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日大豊山水泳部 活動日誌

インターハイでの総合優勝を目指して、日々練習に励んでいます。

日大豊山水泳部の歴史 9

2017-10-21 13:44:53 | トピックス

昭和60(1985)年、中学時代からオリンピック選手として活躍した渡辺健司氏が入学し、高校1年生からインターハイで活躍した。

100m・200m平泳ぎで優勝、リレーでも活躍し、男子総合第2位に貢献した。

高校2年生のときには日本選手権で優勝、世界選手権・アジア大会の代表選手として選出された。

昭和61(1986)年のソウルで開かれたアジア大会では200m平泳ぎで優勝している。

その当時、男子チームコーチとして井上先生が帯同し、男子は15種目中、11種目で優勝、日本記録も多数樹立された。

その後渡辺氏はオリンピック選手として、昭和59(1984)年のロサンゼルス大会、昭和63(1988)年ソウル大会に出場し、平成4(1992)年バルセロナ大会では200m平泳ぎで第7位に入賞した。

競泳の日大豊山水泳部関係者でオリンピックに3度出場した選手は、渡辺氏だけである。

 昭和61(1986)年は、2人のインターハイ優勝者を輩出した年である。

400m・1500m自由形で優勝した遠藤昭一氏と100mバタフライで優勝した磯英仁氏である。

磯氏のご子息である桜一朗君が平成29(2017)年現在、日大豊山高校1年に在籍している。

桜一朗君は中学校3年生の時に全国中学校大会に400mリレー選手として出場し、日大豊山中学の総合第2位に貢献した。

左から2番目が桜一朗君。

 

昭和50年代からスイミングクラブの活動が活発となり、昭和58(1983)年から平成7(1995)年まで近畿大学付属高校がインターハイ13連覇を続けた。

その間、日大豊山は学校水泳を継続し、総合第2位・第3位を守り続けていた。

平成元(1989)年には100mバタフライで渡辺諭氏が優勝、野村英司氏が第2位、翌年には野村氏が100m・200mバタフライで優勝した。

平成8(1996)年には総合第5位となったが、その悔しさは翌年からの三連覇につながることになる。

第9回終わり

竹村知洋

 

 

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