東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

慌しく来阪の友・・・

2010-10-25 22:43:34 | 日記
 高校時代の友人SSが細君とともにやって来た。
数十年前に会ったきりの奥さんは25歳と22歳の息子が居るとは思えない若々しさで、太君でなく、あくまでも細君であった…(笑)

ウチは立地条件が良いこともあって、大阪出張など仕事の帰りに我が家へ立ち寄ってくれる友人が多い。。。
今回、SSも仕事(脱サラして数年前からログハウスの企画販売会社を経営している)で四国方面の出張に奥さんを伴って車で移動。帰りに立ち寄ってくれた。

以前にも10分ほど立ち寄って風のように去って行ったことがあるが…ツーカーの仲の1人なので、こっちの対応もあっさりしたもんである。。。
SSと言えば、昔、土砂降りの雨の中をホンダCB750のバイクで東京から走ってきたこともある。泥まみれの服を家内が洗濯して…泊まっていったこともあったな~
今もヤマハのTDM900というバイクに乗っているそうだが…

ちなみに東京の友人でウチでの滞在時間最短記録保持者はカシオで音響関係の技術者をやっているMJの2分30秒の立ち話だ。これはまず破られない記録だろう。
お茶を出す暇もなく家内も唖然としていた。MJも家内とは仲良しで今から数十年前の懐かしい記憶だが、泊まっていった翌日、早朝、早起きして2人でオセロをやっていたのを思い出す。家内もそうだが、やっぱり理科系は変わったヤツらが多いな~と思った。

彼らがのんびりウチに泊まっていったのは昔の話で、社会の中心を担う年代の我々は最近,
ゆっくりと酒を飲む機会も少なくなってきた。
しかし、一杯の酒を飲み交わすでもなく、そうやって様子を見にわざわざ立ち寄ってくれることは心より有難く、私はいつも感謝している。

SSとは今年の3月、赤坂でクラス会をしてから7ヶ月ほどしか経っていないが、私が癌になってからは初めて会うので、向こうも少しは緊張の面持ちでやって来た。

少し痩せた顔を見てから3分もしないうちに彼も自分のペースを取り戻したようだった。
私は火曜日までは休薬期間なので、まだ元気の盛りで良かった(笑)
本日のランチ「和風ピラフ…ポテトサラダと飲物のセット」を2人に食べてもらい、しばらく昔話や子どもたちのことなどを談笑。。。今日は京都の東山あたりに泊まって、明日、東京に帰るとのことだった。

私も治療に専念して健康を取り戻すことと近々また再会することを約束して別れた。

2月に高校時代の共通の仲間のTTが「東京マラソン」の抽選に当たったので応援に行こうという話、、、是非実現したいものだ。。。

修理不能も思わぬ展開で…

2010-10-19 21:18:59 | 日記
 C-81が点滅してディスクトレイが言うことをきかなくなったDVD・CD・MD・カセットにも対応したコンポ、SONYのCMT-M700…
5,6年前に購入した店(ジョーシン電機)へ持ち込んで修理を依頼してから2週間が経過した今日、SONYのカスタマーズセンターから電話が入った。

本来なら8年間は義務付けられている部品が(どうやら基板の1つらしいが)すでに生産を中止していて手に入らないという情けない事態になっているとのこと。
したがって修理は不能という結論らしい。。。

電話越しに「う~ん、困ったな~」と不満を言うと、何と返金をしたいとの申し出だ。。。返金??
確か改装閉店セールの叩き売りの際、4万円程度で購入した記憶があるが、、、
担当者の彼は「お詫びも含めて1万4800円をお返しします」と言う。
ウチに残っているスピーカーも差し上げますと・・・

今になって購入価格の三分の一以上のお金が振り込まれるらしい。まぁラッキーなことだ。
ふ~ん、これだけ時間が経過していても、今は返金してくれる時代なのか???
製品の部品が在庫として8年間は義務付けられているかどうかなんて知らなかったが、
どうやらSONYに非があるというのだから、もらっておこうっと(笑)

電話の切りしな「このお金を足しにしてまたSONYの製品を買うからね」と担当者に言ってやった。彼は最後まで平身低頭でお詫びを言い続けた。
私はそんな彼に免じて、近いうちに約束を果たしてあげようと思った。




幼稚な中国人たち

2010-10-17 14:39:09 | 日記
 「教育は国家百年の計」というが本当である。
反日教育を叩き込まれた中国の子どもたちは可哀相だな~とつくづく同情する。
「こんなしょうもないデモに参加している諸君!!いい加減、世界に目を向けて正しい認識と教養を身に付けなければ世界の笑い者になってしまうぞ!」と言いたい!

