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日大豊山水泳部 活動日誌

インターハイでの総合優勝を目指して、日々練習に励んでいます。

柳本選手のこと

2024-03-28 08:29:33 | トピックス
柳本選手の印象は「爽やかな好青年」です。
いつも笑顔でニコニコしています。
身体的な特徴としては、「身体が丈夫」なことです。
柳本選手はとても強い骨格を持っており、力強い泳ぎをすることができます。
柳本選手は高校2年生の夏頃からメキメキと力をつけ、高校3年生の時に東京オリンピック代表となりました。
私にとって初めての現役高校生のオリンピック代表選手です。
当時はコロナ禍で休校が繰り返されていたため、静かな学校内でオリンピック選考会に出場する数名だけが熱い練習をしていました。
東京オリンピック前の2か月間は国立スポーツ科学センターで合宿をしており、マスクをしながら合宿施設周辺を二人で散歩していたことや夜にアプリで英語を勉強していたことを思い出します。
柳本選手は今回の選考会で、オリンピック2大会連続の代表選手となりました。
来年は大学3年生ですので、まだまだこれからの成長が期待できます。
日本水泳の自由形の中心選手として活躍することを願っています。







高校時代の柳本選手です。

竹村知洋










谷口選手のこと

2024-03-28 07:41:54 | トピックス
一言で表せば、「男」です。
「オス」といった方が近いかもしれません。
最近の男子には珍しいほど、「男」としての「強さ」を持っている人物です。
高校時代は1年生の時から3年間、インターハイの個人種目、リレー種目で大活躍し、総合優勝に貢献してくれました。
味方になればこれほど頼もしい選手はいません。
エネルギーあふれる谷口選手と過ごした高校3年間は、コーチとしてもかなりのパワーを要しましたが、平泳ぎに関して多くのことを学びました。
ある水泳コーチから言われたのですが、私と谷口選手とのやり取りは、周りからみるとまるでケンカをしているようにもみえたようです。
昨年度谷口選手は久しぶりに東京都の国体代表選手となったので一緒に過ごす時間が多かったのですが、大人になった谷口選手は、よりパワーアップをしており大変頼もしく感じました。
谷口選手は豊富な人生経験を積み重ねており、数々の「武勇伝」があります。
その「強さ」のあらわれが、今回の国際大会選考会の最後のタッチだったのでしょう。
パリ五輪は谷口選手に似合っています。
谷口選手のオリンピックでの活躍を期待しております。









高校時代の谷口選手です。

竹村知洋

バランスの大切さ

2023-11-01 18:11:24 | トピックス
最近特に感じているのが、「バランスの大切さ」です。
水泳では、左右のバランスが崩れている選手が多いように思います。
バランスの悪さは本人では気づきにくいため、第三者が指摘しないとますます崩れていきます。
一度バランスを崩してしまうと直すのに時間がかかりますし、故障の原因にもなります。
バランスを崩している理由は、幼少期から同じ動きを続けているために生じているのではないかと考えます。
例えば、1種目だけを泳ぎ続けたり、FRの呼吸を片方だけで行うことなどです。
小中学生の時は水泳以外のスポーツに取り組んだり、水泳では4種目をまんべんなく泳ぐことなどでバランスが改善できるのではないでしょうか
スポーツと学習のバランスも考えられます。
学習の大切さは言うまでもないことですが、ただ試験でよい点を取るだけであったり限られた分野だけの勉強では、「物事の考え方」のバランスが崩れるように思います。
できるだけ多くの分野の本を読み、考える力を養うことでバランのよい考え方につながるのではないでしょうか。
また人間関係のバランスもあります。
最近は情報ツールの発達でオンライン会議が増えています。
私も1週間に2~3回はオンライン会議を行っていますが、結論が出るまでに長い時間を要しています。
近年注目されているマルクス・ガブリエルというドイツの哲学者は、情報ツールに関してただちにソーシャルメディアをやめるべきであると提言しています。
その理由はソーシャルメディアでは他者と分かち合うことは難しいからです。
人間は言葉だけではなく、言葉以外(表情やしぐさなど)でもコミュニケーションをとっています。
私も大事なことは直接会って対話すべきであると考えています。
現代の人間関係はソーシャルメディアに支配されているといっても過言ではありません。
たまにはスマートフォンやパソコンを触らないでじっくり本を読んだり、いろいろな人と直接話をする日があってもよいかもしれません。
















