文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

■「グレン・グールドは語る」を読んで、断片的にメモしてみた。

2013年01月05日 17時24分34秒 | 音楽
ハイドンのピアノソナタを収録したピアニストは、そんなに多くない。
このラストソナタをまとまって録音してるのは、グールドのほか、ブレンデルを思い出すが、
他は、リサイタルで数曲演奏したバックハウス、リヒテルも数曲ある。ぼくは、グールドでは、
「バード&ギボンズ作品集」とハイドン集をもっとも好む。一聴、バッハのようではあるが
バッハとは違う。湿り気はなく、可憐で瀟洒でもある。都会的でもある。それでいて、
深い。鋭い。ハイドンの音楽の特性がそうなのだろう。グールドは、自分の奏法にひきつけて
いるが、どこかで、ハイドンを憧憬している。



年末年始、自宅に持ち帰った本は、この一冊。グールドの声を聴いています。彼は、どうして、
シューマンやシューベルトを演奏しなかったのか、モーツァルトのあの不完全で奇態な演奏
であるのにソナタを全曲収録し、ベートーベンのハンマークラヴィーアや重要なソナタを収録
しなかったのか、そういうあたりを知りたい。グールド、ピアノ演奏の技術は、
30分で伝授できるといっている。その理由が凄い。「ムカデがそれぞれの足をどのように
動かすかを学ばないようにピアノもまた、、、、、。」と。ピアノの、
「観念化」(idealization)という言葉、とても面白い。まったく、
それは、喩的身体の話。



テーマへの煩わしさというのがあるのだろうか。手垢というか、ティピカルなものへの拒絶。
ショパンやラフマニノフは弾いていないが、ショパンのソナタは弾いている。ティピカルという
意味で、メンデルスゾーンの「無言歌」に、グールドは、自由の空気を感じ取っていたかもしれない。
もちろん、シベリウスの底なしの虚無にも。



観念化であるとか、どうでもよくなってくる。ベートーベンの6つのバガテル。
バガテルとは、「たわいもない音楽」という意味らしい。べートーベンとグールドが、
自在な生死の意志で、瞬間の存在を賭して出会っている。ほんとだよ。音楽ではない。




ピアニストが触覚的な感覚を信じていないというのは、驚き。海外の演奏会で、
不本意なピアノをあてがわれて、砂漠の道中に車の中で楽器のイメージを想起する。
そのときグールドは、車のダッシュボードにも、中空にも指を当てたりしなかったという語り。
触覚的な感触が瑕疵になるというので、頭の中だけで反芻するという。実際グールドは、
演奏会の一週間前ぐらいまでは、演奏する曲をピアノで演奏しなかったという。
それまではすべて頭の中。恐るべき、喩的人種、詩人。そりゃ、50で、死ぬわけだ。



GG 最初の講演では、ベートーベンの作品109の第一楽章を論じました。<中略>
(ところでその次の講演ではブルックナーの交響曲八番の第一楽章を論じましたが、証明
を試みた内容はほとんど同じです)。<中略>
そしてその連続する部分こそが私の関心の対象なのです。なぜならその部分は通常の呈示部
(この楽章には存在しないけれど、実在するならば)における第二主題の領域の代わりでもあり、
... また、再現部の代わりでもあるからです。<中略>
私としては、作品109のこの二箇所を分析することで、ベートーベンの
不在の根音(アブセント・ルーツ)の処理に興じていたことを結論づけたかったのです。

                    「グレン・グールドは語る」宮澤淳一訳

グールドの発言は、あきらかですね。彼は、ピアノという楽器(媒介)を信じていないようにも
感じられる。あるいは、触覚的感触をただ記号化して「裏」に隠して思考している。「不在の根音」
とは、なんと魅惑的な言葉だろう。しかもベートーベンのソナタを語りながら、ブルックナーの
第八交響曲についても同様に語っているあたり実に興味深い。
「代わり」という言葉「非在の代替」音は、そのまま「非在の代替」語と読むこともできる。
彼のいう、「観念化」とは、この「響くことのない」「根音」へと褶曲・収斂される。
根音とは、手や指の触覚や耳による聴覚ではなく、身体の芯だけがとらえる「無音」なのである。
いいかえれば「喩」の代替概念である「身」ということになる。