 在重慶日本総領事館によると、成都では16日午後2時ごろ、四川省政府近くの広場に学生ら約2000人が集まった。
学生らは「日本製品を買うな」などと書かれた横断幕や国旗を掲げながら、市内のイトーヨーカドーの春煕店や伊勢丹に向けて移動を開始。同2時20分ごろに店舗を取り囲み、「釣魚島を守れ」「日本は出て行け」などとシュプレヒコールをあげた。
イトーヨーカ堂や伊勢丹はウインドウなどに被害を受けて営業停止に追い込まれた。許せん!中国当局も適当にガス抜きをさせる魂胆か、いつになく対応が甘い。ノーベル賞の件も絡んでいるからか??



中国がアピールする尖閣諸島の話は、日本が「上海と台湾は日本領土だ」っていうのと同じである。あまりに幼稚で情けない。
 (一番左が魚釣島)
連綿と天皇を中心とした国づくりをしてきた日本のようにアイデンティティを持たず、国家としての筋道が通ってないのが中国だ。時の権力者の言うがままに立ち振る舞うことを是としなければならない窮屈で偏狭な可哀相な国民だから仕方ないと我慢してきたが、ここらでお灸をすえてやらなければならないと思っている日本人は多い。
(外国のプレスにも「日本では珍しい数千人規模の抗議パレード」と報じられた)


結局、中国首脳部は反日教育などのひどい教育を施し、こうした若者を生んで自分で自分の首を絞めりことに繋がる事実を冷静に受け止めるべきだろう。
隣でバイトしている中国人女子留学生のイーちゃんは、こんな日中のトラブルがあると、「そんなことあったんですか?私はニュース見ないから知らないね~」と、逃げ腰。なかなか賢い。。。私も勿論それ以上は追求しないが、、、
日本もここらで本気で中国と対決したらいい。

 人も金も情報も技術も企業も全部引き上げて中国の代わりなんかいくらでもあることを示さなければいかん。100円ショップにある商品の生産地など、代わりはいくらでもあるが、日本が中国に供与している有形無形のノウハウがなければ、とたんに経済からインフラ整備まで立ち行かなくなる。

中国とはしばらく疎遠でもまったく構わない。経済はしばし沈下しても、日本企業は反中の東南アジア諸国やインドで商売をする。きっとノルウエーは上客になるだろう(笑)
この際、尖閣列島「魚釣島」には米軍の庇護の下に基地を造ってしまおう。そのほうが話は早い。
勿論、領海内に入ってきた船はもれなく拿捕、船員は投獄する。抵抗したら撃沈すればいいのだ。それぐらい脅かしてちょうどいい。後は何を言われようが相手にしないし、メディアも小さくしか取り上げない。
国交もしばらくは断絶に近くなるだろうが、困るのは日本ではなく中国の方だ。

 韓国などは中国人を漁船ごと年間5000人ほども拿捕しているが、全然国際問題にならない。中国も抗議すらしない。韓国人は中国の抗議にまったく耳を貸さないからだ。平身低頭に接すれば接するほど、中国は傘にかかってくる国民性だということを韓国側は熟知している。明日から日本もそういう韓国の外交姿勢を見習うべきだ。外務省や防衛省は韓国人官僚を顧問で雇ったらいい。
 
 弱腰でいるから他人の庭に平気で入ってくる。庭に小さな犬小屋を建てられてしまうと、あとはズルズルその範囲を広げていって、いつの間にか我が家には庭がなくなってしまう。

そんなヤクザ相手には世界の警察を自認する米国と手に手をとって日本は本気で国の財産と生命を守るために戦わなければならない。
世界から無視されて彼らはようやく自分らのアホさ加減に気付くのである。ジャンジャン!