竹村知洋










スイミングクラブ参加の全国中学をみて

2023-08-26 09:57:11 | トピックス
今年から全国中学校大会に民間クラブチームの参加が認められるようになりました。
得点を集計しての学校対抗が廃止され、個人・リレーで順位が出るだけの大会となりました。
私は全国中学大会に行っておりましたので、これまでの大会との違いについて感じたことをまとめてみます。
まず最初に感じたことは、メドレーリレー参加チームの減少です。
特に女子のメドレーリレーの参加チームは、9チームだけでした。
組数は2組で決勝進出チームは8チームですから、予選落ちするのは1チームだけです。
コロナ前の2019年の大会に参加していた女子メドレーリレーのチームは、4組で35チームでした。
今年の女子メドレーリレーの参加チームは激減しています。
男子のメドレーリレーは2019年が39チーム、今年が23チームで、これも大幅に減少しています。
一方、女子のフリーリレーは今年50チームが参加しており、以前よりも増加しています(2019年の参加チームは、31チーム)。
男子フリーリレーは2019年チームと今年はともに25チームでした。
2019年と今年は競技順序の違いもあり単純に比較はできませんが、フリーリレーに比べてメドレーリレーの参加チームが減少していることは男女ともに共通しています。
これの意味することを考えると、やはり学校対抗を廃止した影響が出ているものと想像できます。
フリーリレーは大会初日で個人種目が少ない日に予選があるのですが、メドレーリレーの予選は二日目の昼頃に設定されており、個人種目の予選と決勝の間にあります。
つまり、個人種目に参加する選手がメドレーリレーの予選に出場することで、身体の負担が大きくなるわけです。
これまでは学校対抗があれば多少の無理をしてでもメドレーリレーに参加していたチームも、個人種目に集中したいという理由で都道府県大会の段階から参加していないケースが考えられます。
来年以降、さらに参加チームが減少し8チーム以下になれば、予選のないタイム決勝となることでしょう。
次に感じたことは、チームとして参加することの意識の低下です。
これも私たちのように学校対抗で勝利することを目標にしていた学校だからこそ、それを強く感じるのかもしれません。
リレーに参加するということは競技日程がタイトになり、身体もきついのですが、チームという意識がそれを支えているといえます。
そのきつさに耐えるために練習するという意識も生まれてきます。
今後予想されることは、個人主義的な意識がますます強くなり、個人種目に参加する選手がいるチームはリレーに出なくなるのではないかということです。
個人種目に参加しない選手だけでリレーを組むことになれば、リレーのレベルは下がる一方でしょう。
そもそもリレーの全国大会の参加標準記録が切れなくなることも考えられます。
このままではいずれ、全国中学はリレー種目のない個人種目だけの大会となり、ますますチームとしての取り組みが失われていくことでしょう。
このような流れが高校にも及ぶことを想像したくはありませんが、いずれその時が訪れることも考えなければならないと思います。
水泳は基本的に個人スポーツですが、チームとして取り組むことによって練習にも活気が出て、大会への意気込みも増すものですが、それも失われていく可能性があります。
これから日本のスポーツはどのような変化を遂げていくのでしょうか。