グレン・グールドの発言で、もっとも驚きかつ納得したのが、モーツァルトのピアノソナタに
ついて語っている言葉。グールドは、モーツァルトのピアノソナタを全曲録音しているが、
ベートーベンは、19-22、25-27番は、収録していない。
ぼくは、グールドのモーツァルトは嫌いである。グールドがなぜあれほどにつまらない
モーツァルトを弾いているのか。謎だった。「冗談だろ」「すぎた冗談だ」と思ってきた。

GG さて、ソナタ集の録音についてですが、今までであんなに愉快な企画はありませんでし
たよ。実際問題として。いちばんの理由は、作曲家としてのモーツァルトが本当に嫌いだからです。
初期のソナタは大好きです。初期のモーツァルトは本当にいい。はい、話はそれでおしまい、
なのです。              「グレン・グールドは語る」宮澤淳一訳

そのあと、GGは、嫌いな理由を「芝居がかった」「軽率な快楽主義」と語る。そして、
「男性的対女性的」「威圧的なものの誘惑的なもの」「厳しいものと優しいもの」を「互いに対置させる」
そこが嫌で、関心がないという。つまり、内実というか、求心としての「不在の根音」がない
ということなのだろう。GGが他の個所でビートルズを批判し、ペトゥラ・クラークを評価する
ように、極端な意見ではあるが、うなづける。ただ時流に自分の音楽を同調させるだけでは
音楽の「内的真=(芯)」は生まれないと言いたいのだろう。

ぼくにとってのモーツァルトは、優秀なポピュラー音楽の作曲家として魅力ということに尽きるが
GGは、それが許せなかった。まるでソナタ全集が、「嫌悪の証し」であり「暴き」であったとは。

■ぼくのいのちに必要な音楽 アントン・ブルックナー3

2012年11月07日 16時15分54秒 | 音楽
連載第三回(詩的尺書) 掲載初出「天蚕虫」4号(田中勲編集発行)
ぼくのいのちに必要な音楽。
アントン・ブルックナー(3)               萩原健次郎