N後援会、暗中模索の日々・・・

2010-10-16 22:34:21 | 日記
 大阪市会議員N後援会総務の立場からというより、N先生の友人として毎日のようにこそこそと打ち合わせをして今後の選挙戦略を描いている私たちは、
今晩も大票田のSI地区の座談会。 
それが済んでから⇒N先生・後援会幹事長・特別参与・青年部長・事務局との会議。


選挙戦は実に色々な段取りを要する総力戦。きちっとした筋書きを納得のいくまで練りに練っていく。

 選挙へ向けた選対組織はまさに人対人、気持ちのいい人間関係の構築が非常に大事になる。議員の意向で既に決まっていることを、さも決まってないように装い、意向に沿うよう幹事らに意見を求めて花を持たせる腹芸も時には必要だし、立場を自覚していただくためにも、とにかく「お顔を立てる」「出番を作ってあげる」こともこの業界では必須だ。
こちらも立ててあちらも立てる…子どものように駄々を捏ねまくる年寄りには閉口するが、まるで介護士になったような気分の時もある(笑)
 
 また、後援会内のことだけでなく、自民党大阪府連との折衝も画を描いていかねばならない。 幸い、党のことは党務に精通したYH特別参与がいるので心強いのだが、今、大阪は維新の会の出現で大変混沌とした政情を呈しているので、これまでの対応では温い。初めてのことなのでまったく気が抜けない。暗中模索といったところだ。

 我が選挙区の自民党府議会議員AHが維新の会に寝返って殺伐とする中、同会から公募によってN先生の対抗馬を立てるなど、今回の選挙は大荒れの感が強い。
また、選挙区の自民党支部長をしているのがそのAHの実父で元府議会議員のAMである。 
捨て台詞を残して出て行ったAHの父親だ。当然、速やかに辞任するものと思っていたのだが・・・特別参与のYHさんが首に鈴を付けに赴いたが、向こうもなかなか強情である。
大阪府連も上から毅然とした態度で臨んで欲しいのだが、軟弱なオカマのような対応で非常に心もとない!
したがってその件も現在、AMを支部長の座から引きずりおろして新支部長にN先生を据えるべく、様々なオペレーションをしている最中である。

そして人間関係を無茶苦茶にしたAHには自民党から新たに公認候補を逆刺客としてぶつけていくというミッションもある。AHは維新の会を嫌う公明党からもこれまで票を貰って安定した戦いをしてきたが、新たな自民候補が従来通りに公明党と組めれば活路はあるはずだ。現在、水面下で候補者を調整中だ。。。
その辺もこれからのことだが、、、とにかく選挙までの半年間は問題が山積しているので、一つひとつ丁寧に根気良く対処していかねばならない。

結果的に良いか悪いかは別にして、政治の世界をさ迷っていると私自身、抗がん剤治療をしている半病人ということをすっかり忘れてしまっている。。。
でも時々、自分で無理をしているな~と気付くときがあるので、寝込まないように体調への注意だけは怠らないようにしていきたい。。。

 

「龍馬伝」の岩崎くんより本物は断然凄かったのでは…

2010-10-13 21:29:41 | 日記
 福山雅治と真木よう子の夫婦愛や激動の幕末を史実に適当に則って人気を博している「龍馬伝」…このブログを閲覧してくれている人も見ている人が多いのでは??
私も何となく見だしたらついつい続きを見てしまう、、、今ではファンである。。。

その「龍馬伝」で脚光を浴びているもう一方の軸が香川照之演じるところの岩崎彌太郎<天保5年12月11日(1835年1月9日) - 明治18年(1885年2月7日)>…
現在まで続く日本最大最強の財閥グループ「三菱」の初代総帥である。
この財閥・・・まさに「華麗なる一族」である。知れば知るほど面白いので、ちょっとだけ研究をしてみた。
 三菱と冠が付かなくても三菱グループの会社は日本郵船・東京海上日動火災保険・明治安田生命・キリンビール・ニコンなど想像以上にたくさんある。
「金曜会」と名付けられて28社あるというが、社内報にさえ写真が載ったことがない。
何となく秘密めいているのである。。。誰か何をしているのか知らない??

 さて、土佐の下級藩士に生まれた岩崎彌太郎は、幕末の動乱の中、土佐藩開成館長崎商会に主任として赴任。土佐の特産品売買や武器の輸入にあたり、藩の実力者・後藤象二郎に才覚を認められる。
TVでは龍馬の仲介を求められるが、あれは脚本だ。
貿易商のグラバーも維新後は倒産の憂き目にあったが、三菱の顧問に迎えてもらった。
グラバーは高島炭鉱を持っていたが、その後、炭鉱が後藤象二郎に渡り、三菱が買い取ったという縁があった。

この後藤象二郎はTVでもしつこいくらに放映されていたが、土佐勤皇党の指導者的存在で坂本龍馬や岩崎彌太郎などと懇意だった武市や森以蔵を処刑に追い込んだ張本人であった。これは確かなことだろう。