竹村知洋





インターハイ6連覇 御礼

2023-08-25 10:31:40 | トピックス
この度、6大会連続でインターハイ男子総合優勝を達成できましたことに関して、関係者ならびに応援してくださった多くの皆様方に厚く御礼申し上げます。
本校水泳部のような部活動を継続するにあたって、学校関係者はもちろんのこと、保護者、OBの皆様方や東京都水泳協会のご理解やご協力は欠かせません。
近年、東京都内の高校ではスポーツ推薦やスポーツクラスが次々と廃止されております。
特に水泳は多くの選手がスイミングクラブで練習しており、本校のように「学校水泳」で活動している学校は、全国的に見てもかなりの少数派です。
ましてや男子校となると、全国で活躍している学校としては私の知っている限り、日本で唯一であると思います。
つまり日大豊山高校は、日本で「学校水泳」を継続している最後の男子校ともいえます。
このような活動が実現できているのも、ひとえに日大豊山水泳部を支えてくださっている多くの方々のおかげです。
最近は働き方改革や部活動の地域移行、全国中学へのクラブチームの参加など時代の流れとともに様々な変化がもたらされています。
今まで継続してきたことをやめるのは容易いことなのですが、継続していくことには大変な苦労が伴います。
現在の私の役目は日大豊山水泳部を次世代へ引き継いでいくことであると考えており、昨年に引き続き、今年のインターハイの総合優勝は安村や野本、森重といった20代・30代の若手教員が成し遂げました。
また水泳部は、全国大会で活躍する選手ばかりでなく、多くのBチームの選手が在籍しており、それぞれの水泳部スタッフが役割分担しながら活動を行っています。
「学校水泳」を通して、学習と水泳の両立、部活動内での人間関係の構築、卒業後のOBとしてのつながりなど部活動ならではの貴重な経験を得ることができます。
時代の変化は激しいですが、安易に流されず、これまでの活動を続けていくためには多くの皆様方の支えが必要となります。
今後とも日大豊山水泳部を何卒よろしくお願い申し上げます。

竹村知洋






部活動体験会

2023-08-03 14:23:33 | トピックス

本日、部活動体験会を実施致しました。

日大豊山中学校・高等学校では、各部活動で体験会を実施しております。

水泳部も例にもれず数回行っております。

本日は中学生12名がB①チームの練習に参加し、実際に普段B①チームが行っている練習メニューをこなしてもらいながら豊山水泳部の雰囲気や活動の一端に触れていただきました。

次回は8/26(土)にクラブフェア―を実施予定です。

以上

 

近藤恭一


多様性の尊重

2023-08-03 09:25:50 | トピックス

日大豊山高校・中学は、それぞれの生徒の「多様性」を生かすことが特色であるといえます。

最近は「水陸両用の光永君」が話題となっていますが、水泳部には独特の個性を持った生徒がほかにも沢山います。

その例として挙げるなら、「兼部」・「外部での習い事」です。

Bチームのなかには、水泳部以外の部活動や生徒会、外部で別のスポーツを習っている部員が少なからずいます。

これも「二刀流」と言っていいのではないでしょうか。

現在は、理科部、生徒会、外部で柔道、剣道を行っている選手がおります。

指導者である私も水泳を行いながら武道を習っております。

日々の学校生活を送りながら、隙間に文化活動、学校行事、各自の興味のあることに積極的に参加しております。

特にBチームは、「水泳を楽しみたい」、「泳げるようになりたい」、「速くなり上を目指したい」などの様々な思いを持った集まりです。部活動以外に「兼部」「習い事」を禁止するようなことはしておりません。

まだ10代、中学生、高校生のうちから1つに絞る必要はありません。

様々なことを経験し、糧にしてもらいたいと考えています。

「知は力なり」「最上の証明とは経験である」

社会科講師である私が好きな哲学者フランシス・ベーコンの言葉です。

これは豊山水泳部の教え、その28「経験は力なり」でも示しております。

https://www.buzan.hs.nihon-u.ac.jp/seitokai/club_org/swim/introduction/tradition.html