 一時期は、狂ったように毎日毎日聴いていたアントン・ブルックナーの音楽も最近は、それほど聴かなくなった。飽きたからではない。心のどこかではいつも彼の交響曲が、延々と鳴っている。
 私は、これまでずっとなのだが、聴いた音楽の旋律などを務めて記憶しようとは思わってこなかった。記憶力の問題なのか、生来の感覚の乏しさからか、それができないといったほうが正しいのかもしれない。何度も何度も好んで聴いてきた曲でもできない。しかし、とっさにどこか遠くからその旋律が流れてきたりすると、すっと即座に曲名を言い当てることができるようにも思える。ジャズでもポピュラー音楽でも歌謡曲でもできるだろう。でもそこにクラシック音楽も含めれば、いったい何百曲、いや何千曲になるだろうか。そう考えると、自分の記憶力の容量と照らして「そんなものは覚えなくていいよ」と身体が命令をして、記憶することを自然に拒んでいるのかもしれない。
 ブルックナーの交響曲その9曲すべてとなると、一曲60分として、540分にもなる。しかも彼には9曲以外に、0番も00番といった初期の習作曲もある。ずっと聴き通したら、10時間を超える。ほんとうのブルックナー狂いの人なら、その旋律を諳んじることぐらいはできるのだろう。でも、私はできない。ベートーベンの交響曲ならば、できるかもしれない。ただ、この9曲の断片であれば、少しだけ時間を与えられたら、すっとハミングで歌いだすかもしれない。
 ときどきではあるが、夜、ふとんの中で眠りに就くとき、彼の交響曲を第一楽章から終楽章までを、諳(そら)んじて歌ってみようと試みることがある。冒頭の何小節かを思い浮かべればそれが、ずっとつづいて、楽章をたどっていける。しかし、どうしても曲のどこかの断片がひっかかり、さらにはそれが肥大化して強く、ひととき刻印されて消えなくなってくる。そうするとその断片が、翌朝からその日一日を通して、付着し離れなくなる。そしてたまらなくなって、その部分をCDで聴き直し、さらに刻印は濃さを増すといった具合なのだ。
 たとえば、彼の交響曲5番、終楽章の冒頭の部分。不穏な弦楽合奏で始まり、音の空白が生じる。楽章自体は、美しいアダージョではあるが、この弦楽合奏の空白に、奇妙なクラリネットの独奏が挿まれる。ほんの数小節ではあるが、作品の部分や断片というよりも、私には、なんだか事件や事故のように迫ってくる何かがそこにはある。
 この部分、ベートーベンの交響曲9番との関連を語る人もいるが、私には、ベートーベンにもブラームスにもそしてマーラーにも感じたことのない、ある種の突出した「現代性」を刻印してくる。そう、それが深夜、就寝時の闇の中ならば、黒黒と迫ってきて、濃密な痕跡をしるしていくのである。
 静寂の中挿まれるクラリネットの音は、不均衡であればあるほど、作曲者の意図にあっているのだろう。ある種の諧謔が混ざり、すこし間違えれば曲全体を壊してしまいそうな大胆な発想。ただ、この冒頭の部分を過ぎれば、終楽章は、曲全体のいくつかの主題をなぞるようにまとめられて終わる。つまり、通して聴いたとき、ひっかかるような部分ではないのかもしれない。事実、ある必然に基づいた均衡が十分に保たれているようにも感じられる。ブルックナー自身は、なにも屈折したような意図はまったくなかったのだろう。
 ブルックナー的な「均衡」、あるいは「自然」といえば、そういうことである。私は、その個的な自然にふれ、干渉をされ、諭されて知らず知らずのうちに抱擁されているのである。それが、クラシック音楽を感受することの本質であるといわれれば、そうかもしれない。
 ブルックナー音楽のたとえば、アダージョ楽章における美を、山河や宇宙の遥か彼方に見え隠れする光景を淡彩で描いたと、讃えることはよくある。それは、確かに比類のない魅惑的な再現芸術だ。交響曲5番の第二楽章、6番の第二楽章、9番の終楽章などは、その白眉といえる。この世からあの世、此岸から彼方の岸を眺めるかのような時間を反芻しているようでうっとりと、その時間に溶解しそうになる。では、それ以外の、奇妙な行進曲風のリズムでたどられるスケルツォ楽章は、どうなのだろうか。アダージョ楽章の悲哀とその美しさをひときわきわだたせるための方策であるのか。
 私は、ブルックナーという人間の自然も時間もなにもかも共有したことも、あるいはそれに正しく共感することもできないであろう。ただ、交響曲5番終楽章冒頭の断片が、私に動揺を与え、響き、ときによって濃淡はあっても強く染み込んでいることだけは確かなのである。

■グールドの「ゴルトベルク」の音源を聴きながら書いた詩

2012年10月20日 20時53分48秒 | 詩作品
フッサールは、「伝統とは起源の忘却」と言ったという。
グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」の最初の録音を聴いていて
その録音の逸話を思い起こした。
ゴルトベルクは、最初のアリアを30の変奏で連ねていく。
連ねていった後に、冒頭のアリアに戻る。
そして、余情は、ふたたび30の変奏に戻されて
この音楽は、限りもなく反復されそうにも思えてしまう。
それが子守唄として創られた曲の構造なのだろう。
グールドは、この55年の録音のときに、まず
30の変奏を収録してから、あらためて冒頭のアリアを
弾き始めた、そしてそれに納得がいかず
21回も試行を繰り返したという。
この21回の時間を思う。グールドはどんな想像力をめぐらせ
それを捨てていったのか。
捨てられた時間を、ぼくはむしろ愛おしく感じる。