明治4年の廃藩置県で借財もろとも土佐藩の資産を引き受けた彌太郎は、土佐藩主山内家の三つ柏に擬して三つ菱の印を作った。彌太郎は公(藩)のために働く気持ちを強く持っていたようだ。私利私欲に走らなかったいいヤツなのである。 資料によれば現在の登録商標スリーダイヤになったのは大正3年のことで、それまではこの岩崎家の家紋「三階菱」だった。

その後、弟の彌之助の義父になった後藤象二郎や大隈重信ら元勲を後ろ盾に三菱は急成長。
その象徴が、明治8年に政府より下された「第一命令書」。
政府の汽船13隻を無償で三菱に払い下げる代わりに、郵便物の託送を引き受け、政府の命による航路開設に応じるなどして業績は活性化した。

しかし後藤の破産、大隈重信の失脚に「三井の大番頭」と揶揄された井上馨をはじめとする長州勢の巻き返しも始まる。そうか、、、三井は長州だったんか~

二代目総帥の彌之助が松方正義大蔵大臣から「誰も引き取り手がないから買ってくれ」と、強引に押し付けられたのが、今の丸の内一帯の11万坪の土地だった!!価格は128万円。皇居の傍のあんな一等地も当時は僻地だったのか?? 今の128万円じゃ畳一枚分も買えない土地ぜよ!!

彌之助の奥さんは後藤象二郎の長女早苗で、その子ども小彌太は四代目総帥に。
三代目総帥は彌太郎の長男久彌だった。明治26年に28歳でその座に就いた。製紙会社やビール会社を設立させた。 ちなみに、彌太郎の長女春路は第24代首相加藤高明に、四女の雅子は第44代首相幤原喜重郎に嫁いだ。

四代目の小彌太の時代になると、飛行機、電機、自動車、化学などに進出して、国家的事業の至る所に三菱は躍り出る。

ゼロ戦の設計でも欧米に名が轟いた三菱は終戦時には軍国主義の象徴としてGHQから真っ先に標的にされた。
財閥解体令が出されて三菱銀行から運び出された証券の膨大さに国民は度肝を抜かされる。解体前の三菱財閥の総資産は現在の価値で100兆円!を超えていた。
国家予算よりすごいぜよ。

彌太郎が終の棲家としたのは現在の台東区池之端。全部で20棟あったうち3棟現存する。
江東区にある清澄庭園も彌太郎が1880年に大名屋敷を改造して社員の慰労所や貴賓の招待所として整備したという。
驚くべきは文京区にある六義園(1695年、第5代将軍徳川綱吉の御用人、柳沢吉保が造った壮大な回遊式築山泉水庭園…も明治時代に彌太郎の持ち物で、新婚の久彌が住んでいたという。
1899年からはその久彌の持ち物だったのが今もある小岩井農場。共同創始者の小野義真(日本鉄道会社副社長)、二代目総帥の彌之助、井上勝(鉄道庁長官)の三人の頭文字から名づけられた。

 
激動の維新で、大名家から宝物が売りに出されて、その多くが財閥関係者の手に落ちた。
。。国宝・曜変天目茶碗(三代将軍家光の乳母・春日局から実家・稲葉家に渡った。世界に三つしか現存しない曜変の名碗。  例の松永久秀が織田信長に献上して一国一城を安堵されたという、「大名物 付藻茄子(つくもなす)茶入」も彌之助が購入。本能寺の変後に秀吉、家康と渡った天下人の茶入だ。
。。右は国宝・源氏物語澪標図屏風。
宝物は数限りなく…岩崎文庫にはマルコポーロの東方見聞録や国宝「史記」なども。。。

三菱の縄張り丸の内二丁目にある「三菱一号館美術館」ではカフェを楽しみながら往時を偲ぶことができる。

あ~、、、しかし東京に住んでいたとき、私はいったい何をしてたんやろ??
実際にこの目でいろいろ見聞してみたいものだ。。。

退院後お初 焼肉屋さんへ…

2010-10-08 14:55:00 | 日記
 今月号の原稿も異例の速さで?仕上がって、、、ちょっと開放感~
そこへ敬愛するYさんからお誘いが…
昨夜はM社長、家内を入れて4人で焼肉屋へ出かけた。

いつも行っていたお気に入りの店である。何ヶ月ぶりだろうか・・・半年??
とにかく退院してから暖簾をくぐるのは初めてだ。
果たして焼肉を美味しく食べられるのかどうかも分からないが、タクシーでワンメーターの場所にある「S亭」へ。    古家風の外観も内装も変わっていない。いつもの2階の座敷へ。。。