最近、ジブリ映画のタイトルともなり、再度注目されている吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」。

いまの大人だけでなく、学生にこそ考えてもらいたいことでもあります。

是非学生のうちから様々なことを学び成長していってもらいたいと思います。

以上

 

近藤恭一

 

 


「君たち、どうする?」

2023-07-15 20:29:43 | トピックス

小野田寛郎さんの言葉です。

小野田さんの『自然塾』では基本的なことや禁止事項だけを教えて、あとは自分で考えさせるそうです。

それが「君たち、どうする?」という問いかけの言葉です。

学校では1つの正解が出ることを教えていますが、世の中に出たら正解のないことばかりです。

わからないことがあっても自分で考えるしかありません。

言われた通りにやっているだけであれば、ただの操り人形になってしまいます。

最近では大会前の自由練習や大会当日のウォーミングアップすら何をやってよいかわからないという選手が多いです。

何年間も水泳をやってきたにもかかわらずその状態ということは、自分で自分の調子も整えることができないということです。

かつては自由練習になると嬉しかったものですが、最近は不安になる選手が多いようです。

それでは将来困ることになると思い、最近はあえて大会前日に自由練習にすることがあります。

フォームのことなどで聞かれたときにも、自分ではどう思うか、と問い返すこともします。

私にもわからないことは多いので、そういう時は一緒に考えて解決策を見つけるのです。

それでうまくいかなかったとしても、次は少しでもよくなるように、また考えるのです。

失敗や挫折の経験は辛いですが、成長のためには必要なことだと考えます。

取り返しのつかない失敗はいけませんが、一生懸命考えれば、それなりに何とかなるものです。

問題が100%解決することなどほとんどないですが、まったく解決しないよりはましだと思っています。

失敗しないように、何でもかんでもやってあげていては、いつまでたっても成長しません。

失敗を1度も経験せずに、ずっと成功し続けた人などいないはずです。

自ら考えず、何度言ってもわからなかったり、言うまでもないようなことができないのであれば、失敗から学ぶしかありません。

小野田さんのように、国家の命運や自分と仲間の生死をかけた過酷な経験に比べれば、学生時代の受験や水泳大会での失敗など、転んでできた"かすり傷"のようなものです。

「君たち、どうする?」

小野田さんの言葉は、自分が問いかけられているようで、恥ずかしい気持ちになります。

小野田さんの本を読むと、いかに今の自分が恵まれているか、自分の頑張り方が足りないかを思い知らされます。

最初の本の写真と比べると、同じ人とは思えません。

戦場の過酷さが伝わってくる、「鋼の心」を持つ男の顔です。

 