ずっと愛聴してきたグールドの「ゴルトベルク」。
この55年の音源を聴きながら、かつて書いた詩を
掲載します。



ゴルトベルク、
朝顔の骨を見つめて
身を抱えながら
                        萩原健次郎



眠りから覚めた鶴を起こすように、草花の滴から天へ裏返す。朝顔の人を抱
えて世の階下へと降りていく。世の下から天上へと、子供たちを集めてい
っしょに天上へと昇っていく。

          草花の想念は、
早朝起床したときには、おはよと言っていつも天に向かっているのに、夏
の朝は、天上から揺り起こされることもない。だから固まって拘束される。
屈曲された球の子になって、ひょいと軽く抱えられて、球となり抱えられ
ても、もう大人である草花は、蔓を天へ天へと昇らせる以Oに生きていく
方法を知らなかった。

                 丸々と球状の生を、
どこまで転がして、それから地に印をとどめていくのか。地の印は、あな
たが生を享けた印でもあるのに、垂直に、垂直に眠っていたそのときのお
やつを欲して戻らなければよかったのにね。七月という、朝顔の生きた時
間まで、ぼくはゆっくり待って共有の印を恋う。

ひとすじ、球から天空への骨の線を束で、
まるごと抱えて生きた地点まで親子のように、夏時間の坂を越えてゆこう
ね。子守唄、瞬間の昼寝のための、肉の、骨の球を思い出の椅子まで両腕
に抱えて、椅子ごとひとつになって同志くん、ヨハン・セバスチャンくん、
骨は骨を好きになり、種はただ、中空ののぞみへと垂直に去っていュ。

         鶴ごとの、草ごとの、蔓ごとの、椅子ごとの子守唄、
グールドの言う怠惰のことであれば、地面から天上の窮みまで何マイルで
行けたことになるの?少年は、球を彼方まで投げて、責任も負わず、ただ
骨に傷つけたというだけなのかい。合奏していた夏時間のその濃い果汁の
住処で、蜜まみれになったあなたの妹の部分を、蔓性に見立てて涼んでい
る。
一丁、一丁、銃も包丁も豆腐も。
そしてカイザーリンク伯爵も。七月の朝顔はいまだ花をつけず、ただひた
すらに天の寝床へ向かって蔓を伸ばしている。ぼくはそれを固定して少し
天の側へ反り返して、平面にして空の寝床と平行にしてから抱いた。

     骨、飲る。骨、降る里では、
夏だから堅くなった骨がいつまでも覚醒している。その色って、む・ら・
さ・きっていうのかい?自分の色名も知らない朝顔と、幼くして不眠症の
伯爵は、球の愛を祝福するだろう。伸びよ、びろびろと。その朝には、ど
こにも居なかった天使が湧き出して、ぶるぶるとエンジンつきのプロペラ
回して舞い降りる。お互い、好きだった季節の挿話を告白しあっても、そ
の朝の天使たちの粗末な衣装については、ふたりして内緒にしておこうね。
缶々に詰めて。でもね、やってこないよ。朝顔の蔓にとまる天使という名
の虫なんか。だから、グールドよ、バッハよ、そのときに

            つるつるした球状の天使のかたちをしようよ。
夏の時間の無限を測りながらころりと。塊となって、死んでたなんて素敵
じゃないか。間違いなく地上のできごとで、蔓が伸びたとしても、腰のあ
たりに、ふたつやみっつの花を咲かすよ。それならば、骨さがすゲームの
人になろうよ。眠っている間にこの夏は終わってしまい、朝轤フ骨の結実
だけが地に降るだろう。

                                眠
りから覚めた鶴を起こすように、草花の滴から天へ裏返す。朝顔の人を抱
えて世の階下へと降りていく。世の下から天上へと、子供たちを集めてい
っしょに天上へと昇っていく。