あまり油の多い部位は避けて、塩タン、ヒレ、ミノのそれぞれ上等なところを注文した。
飲み物はビールは我慢して、芋焼酎の湯割をチョイスした。

退院後初めての焼肉、、、不安もあったが少しずつ食べてみる。。。
「うんま~い!!!」食べた瞬間、全身に力が漲るような気がした。勿論それは錯覚であるが、こういうものを食べないと遊びたい盛りの過ぎた人間にもパワーはつかない。
ミノは心配だったが全然大丈夫だった。
  
ナムル盛り合わせやキュウリキムチ、最後に温麺も少し分けてもらったが、何の問題なかった。中間全快祝い(これから何回もあるようで楽しみ…笑)ということで、Yさんが驕ってくれた。。。謝々!!
何事もなく食事ができた安堵感と満腹感と酔いも加わり急に眠たくなってきたが、二次会に「Tちゃん」へ行こうということになった。
私は整腸剤と免疫増強剤は持参していたが、抗がん剤は持って来てなかったので一回帰宅することに・・・

遅れて来店すると、この不景気にもかかわらず「Tちゃん」は顔見知りで賑わっていた。

好き勝手にカラオケを2、3曲歌いながら、へネシーの薄い水割りを飲む。全身の筋肉が弛緩していくのが分かる。
気の合う人たちとの語らいの時間はとてもリラックスできるものだ。

こうやって、みんなに支えられながら少しずつ術前の状態に戻りつつある手ごたえを感じさせてもらっている。
本当に有り難い事やな~と感謝しながら、Tちゃんの作ってくれる薄~いブランデーの水割りを3、4杯、、、私自身、いつになく良い調子で夜もふけていく。。。皆で重い腰を上げたのは午前になりかけだった。

外に出ると夜風もすっかり涼しくなっていた。 あ~季節はすっかり秋なんやな~。。。

第7クールへ・・・

2010-10-06 16:00:47 | 日記
 昨日は総合医療センターへ6週間ぶりの定期検診へこの日は朝9時半に担当医の診察。1時間前には血液検査とレントゲンを済ましておかねばならない。。。。


8時にはセンターへ到着。血液検査は25人待ちでまだ空いていた。

 血液検査の結果は相変わらずの貧血だった。これだけはしばらく我慢しなければならないようだ。
白血球の値も低いので感染症には要注意だろう。体重は67.6キロとややアップしていた。
担当医からは「体重はあと少なくともあと3~4ヶ月、減少傾向か」と。。。
癌再発の指標となる腫瘍マーカーは多少の上下はあるもののCA19-9もCEAも基準値内でホッとする。
炎症反応などのCRPの数値も問題ないようだ。。。
とにかくまた6週間後に検診だ。その前に「造影CT」の検査も入った。

帰りにいつもの薬局で抗がん剤TS-1と免疫増強剤クラリチンを処方してもらう。支払いは4万円を超える。地元に帰ってかかりつけのT医院にデータを渡して消化剤の処方を書いてもらい、また近所の薬局へ。。。癌になるといくら保険に入っていても医療費が嵩むのである。
2人でミナミのスナックでへネシーをキープしてカラオケを歌って、帰りにラーメンを食べてタクシーで帰る感じか(笑)
百戦錬磨のホステスの笑顔と化粧の匂いの変わりに、ウブな薬剤師の笑顔と消毒液の匂いがまとわりつく。。。もうミナミへ出かけて若い娘たちと遊びたいとも思わない。
私と年相応でインテリジェンスのある方と飯に行くのは拒む理由はないが…
体の調子を考えると、最近はすべて億劫になってしまう(イカンイカン!!)

まぁ仕方ないな~と大きなビニール袋に入った薬の山を携えて帰宅する。。。
明日から抗がん剤治療も第7クールへ突入だ。慣れというのはすごいもので、色々の副作用の出現にもあまり驚かなくなって冷静に対処できるようになった。
手探り半分、開き直り半分だ。

5日、6日と連休をとったので、経済新聞10月号の原稿はみっちり腰を据えて2日間で仕上げるつもりだ。
家内は民生委員の仕事で今日・明日は外出気味。

昼下がりに一通りの段取りといくつかの原稿を仕上げて、1人御飯を食べに馴染みの中華料理屋「N北京」へ・・・
ママと冗談を交わしつつ熱燗をやりながら餃子とタールー麺(あんかけのチャンポン麺)を食す。。。
しかし、、、すきっ腹にお酒を飲んだからか???家に帰ると激しい動悸に襲われて…
「原稿書きの配分が狂ってしまう!」ともがきながら…そのまま居間で横になり意識が無くなった。。