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 


「シャボン玉のような心」

2023-07-14 07:29:38 | トピックス

かつては弱い心を「ガラスのような心」と表現していました。

そのうち「ガラス」ほど強くないなと思い、「風船」のようだと思うようになりました。

今は「シャボン玉」です。

ちょっと風が吹いただけで割れてしまいます。

先日、あるお医者さんと話をする機会があったのですが、今の日本は弱くても生きられる社会になっているということです。

暑ければクーラー、寒ければ暖房、のどが渇けばミネラルウォーター、わからなければAIが答えてくれます。

お医者さんが絆創膏で十分だと思うほどの軽いかすり傷でも親は子どもを病院に連れてくるそうです。

最近の競泳選手が耐えられる水温はせいぜい2~3℃の範囲で、27℃では寒いと言い、31℃では熱いと言うので、常に28~30℃に保たれています。

学校ではいじめの調査を毎学期実施し、あだ名で呼ぶことや不用意に触れることさえ気を付けるようになっています。

どこかに行くにも何をするにしてもスマートフォンの情報に依存し、なくなるとどうしてよいかわからず不安に陥る子どもも多いことでしょう。

子どもを守ることは大切なことですが、これでは弱くなる一方であって、大人が子どもを弱くしているようなものです。

鍛えて強くするという考えは見当たらず、子どもの将来を考えるとむしろ無責任であるようにも思えてきます。

文部科学省の考え方に縛られず、徹底して身心を鍛え上げる学校があったら、意外に人気が出るのではないでしょうか。

「我慢する」という言葉は、すでに死語となっています。

どんな理不尽なことにも耐え、自分の頭で物事を考えられる、「鋼(はがね)の心」をもつ子どもであれば、将来どんな分野でも力強く生きていけるはずです。

産業界も、ただテストで点数が取れる「シャボン玉のような心」の人よりも、「鋼の心」をもつ人の方を評価してくれるような気がします。

かつて小野田寛郎さんは終戦後もフィリピンのルバング島のジャングルで戦い続け、生還致しました。

小野田さんは最強の鋼の身心を持つ人物です。

小野田さんは心身ともに強い青少年を育成するために『自然塾』を開き、その志は現在も受け継がれています。

https://onoda-shizenjuku.jp/

小野田寛郎 略歴

(一般財団法人 小野田記念財団HPより)

たまにはスマートフォンなしの生活をしてみるというだけでもよいのではないでしょうか。

 

竹村知洋

 

 

 

 


自立=自分の頭で考えること

2023-07-13 13:21:55 | トピックス

最近読んだ本が池上彰氏の『なぜ、いま思考力が必要なのか?』(講談社+α新書)です。

色々な物事に対して、よく考えることの大切さを伝えている本です。

その中で「自分の生き方や常識を見直す「問い」の立て方」という1節があり、「若者の意識調査の裏に「過保護な親」問題が」という項目があります。

要約すると、日本人は欧米と比較して子どもが大人になりきれておらず、その原因が「親の過保護」にあるということです。

池上氏によると、子どもが自分でものを考える力が育たないのは、親が口を出しすぎるからだ、ということです。

池上氏は大学の入学式に親が来るということに驚いていますが、今や大学どころか会社の入社式にも来る親がいるそうです。

過保護な親のもとで、強い子どもが育つはずがありません。

今の日本では18歳には成人になりますから、親は保護者ではなくなります。

少なくとも高校3年生になるまでに、子どもが自立するような強さを身につけてあげることが必要です。

私にも子どもがいますので実感しているところですが、子どもが親の希望通りに育つことはほとんどありません。

特に男は、年齢とともに親から離れていくのが普通です。

親だからといって、子どものことを何でもわかっていると思うのは危険であると考えます。

教員をやっていて感じることは、親が見ている子どもの姿と教員が見ている姿が違うことがよくあるということです。

学校は「公」の場ですから、家庭の「私」の場で見せている姿とは違うのです。

「親」という字は、木のうえに立ってみると書きますが、語源を調べるとどうやらそういう意味ではありません。

「親」は「辛」と「木」と「見」を組み合わせた形で、先に亡くなった父母の位牌を拝むことを示した文字だということです。

親は子どもより先立つものであり、そのあとに子どもは社会の荒波のなかで強く生きていかなければなりません。

水泳部のHPの「55の教え」の最後に「あの言葉この言葉」シリーズがあり、番外編として「なぜ一番にならない」があります。

https://www.buzan.hs.nihon-u.ac.jp/seitokai/club_org/swim/pdf/words_sup.pdf

このなかに登場する「山地元治」の母親のような厳しさは現代的ではありませんが、親が子どもにこれぐらい厳しければ、子どもはとても強く育ち、将来社会人として立派に生きていくことは間違いありません。

「考える作業」というのは、とても疲れるものです。

大抵の人は単純に答えが出ることを好み、自分で責任を取るのは嫌なものです。

大人になるということは自由が増える分、自分の頭で考えて、自分で責任を取ることを意味します。

池上氏が示唆していることは、子どもが自分でものを考えられないのは親の過保護の影響かもしれないということを、親自身が考えるべきだということです。

 

竹村知洋