■15年くらい前に書いた、写真と詩に関わる文

2012年10月06日 18時30分03秒 | 文学全部

15年ぐらい前に書いた、写真と詩に関する文章です。


永遠の齟齬に恋して。



 写真に撮られると魂を抜かれると昔の人は、それを忌み嫌ったという。私が最近しばしば思うことは、それとは逆に「写真を撮ると魂を抜かれる」ということだ。

 道を歩いていて、美しいスミレが咲いているのを見つけた。ほとんど無自覚にカメラを向ける。少し慎重にフレーミングして、そしてシャッターを押す。そこには、なんの意志も意図もまったくない。写真を撮ることは、意識を介した行為でも表現でもなんでもない。時間を経て、やがてフィルムがそのままプリントされて、その場の光景が記録されていることを、はじめて自覚する。そして私は、いつもそのことを不思議に思う。

 機械あるいは、写真というシステムに対して私は、通じていない、つまりは幼稚であるのだろうか。そんなことはない。カメラという機械には、一般の人以上に愛着も執着もあるし、もう何年も写真を撮り、そしてプリントされたものを先の執着の角度とはまた違った感情をもって束ねて集めている。

 よく写真表現などというが、これらの行為は表現とも、ましてや芸術などというものとはほど遠い、あるいはまったく対極にある実に不遜で、倒錯した行為であるように思えてしかたがない。なにか、うしろめたく、どちらかといえば、密やかなことであるように感じられる。束ねられたプリントは、死屍累々というか、生命の輝きのない乾いた光景ばかりだ。私は、ひょっとしたら剥製趣味を、写真というシステムで覆い隠しつつ楽しんでいるのだろうか。そんなふうに、卑下することもある。

 私が、スミレと出会ったその瞬間の光景は、確かに生命の動いている時間であるだろう。しかし、私とスミレが無意識という、カメラのレンズを媒介にし、対峙しているとき、そこに彼岸と此岸といった、別の時間の確かな齟齬の感覚に根ざした「呆けた関係」が生まれる。これを、「表現」といわず、このごろは「交換」といってカタをつけている。

 無意識というが、そこになにもないのだろうか。自分の撮った写真を他人に見せたとき、「独特の感覚ですね。なかなか撮れませんよ」などとほめていただくこともある。また、「よく撮れたね、このへんの光の回り具合とか、背景のボケ味が素晴らしい」などと評価されることもある。本人にとっては、自分がいったいその時、なににとらまえられなにを焦点にシャッターを押したのかもわからないにもかかわらず、そうまでいわれると、やはり感覚は、そこにあったのだろう。しかし、その感覚とても、たとえばそれを「なけなしの金」と考えれば目前の光景と、交換したにすぎないわけで、撮り記録したことは、限りなく偶然に近い。

 被写体である、この世界は我以外の物や時が横溢している。その容量たるや、我の量を消滅させるほどに世界に圧倒されている。しかしそこにある時間は、対等の量(ユニット)で計ることが可能である。剥製趣味といった根拠もこんな事実に根ざしているのであろうか。世界がその一瞬、たとえば250分の1秒という時間のなかで、単一化されて、ともに死するわけである。パフォーミング・アートというものは、こうしたものだろうが、写真の場合は、その意味が多層化されている。

 たとえば、スミレと違って、偶然ではなく自覚してそこへ、その被写体である光景へと出かけて写真を撮りに行けばどうだろうか。いわゆる定点観測のようなものだが、私は、この5年ほど、とある場所の写真を撮りつづけている。そこは、わが家のある、京都・修学院の離宮の敷地内なのだが、一部農地になっている土地がある。古くからここで暮らしている農民は出入りが許されているが、一般には足を踏み込むことを禁じている。周囲は、宮内庁によって鉄条網がはりめぐらされている。わが家の裏手から、赤山禅院という寺院の参道を少し上り、ちょっと横道をそれたところで、その光景に行き当たる。

 通行止めになったそこには、鉄の扉があり、厳重に警戒されている。しかしその向こう側では、農作業をしている人がおり、ただ一軒、粗末なトタン張りの倉庫のような小屋だけがある。鉄扉の左から2つ目、下の段にカメラを構えて撮影する。まったく同じ角度のローアングル、同じフレーミングで、四季を通じて撮っている。雨の時も雪の時も出かけていって撮っている。いつだったか、昨年の秋頃だったと思うが、いつもの場所に洗濯洗剤のカラ箱が落ちているのを発見した。私は、かなり激しくショックをうけ、動揺した。どのような動揺なのか表しようのない無情なものだった。目前の箱は、取り除こうとするが、とれない。中にいる人に叫んで、ゴミを拾ってもらうわけにもいかない。ふだんは、きっと私だけしか来る