11時ごろ家内が帰って来て目が醒める。もうドキドキしてないが、すっかり意気消沈、、、今晩はそのままシャワーを浴びて眠ってしまうしか、もはや選択肢がなかった。。。
いくらでも眠れるのが良いのか、悪いのか分からないが…
折角の秋の夜長でもある。まぁいいか~。

「大阪都構想」はとっても時代遅れ・・・

2010-10-04 23:22:33 | 日記
 これから我がN後援会と戦っていく「維新の会」、、、橋下知事が掲げる目玉として「大阪都構想」が上げられる。

橋下知事は「市と府の二重行政」を問題視している。おまけに東京都の猪瀬直樹副知事や名古屋の河村たかし市長ら橋下応援団の面々や、何故か堺屋太一氏なども知事に賛同。二重行政の弊害を訴えて、「ワン大阪」「府市あわせ」と唱える橋下知事の「大阪都構想」は、あたかも正論のように聞こえる。。。
しかし何かおかしい。。。果たして「大阪都構想」とは何か、その本質が大阪市民に伝わっているとは到底思えない。

 大阪都構想は東京都をモデルにしている。東京都23区に倣って政令市である大阪市と堺市を中心に有力市を合併、再編。人口30万人程度の20の特別区を置くというものだ。

現在、大阪市にある24区は区議会もなく、市長が任命する大阪市職員が区長になっているが、新たな特別区では議会を設置し、区長は選挙で選ぶ。区長の自主権強化が橋下知事の構想だ。

元はといえば、地方分権をスローガンに掲げる道州制論者として売り出した橋下知事は、「もはや大阪府は必要ない」と知事就任当初から言い放ち、関西州の設置を目指すとしてきた。それが何故、唐突に大阪都構想になったのか疑問だ。
そこを突かれると、道州制へ移行するためのステップだと言い張る。
道州制も大阪都もいずれも地方分権のための構想であるが、2つはまったく別物であるということに矛盾は感じないようだ。口八丁な知事の詭弁に我々市民は愚弄されている。非常に不愉快である。

 中央主権による地方の疲弊が顕在化してきて、基礎自治体である市町村を自立させ活性化する…これが所謂、地方分権だ。その基礎自治体の自立のため、かつて府や県だった広域的団体から道や州のようなもっと大きな範囲に見直していこうというのが、道州制である。

市町村の自主独立といっても、近隣の一定範囲における行政サービスの統一性は求められるわけで、それは都道府県という単位でやってきたのだが、その役割がここへきて変化してきた。分かりやすく言えば、都道府県単位で所管してきた鉄道や道路などのネットワークはもはや対応できなくなっている。その統一システムをどこに置くかというところで生まれてきたのが道州制である。
つまり、大阪都構想と道州制では根本的に概念が異なるのである。
道州制からいえば、当初の橋下知事の「大阪府不要論」は正しい。だが、府単位の行政である大阪都構想は、時代遅れの産物ともいえるし、彼のこれまでの考え方とも矛盾する。
おまけに、大阪都構想が東京都をモデルにしていると聞いて愕然とした。まさに時代に逆行しているからだ。
 
モデルにされている東京では、現在の「特別区」については廃止すべきだという議論さえある。
東京都は戦時下の1943年、東京府と東京市で行政機能が分かれていると、連合国側の襲撃に即応できないという理由で統合され、それが今に至っている。特別区とは時代の産物の話なのである。
23の特別区には当然、格差が生じており、下町の財政は都心に支えられている。例えば区から市になりたいと言っている千代田区などは、3500億円もの固定資産税が見込めるが、それは都に吸い上げられ分配されるわけで、実際の固定資産税収は二桁も減る。

結論として橋下知事の「大阪都構想」は、彼の思いつきでしかないのかもしれない。
市民にとって何一つ良いことのない、極めて危うい政策といえることだけは間違いないだろう。

言いたい事はたくさんある。。。多くの市民がただ盲目的に橋下人気に乗せられている、、、半年後の選挙ではこんな会を躍進させる愚を犯さないように市民に訴えていくのがN先生をはじめ、良識ある大人の務めなのかもしれない。