないような気がするし、またそうした超一流の芸術家たちへの知識があれば、より深く作品を楽しむことができるだろう。

▽言わずと知れた11歳の女帝マリア・テレジア… アンドレアス・メラー作

マリア・テレジアは20歳から39歳までの間に16人の子どもをもうけたが、末娘がフランス王ルイ16世に嫁いだマリア・アントーニア…マリー・アントワネットだ。
マリア・テレジアの肩書きを聞いただけで、ハプスブルク家がどんなものか分かるだろう。
・・・神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの皇后、オーストリア大公(在位:1740年―1780年)、ハンガリー女王(在位:同じ)、ベーメン女王(在位:1743年―1780年)でオーストリア系ハプスブルク家男系の最後の君主で、実質的に政治を切り回す女帝だった。
形骸化した神聖ローマ帝国(ドイツ)よりもオーストリア大公を継承するハプスブルク家の方が力的にも優位で、帝国の皇后にもかかわらず民衆からも「女帝」と認識されていた。

とか何とか言っても私の平素の浅学は如何ともしがたく……そうした巨匠の第一級の作品群を前にして同じ空気に触れられるだけでも幸せなことかもしれないと、、、ハードルを少し下げておこうかな~(笑)

13世紀に勃興して20世紀初頭までヨーロッパに君臨したハプスブルク家は、戦争で支配地域や領土を拡大するのではなく、巧みな結婚政策によって勢力を拡大し、神聖ローマ皇帝も数多く輩出するなど、右に並ぶものがない名門王家となる。

歴代の王たちは、優れた審美眼と熱意をもって芸術保護に乗り出し、ヨーロッパ美術の真髄を伝える質の高いコレクションを形成した。

△ ディエゴ・ベラスケス作:白衣の王女マルガリータ・テレサ(1656年作)
このベラスケスの絵も有名だ。テレサは叔父に嫁いだ。ハプスブルク家に限らず名門家では近親結婚が繰り返されており、病弱であったり早世する子どもが後を絶たなかった。
テレサも21歳の若さで亡くなっている。

デューラーを庇護したマクシミリアン1世、ティツィアーノを召し抱えたカール5世、多数の宮廷画家を擁したルドルフ2世、ベラスケスを側近としても重用したフェリペ4世、1400点にものぼる絵画を集めたネーデルラント総督レオポルト・ヴィルヘルム大公等々、名だたる巨匠と名画の数々に魅了された王たちの成果は枚挙にいとまがない。
女帝マリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世は、作品を宮殿に移し一般公開を始め、その膨大なコレクションは、ハプスブルク家の威光を示す豪華絢爛さだけでなく、歴史的意義や学術的な質の高さという点でも特筆に値する。

あぁ~明日が楽しみや~ 学生時代もこうした向学心があったらよかったのにな~(笑)
テストのためやない勉強はちっとも苦じゃないってこっちゃ~