者はいないと思っていたが、ゴミがあるということは、誰かの手によって捨てられたのだろう。それからは、いままで、かの地へいくことを、私は軽く拒んでいる。

 その場所は、数年を経過しても全く変わらない光景を見せている。それは、樹木の葉群がふくらんだり、草の色が濃淡を見せたり、また、紅葉に染まろうが、積雪のためいちめんが真っ白になろうが、変わることはない。そう、思い込んで被写体と私は、確信に満ちた契約を結んでいるのであるが、たったひとつのゴミという挿入物のために、この幸福な関係が突如として壊れてしまうのである。

 ここでは、我以外の世界の容量が、むしろ狭量に凍結される。(と、多分錯覚される)意識的に自覚して被写体を選択しても、写真における、私の事態はなんら変わることがない。ただ、ふたつの時間の齟齬関係をつつみこむ、ある同心円上の単一(ユニット)感覚はどちらにも共通してある。      

 たとえば、写真史上著名な作品である、アンセル・アダムスの撮ったアメリカの大地、これなどは、見る者にまで魂を抜くような作用をもたらす。また、アッジェのパリならどうだろうか。ここでは、徹底的にパリ(世界)と私(アッジェ)のすれ違いが表れている。まるで、撮影者であるアッジェは、この世に生きていなかったようなのだ。ウィトキンの場合ならそれは、ダイレクトに剥製趣味の露呈というかたちで表れる。

 これらの諸作にも共通していることは、写真という無情のシステムを熟知していながらなおも世界とのユニット化を志向していることだ。共謀といおうか、別のいいかたをすれば、永遠に遠い「齟齬」というカラクリを知った上でなおも執拗に、詐欺システムに身を委ねる自業自得の行為のようでもある。あるいは、彼岸と此岸の別の時間を、もうもうと煙を上げて燃え消滅するまでに擦り合わせ無化していこうとする情熱のようでもある。

 私は、昨年秋に出した著書に「求愛」という書名を付した。なぜ、この標題が浮かんできたのかは、私自身もその時点では不明であったが、なんだかいまここで、わかったような気がしてきた。その書の表紙写真もまた、先の空白の農地を撮った、いつかの一片である。不可能なユニット化を求めつつ、その齟齬関係の中に高速に身を委ねていく。それは、人生のなにかに、確かに似ている。

 私は、交換(表現)の場で、絶えず魂を骨抜きにされていく。それはそれで納得はしているのだが、とても無惨である。

 写真について思うことは、詩について思うことと驚くほど類似している。それは、ごく自然なことなのだろうが、そこにあるシステムに違いはないのだろうか。ともあれ、現在、私は、詩を書くことと、写真を撮るという、ふたつの「交換」行為は、同じことだと思っている。むしろ、混同しているといったらいいだろうか。


●ぼくのいのちに必要な音楽 連載2 ブルックナー

2012年07月23日 10時01分37秒 | 音楽
連載第二回(詩的尺書)
ぼくのいのちに必要な音楽。
アントン・ブルックナー(2)               萩原健次郎


 あるとき、就寝前にブルックナーの交響曲9番をかけて、ふとんの中で聴いていた。ギュンター・ヴァント指揮・ベルリンフィルハーモニーの演奏。この9番は、それまで何度も聴いてきた。でもこのときの音がいつまでも耳について離れない。
 9番は、ブルックナーにとって、生涯最後の曲だ。没年は、1896年。72歳で亡くなっているが、曲が一旦完成したのは、1894年末。全3楽章であるが、死の直前まで最終楽章を構想していたようである。つまり、未完の遺作である。ただ、未完といっても、全曲を聴いてそれが不自然であるとはけっして思えない。トレモノの多様、それが霧深い山巓の情景を浮かび上がらせ、ホルンの合奏による金管の咆哮が、不穏な現実感を予感させ、さらには、寂寥を甘美に閉じこめていくアダージョの旋律美など、そのどれもが、ブルックナー特有の個的な様式が完成されて詰まっている。
 ブルックナーの交響曲は、ただただ冗長で、どの曲を聴いても同じなどと揶揄されるが、私にはまったくそのように思えない。たとえば、先日亡くなった、吉田秀和は、こんな風に書いている。
 「ところが私は、その演奏をききながら、ぐうぐう眠ってしまった。第二楽章(アダージョ)の途中で、眠りこけてしまった私は、ふっと目がさめたら、まだその楽章が続いているのを知り、すっかりびっくりした、何と長ったらしい音楽と思ったものだ。そっと、そのアダージョが終わったら、それに続くスケルツォで、短短長長のリズムの無限のくり返しにつきあわされたのにも閉口した。要するに、私には何にもわからなかったのだ」
           (ブルックナー『第九交響曲』1981年刊「音楽手帖」より) 
 滞在先のザルツブルグで、たまたまクナーパーズブッシュが指揮する第7交響曲を聴いたあとの感想だが、私には羨ましい限りだ。おそらく、60年代のことであろう。たとえば、なんの準備もなくいきなりブルックナーの80分にも及ぶ曲に接したら、「眠くなる」のもわからないでもない。たとえばベートーベンの交響曲のように、各曲にきわだった特長があるわけでもない。また、マーラーのように突如として激情があふれ出すといった極端な変化もない。
 しかし、吉田秀和は、同文で次のようにつづけている。
 「では、ブルックナーの何が、そんなによいのか? 音楽のクライマックスが緊張の絶頂であると同時に、大きな、底知れないほど深い解決のやすらぎでもあるということ。その点でまず、彼は比類のない音楽を書いた」。
 「ベートーベンは緊張を急速に高めてゆくために、リズムをだんだん加速させてゆく。その結果、主要主題はそれを準備していた段階にくらべると、もっと大きな迫力を獲得していることになる。ところが、ブルックナーの主要主題は、一つの行進の終わり、停止を含まずにいない。私たちは、そこでひと息つき、後ろをふりかえったりさえする」。 
 聴後の心象であろうが、まさにこのブルックナー音楽の髄を言いえている。緊迫をもたらす音楽的な語調を一旦、全停止するいわゆる“ブルックナー休止”、息苦しいほどに歪みはねる奇妙なスケルツォ、諦観を甘やかに抱擁するようなアダージョ。これら特有の作法は、一旦聴く私たちに断言を避け、深い永遠を見せる。そして決然と、留保される。曲の一端、森の中の単一の木を眺めただけでは、何が意識され主張されようとしているかは、判然としない。しかし、聴き終えたとき、確かに聴きとったことの充足が訪れる。
 私のある夜の強い体感も、不思議な言い方になるが、音の最中にあったわけではない。この交響曲9番の第1楽章の終盤に訪れる、展開部のあとの完全な無音(沈黙)に痴れてしまったのである。とくにヴァント指揮による演奏でのこの部分は、凄まじい。いくつかの主題が現れ重なり、圧倒的な頂へ登りつめたあと突如として音が止む。暗闇の床で聴いていたからだろうか、比喩ではなく、つまりは、迫りくる実音の渦中にいたのであるからこう喩えられるが、無情が束になって落下していった。架空(音像)であるとはいえ、それは世界が谷底に向かって瓦解、崩壊する様であった。
 生きようとするもの、そして死にいこうとするもの、そのどちらの意志も無にする、“無音の純音”といってもいい。そうした主張がきっぱりとシンフォニーという芸術で美しく昇華されているのである。吉田秀和のいう“底知れないほど深い解決のやすらぎ”という感慨であろう。この一曲で、しかもほんの数秒の沈黙に、本質がある。自己救済としてのブルックナー音楽の魅力はつきない。


                               つづく